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2008年3月11日 (火曜日)

「最後の写真」(第5回東方SSこんぺ 投稿作品)

「最後の写真」
(東方Project 東風谷早苗SS)
(初出:H20.2.10 「第5回東方SSこんぺ」に投稿:第7位/62作品)

 大きな朱塗りの盃を木箱に入れて、戸棚の奥に押し込む。
 ……よし、これで最後だ。
「これでよし……と」
 倉の外に出て深呼吸する。新鮮な外の空気の冷たさが気持ち良かった。
「お疲れさま、早苗」
 腰をとんとんと叩きながら振り返ると、八坂様が労いの言葉を掛けてくれた。
「ようやく片づきましたね」
 終わったという安堵からか、私の声も心なしか弾んでいた。
 年末、そしてお正月、そしてその後も。ここ最近ずっと続いてきた神事、そしてそれにかこつけた宴会の数々も、ようやく一段落した。今日はその後片付け。宴会用に大量に持ち出した食器類を倉に直す作業をしていたのだ。
 なにしろ宴会の規模が規模だったので、食器を直すのに半日近くも掛かってしまった。実は次の宴会もそんなに先ではないのだけれど……とりあえず今は気にしない事にしよう。
「晩ご飯はもう作ってあるんだよね。今日は私たちで暖め直すから、それまで休んでいて良いよ」
「ありがとうございます、八坂様」
 後片付けで結構疲れていた私は、今日は八坂様のご厚意に甘えることにした。

 自分の部屋に戻ると、私は畳の上にごろりと倒れ込んだ。
「……ふうっ」
 仰向けになって、大きくため息をつく。息を吸い込むと、畳のいい匂いがする。ようやく終わったという安堵感もあって、心地よい気怠さが身体を包んだ。
 こうして普通に自分の部屋でゆっくりできるのは、どれだけぶりだろうか。そんなことを思いながら、私はぼんやりと天井を見上げた。
 そのうちに、段々瞼が重くなってきた。このままぼうっとしていると、そのまま眠ってしまいそうだ。晩ご飯までお昼寝もいいかもしれない。……だけどこのまま眠ってしまうと、きっと風邪をひいてしまうだろう。
「……よしっ」
 私は意を決して、跳ね上げるようにして身体を起こした。お昼寝するにしても、きちんとお布団を敷いて入らないと。いや、その前に寝間着に着替えた方がいいかもしれない。
 どちらにしても少しお昼寝しようと決めて、私は軽くあくびをしながら、頭に手を伸ばして髪飾りを外した。
「ケロちゃんたちはここで待っててね」
 そう言って、髪飾りを机の上に二つ仲良く並べる。
 その時。
 ……ふと、机の片隅にある赤い物が、目に映った。
「……………」
 それは、小さな赤い携帯電話。
 私が「こっち」に来る前に使っていた携帯電話だった。


 私は携帯電話を手に取って、部屋の外に出た。襖を開けると、外はすぐ縁側だ。
 携帯電話を開いて、電源ボタンを長押しする。しばらく点けていなかったので少し心配だったけど、ほどなく電源が入って、ディスプレイに光が灯った。
 画面の右上には、一目盛りだけ残っている電池の残量表示。もう残り少ないけど、よくこの時期まで保ったものだと思う。
 そして、この守矢の神社を正面から撮った、待ち受け画面。季節を除けば、その風景は幻想郷にいる今とほとんど変わらない。よく見ると写っている電線だけが、これが「外」にいた時に撮ったものである事を示していた。
 続いて、少しだけ期待しながら、画面の左上に目を移す。だけど……そこにあるのは「圏外」の文字だった。
 「外」にいた時もうちの神社は電波が弱くて、縁側まで出ないと電波が立たなかった。以前の癖で縁側に出てみたけど、結果は同じで、何度見直しても圏外のままだった。
 当たり前だけど、幻想郷には「外」からの電波は届かない。
 だから、誰かと電話をする事も、誰かにメールを送る事もできない。幻想郷にいる誰とも。そして、外の世界の誰かとも。
 幻想郷に来る時に、ひょっとしたら使えるかもと淡い期待を抱いて持って来た携帯電話だけど、現実はそんなに甘くはなかった。……もう、この携帯電話は、電話として使うことはできないのだ。
 勿論、そんな事は「外」にいた時からわかっていた。それでも、この携帯電話を持って来た理由。それは、電話として使えなくても、この携帯電話の中には……私にとって大切なものが残されているからだった。

 廊下の壁に身体を預けながら、ボタンを操作する。何度かボタンを押すと、画面が切り替わって、写真保存データの閲覧ページになった。
 そう、この中には……私が「外」の世界で撮った写真が入っているのだ。
(そう言えば、写真を見るのも久しぶりだなぁ……)
 そんな事を考えながら、画面を切り替えて写真を眺めていく。

 私が通っていた学校での、日々の生活を切り取った写真。他愛もないものばかりだけど、もう二度と戻ることの出来ない日々を記録した、私にとって大切な写真。
 私が通っていた学校の、校舎の写真。
 教室で、私が友達を撮った写真。
 廊下で、友達が私を撮った写真。
 そんな写真の数々を、撮った日の事を思い出しながら、一枚一枚、ゆっくりと眺めていく。最近は神事や宴会に忙しくてこの写真を見るのも久しぶりだったけど、写真を一目見れば、当時の思い出が鮮やかに蘇って来た。
 写真を見ながら胸の中に湧き上がってくるもの。それは、一言で言えば「懐かしさ」なのだけれど……今の私にとってその「懐かしさ」は、心の中でざらざらと感じるもの、そして、胸の中で重く感じられるものだった。

 しばらく切り替えているうちに、気が付けば一通り写真を見終わってしまって……残すは、最後の一枚になった。
「……………」
 親指に力を込めてボタンを押すと……携帯電話の画面に、最後の写真が表示された。
 最後の一枚は、向こうで過ごした最後の日に、仲の良かった友達みんなを写したものだった。
 それは、向こうで……「外」で撮った、最後の写真。私にとって……最後の写真。

 ……あの日は、試験の最終日だった。翌日からは試験休みで、試験から解放された友達たちはみんな明るい顔をしていた。そんなみんなが揃ったところを、私が撮った写真だった。
 そう、私がみんなを撮った写真。
 撮影しているのは私だから、この写真の中に私はいない。
 ……だから、この友達みんなの中に、私の姿は……無い。

(私たち、夏休みに海に遊びに行くけど、こちゃも来ない?)
 あの日……幻想郷に来る前の「外」での最後の日。夏休みの旅行に誘われた事を思い出した。
「ごめん、私も別の旅行に行くから……」私はそう言って、断った。
 確かに「別の旅行に行った」のは間違いないのだけれど、それは、みんなの思っているようなものでは無くて……二度と戻らない、片道の長い長い「旅」だった。

 みんなに言い出せないまま、あの日がみんなとのお別れになって。
 みんなが揃って写っている……だけどその中に私はいない、この写真が、みんなと撮った最後の一枚になって。
 今はもう……みんなと遊びに行く事も。
 もう一度、みんなと写真を撮る事も。
 もう一度、みんなと会う事さえも。
 その機会は、もう……二度と巡って来ないのだ。

 写真を見ているうちに、胸の奥底から次第に気持ちが……胸が締め付けられる様な感覚が高ぶってきて……私は、目を閉じて携帯電話を畳み、きゅっと胸に押し当てた。

 ……静寂の中に、私の呼吸の音だけが廊下に響いている。

 元気が出るかもと思って、久しぶりに写真を見たけれど。やっぱり……もう「外」には戻れないことを再認識させられただけだった。
 電池の残量はもう、残り一つだけ。もうすぐ、電池も切れてしまう。
 たとえもう戻る事はできなくても……電池が残っている間は、昔の写真を見ることができる間は、どこかで繋がっている。そう思っていたけど。
 それも……もうすぐ切れてしまう。
 この電池が切れた時。その時の私は……いったい、どんな気持ちでいるのだろうか。
 どんな顔を……しているのだろうか。


「……………」
 ……目を瞑ってじっとしていると、しばらくして、ようやく気分も落ち着いてきた。
 やっぱり、少し休んだ方がいいのかもしれない。私は電源を消そうと、もう一度、携帯電話を開いた。

 ……その時。
「早苗」
 不意に、間近で八坂様の声がして、私は驚いてびくりと身体を震わせた。
「あっ……」
 その拍子に、携帯電話がぽろりと掌から転がり落ちる。慌てて手を伸ばしたけれど、伸ばした手に当たってしまい、勢いのついた携帯電話は、大きな音を立てて床に落ちた。
「……早苗、起きてるの?」
 廊下の角から八坂様が顔を見せる。携帯電話はくるくると廊下を滑る様に転がって……こつりと八坂様の足元に当たった。
「あら? これは……」
 携帯電話を拾い上げる八坂様。
「あっ……」私は慌てたけど、もう遅かった。
 八坂様が携帯電話を手に取って、画面に写る写真に目を遣る。私は……いけない物を見られてしまったような気になった。
 ……八坂様が携帯電話の写真を、じっと見つめている。それを見て、私は息が詰まる様な思いだった。

「これは、早苗のお友達の写真?」
 ……しばらくして、携帯電話から目を離して、八坂様が私に尋ねる。その様子は、普段と変わらないように見えた。
「は、はい。昔の、あの、ちょっと眠くなったので、時間を潰そうと……」
 訳の分からない事を言いながら、私は大袈裟にあくびをする仕草をして、目を拭った。
 ……うん、泣いていない。泣いてなんかいない。そんな事は自分でも判っているけど、八坂様にそう思われるのが嫌だった。
「あの、たまに昔の写真を見ると、面白いですよね」
「……そうだね」
 八坂様は静かに頷いて、私に携帯電話を返してくれる。
 いつもと変わらない、優しい表情の八坂様。……それが余計に、私の心を締め付ける。受け取る時に、私は……八坂様の目を見ることが出来なかった。
(……ごめんなさい、八坂様)
 本当はたまに、なんかじゃない。こっちに来た最初の頃は……私は電池の残量を気にしながら、八坂様に気付かれないように、この写真を何度も何度も、見返していた。
 私が「外」の写真を見ている事を知られたら、八坂様を心配させてしまう。
 「外」の方が良かったと、こちらに来た事を後悔していると、寂しい思いをしていると思われてしまう。その事で……八坂様を悲しませてしまう。
 こちらに来ても、私は元気で頑張っている。そう八坂様に思って貰いたかった。
 だから、写真を見るときは、八坂様には見つからないように気を付けていたのに……。

 いたたまれなくなった私は、何とか話題を変えようとした。
「え、ええと、ところで、何かご用でしたか?」
「ええ」八坂様が頷く。
「にとりちゃんが遊びに来てるのだけど、早苗、寝てるかなと思って……」
「にとりさんが?」
 その言葉に八坂様の後ろを見ると、廊下の角から、にとりさんが顔を出した。

「こ、こんにちはです……」
 いつもと同じく、おどおどした感じで挨拶をするにとりさん。
「……こ、こんにちは」
 まずい場面を見られてしまったな、と思いながらにとりさんに挨拶をする。
「ええと、急に遊びに来ちゃったのですけど、ご迷惑でしたか?」
 私の慌て具合に勘違いしたのか、遠慮がちに訊ねるにとりさん。
「……いえいえ、大丈夫ですよ」
 私は慌てて首を横に振った。本当は事前に連絡して欲しかったのだけど……よく考えたら、こちらには「事前に連絡」する電話もメールも無いのだった。
 それに、少しでも早くこの気まずい場を離れたい私にとっては、にとりさんが来てくれた事は助け船だった。
「じゃ、じゃあ、お部屋に行きましょうか、にとりさん」
 私はにとりさんの肩を押すようにしながら、襖を開いた。
「あ、あの、八坂様。では、にとりさんと一緒にお部屋で遊んでますね」
 早口でそう言って、二人で自分の部屋に入って行く。

「……早苗をよろしくね、にとりちゃん」
 後ろから、八坂様の声が聞こえた。


「……どうぞ、ここが私の部屋ですよ」
 そう言いながら、後ろ手に襖を閉じる。耳を澄ますと、八坂様が居間の方に遠ざかって行く足音が聞こえた。
 ほっとため息をつきながら振り向くと、にとりさんは物珍しそうに、きょろきょろと部屋を見回していた。

 ……河城にとりさん。彼女と初めて会ったのは、こちらに来て何回目かの宴会の場だった。八坂様にけしかけられたのか、酔っぱらったにとりさんが私に絡んで来たのだ。いきなり抱きついてきて、びっくりしたのを憶えている。
 かなりテンションの高い人で、どちらかと言えば苦手なタイプの筈だったのだけど、何故か気が合ったのか、それ以来仲良くしている。
 その後、宴会以外の場所で会った時には、今の様に本当に大人しい、人見知りする性格だったので、そのギャップにも驚かされてしまった。どうやら酔っぱらうと性格が変わるタイプのようだった。
 どちらが彼女の「素」なのかは判らない。だけど、どちらにしても、今ではにとりさんは普通の時でも、宴会で酔っぱらった時でも仲良くできる、私にとって数少ない友達の一人なのだった。

「どうぞ、好きなところを見ていって下さいね」
「は、はい。ありがとうございます……」
 リュックを床に置いて、きょろきょろと部屋を見回すにとりさん。
 今回、にとりさんが私の所に遊びに来た理由。それが「外の世界の機械が見てみたい」からだった。この前の宴会の時に「今度部屋に遊びに行く」約束をしていたのだ。
 この幻想郷では、河童さんは技術者らしい。にとりさんがいろんな道具を持っているのも、天狗さんがカメラを持っているのもそのためだった。
 機械好きなにとりさんとしては、私から聞く「外」の世界の話、そして「外」の機械についての情報は興味深いものらしかった。
 「外」から幻想郷に人や道具、機械は時々流れ込んでくる。だけどほとんどは人間の里に流れてしまい、妖怪の山には来ないそうだ。それだけに、彼女から見て「ご近所」に外の世界の私たちが一家丸ごと引っ越して来た事は、願ってもない事なのだった。

「これは何ですか?」
「あ、これは……」
 私の座っている学習机や椅子、壁に掛かっている温度計。果ては机の上の文房具まで。にとりさんが部屋の中の様々な「珍しい品物」を見つけては、ひとつひとつ質問して来る。
 私にとっては日常的に使っていたものでも、目に映るものどれもが、にとりさんにとっては新鮮なものの様だった。
 一つ一つ説明する度に、目を輝かせながら、メモ帳に記録していくにとりさん。喜んでくれるにとりさんを見ていると、私も嬉しくなって来るのだった。

 そして、いくつか質問した後……にとりさんが机の上を指さした。
「あ、あの……早苗さん。さっき廊下で見ていた赤い機械、見せて貰ってもいいですか?」
「赤い機械?」
 私は一瞬何のことか判らなかったが、にとりさんの指さす先を見て判った。
 ……さっきの携帯電話だった。
「……あ、いいですよ」
 一瞬躊躇した後、私は頷く。返事を聞いて、にとりさんの目がぱっと輝いた。
「あ、ありがとうございます! 実はさっき廊下で見てから、ずっと気になっていたんですよ」
「そ、そうですか……」
 もしかして、廊下での八坂様とのやりとりも聞かれたのかな……そんな事を気にしながら、私は携帯電話を差し出した。
「ええと、大切な物ですので、分解しないで下さいね」
「はい、大丈夫です。見るだけですから」
 まるで拝むような仕草で、両手を差し出して受け取るにとりさん。まるで宝石を見るかの様に目を輝かせながら、携帯電話を掌に乗せて眺め始めた。
「わあ、これはすごい機械ですね。……根付もかわいいです」
 蛙と蛇のマスコットがお揃いで付いているストラップを摘んで、いろんな角度から眺める。
 ストラップを一通り眺め終わると、にとりさんは続いて携帯電話本体に取りかかった。
「綺麗な赤だなぁ、こんな色はどうやって出すんだろう……」
 角度を変えて眺めては、感嘆の言葉と共にため息をつく。
「あの、そんなにすごいものですかね、これ……」
「すごいですよ!」
 私の問いかけに、興奮して答えるにとりさん。
「こんな小さな機械の中に、こんなにいろんなものが詰め込まれているんですよ! こんなすごいものがあるなんて……」
「は、はあ。そんなものでしょうか……」曖昧に頷く。
 ……でも、確かにそうかもしれない。普段何気なく使っていたものだけど、改めて考えると、「外」の世界の私にとっても、携帯電話はこんなに小さな中に様々な機能が詰まっていて、電話以外にもいろんな事ができる、とても便利ですごい機械なのだった。
「すごいです。……本当にすごいです!」
 そんな携帯電話は、初めて見るにとりさんの目には尚更新鮮でものすごい機械に映る様で、歓声を上げるその声は弾みっぱなしだった。

「……あれ?」
 しばらく携帯電話を観察していたり、メモを取ったりしていたにとりさんだったけど……暫くして、首を傾げた。
「あの、早苗さん。……さっきの画面はどこにあるんですか?」
 そう言って、携帯電話を手に取って、角度を変えながら「画面」を捜すにとりさん。携帯電話は閉じた状態なので、画面は内側だった。
「ああ、それは携帯を開くんですよ」
「……開く!?」
 にとりさんから受け取ると、私は、二つ折りになっていた携帯電話を開いて見せた。電子音ともに携帯電話が開いて、画面が光る。
「うわわっ!」日頃使っていた私にとっては何でもない動作だったのだけど、にとりさんは悲鳴を上げて、ものすごい勢いで後ずさった。
「何ですか今の音は!? そ、それに、画面が光ってますよ!? そもそも、どうしてそんな堅いものが開くのですか?」
 いちいち驚いてくれるにとりさん。本当に表情豊かで面白い人だ。見ているこちらの方が楽しくなって来る。
「ちなみに、こんな事もできますよ」
 悪戯心が出てきた私は、少し驚かそうと思って、携帯の画面を180度回して見せた。にとりさんは期待通り……いや、期待以上に、飛び上がる程驚いてくれた。
「えええええっ!? そんな事をして壊れないんですか!?」
「大丈夫です。ここはこんな感じで、回せるんですよ。やってみます?」
 手渡すと、にとりさんは震える手で恐る恐る、画面を回したり閉じたりした。慣れていく内に、次第にびくびくした態度が興奮へと変わっていく。
「すごいです。『外』の技術はこんなに進んでいるなんて……!」
 興奮した口調で、携帯電話を観察し続けるにとりさん。メモ帳に描かれたスケッチに「ここが回る」と注釈を書き込む。それからもにとりさんは、いろいろと注釈文を入れながらスケッチを取って行った。
 そして、一通りスケッチを取り終わったとき、右下に何かを書こうとして……ぴたりと筆が止まった。
「……あ、そう言えば、そもそもこれは、何をする機械なんですか?」
「えっ!?」
 にとりさんの言葉に、思わずがくっとしてしまう。これまで携帯電話とは知らないで、触ったり感動したりしていたのか……。とはいえ、確かにそう言えばその辺りから説明しないといけないのだった。

「これは携帯ですよ」
「けいたい?」
 にとりさんが聞き返す。あ、そうか。「携帯」だけだと何の事か判らないんだ。
 私はもう一度言い直した。
「携帯電話。携帯用の電話機です」
「携帯……電話!? これが電話ですか?」
 私の説明に、にとりさんが目を丸くした。
「こんなに小さいのに? ダイヤルも受話器もないのに!?」
「はい。ええと、これが本体と受話器を兼ねていて……」
 そこまで説明して、私はふと気が付いた。
「あれ? 電話は幻想郷にはあるんでしたっけ?」
「一応はありますよ」
 私の質問に、にとりさんは頷いた。
「『外』から流れて来た黒い電話を見たことがあります。……だけど、結局使い方が判らなかったんですよね」
 電話についてはにとりさんでさえ、知っているのは黒電話までの様だった。だから、いきなりこのタイプの携帯電話を見ても、何なのか判らなかったのだ。
 私は改めて携帯電話について説明した。
 この小さな機械の中に、黒電話で言うところの電話機本体と受話器が両方入っているという事。携帯電話が電話だけじゃなくて、手紙をやりとりしたり、時計を見たり、写真を撮ったりといろいろできる事。その他にも様々な機能が入っている事を話すと、にとりさんは、心底関心した様だった。
「すごいですね。外の世界ではこんな小さな機械で、そんなにいろんな事ができるのですね。やっぱり人間はすごいです。それに、写真も撮ったりもできるなんて……。天狗さんにも見せてあげたいですね」
 確かに射命丸さんたちが見たら驚きそうだ。

「……ところで、これは電話なのですよね」
 メモ帳に「けいたい電話←いろいろできる」と書き込んでから、にとりさんが携帯電話をしげしげと眺めながら言った。
「実際に電話をする所が見てみたいのですけど、見せて貰ってもいいですか?」
 ……勿論、それは無理な相談だった。でも、にとりさんは事情を知らないのだから無理も無かった。
「……すいません、それは無理です」
 私は首を横に振った。
「ええっ!? どうしてですか?」
 にとりさんが落胆の表情を浮かべる。
「……今はもう、この携帯電話では電話はできないんです。さっきいろいろ説明した電話の機能ですけど、実はもう、ここではほとんど使えなくなっちゃったんです」
「そうなんですか……」
 私の言葉に、にとりさんは携帯電話の向きを眺めながら、しげしげと眺めた。
「? もしかして、壊れているんですか?」
 うーん……と唸りながら、様々な角度から眺めるにとりさん。
「見た感じ、故障している感じには見えないですけど……。内部が壊れているとなると厄介だなぁ……」
 耳を澄まして、携帯電話を振ってみるにとりさん。たぶん壊れた中の部品の音を聞きたかったのだと思うけど……勿論、何の音もしなかった。
「うーん、開けてみないと判らないかなぁ……」
 そう言いながら、にとりさんは腰のポケットから小さな工具箱を取り出した。工具箱を開いて、中から小さなねじ回しを手に取る。
「あれ、ネジはどこにあるんだろう……?」
「わわっ、分解しちゃダメです!」私は慌ててにとりさんを制止した。
「壊れているわけじゃないんです」
「え? でも、使えない機能が多いって……」
 首を捻るにとりさん。そうか、にとりさんは、この電話が使えないのは壊れているからだと勘違いしているんだ。確かに「もう使えない」という意味では壊れた様なものなのかも知れないけど、それは分解して直せる物ではないのだ。
「ええと、その、携帯電話の機能は『外』だからこそ使えたものが多いんですよ。だから、この幻想郷では使えないんです」
「どういう事ですか?」私の説明に首を傾げるにとりさん。
「ほら、電話って、同じ物を持っている相手としか話せないでしょう? こちらでは、そんな相手がいないですから……」
 そう言うと、ようやく判って貰えたようだった。
「そうなんですか……。もし私に直せたらと思ったのですけど、残念です……」
 がっかりしてため息をつくにとりさん。けど、すぐに気を取り直したのか私に訊ねてくる。
「……せめて、他に何かできる事はないですか? 私、機械いじりだけがとりえだから、せめて、何か早苗さんのお役に立ちたいです」
 にとりさんの言葉に、私は考え込んだ。
 そんな事を言われても、ここが「外」では無い時点で、どうしようも無い事ばかりなのだけど……。
(……あ)
 一つ思いついた事があった。
 ……これなら、もしかして何とかなるかもしれない。
 そして、それは……ずっと何とかしたいと思っていた事だった。

「それなら、一つお願いがあります」
「……はい! 何でも言って下さい」その言葉を聞いて、にとりさんがぱっと目を輝かせた。
「実は、この電話……そろそろ電池が切れそうなんですよ」
 もう一度、携帯電話を開いてみる。右上に、残り一目盛りになった残量表示が映っている。
 こちらに来る日に一杯まで充電して。使わない時以外は電源を消して、節約して大切に使ってきたけど、そろそろ限界。電池が切れてしまう時も近いようだった。
 もうすぐ、この携帯電話を使う事はできなくなる。写真を……大切な思い出を見る事も出来なくなるのだ。
 だけど、機械に詳しいにとりさんなら、この幻想郷でも携帯電話を充電できる方法を知っているかもしれない。

「こちらに、携帯電話を充電できる方法ってないですか?」
「じゅうでん、って何ですか? あと、でんちって?」
 その質問に、逆に素朴な質問を返すにとりさん。それを聞いて、がっくりと気が抜けてしまう。
 この辺りの説明からしないといけない時点でいきなり期待薄になったな、と思いつつも、折角のにとりさんの好意なので、私は何とか説明する事にした。
「ええと、そうですね……」
 私は慎重に言葉を考えた。
 どうしよう。電気で……とか説明するのが一番近いのだろうけど、変な説明をすると「充電」と称して電撃を流すとかされかねないし……。
 「魔力」はどうだろう? いや、この言い方でも、携帯電話に魔力を注ぎ込まれて爆発……という展開が目に浮かぶようだ。
「ええと……その……」しどろもどろになる私。
「そ、その、元気がなくなるというか」
「元気?」
 ……私はもう一度考え込んで、言葉を選び直した。
「ええと、元気というか、そう、エネルギー。エネルギーがなくなって、道具として使えなくなるんです。で、そのエネルギーを補充する事を『充電』と言うんです」
 にとりさんがその説明にこくこくと頷く。何とか通じているみたいだった。

「その、じゅうでん、が出来たら……元気になるんですか?」
 にとりさんが、私の目を覗き込んで訊ねる。
「そうですね。携帯電話は元気になると思います」
 私の返事に、にとりさんは首を横に振った。
「いえ、そうじゃなくて。……早苗さんが、です」
「えっ?」
 その質問に思わず、にとりさんの方を見る。
「この電話にじゅうでんが出来たら、早苗さんも元気になれますか? ……早苗さんも、元気になってくれますか?」
「そう……ですね」
 突然の質問だった。いきなり何を言っているのかと思ったけど……だけど、その目を見ると、にとりさんが、真剣にこの質問をしている事が判る。
 ……少し考えて、私は頷いた。
「はい、元気になれると思います」
 もし充電ができれば、私は引き続き、携帯電話に残された写真を見ることが出来る。これからも思い出の写真を見ることができるのだ。昔の写真を見ても元気にはなれないかも知れないけど、もし見られなくなれば、私はきっと……今よりも寂しくなると思う。
「……わかりました」にとりさんが頷いた。
「それなら、何とか、じゅうでんが出来るようにしたいですね。私、頑張ります」
 にとりさんがまっすぐな目で私を見つめていた。本当に何とかしたい、という気持ちが伝わってくる。その気持ちが嬉しかった。
「お願いします、にとりさん」
 私は頭を下げた。
 期待薄ではあるけれど、にとりさんは真剣にこの携帯電話を直して、私に元気になって貰いたいと願ってくれている。私も、その気持ちに応えたかった。……そのためにも、にとりさんにきちんと判るように説明しないと。
 私も電化製品や機械関係には詳しくないけど、私の知っている中に、にとりさんの役に立つ情報があるかも知れない。私は、頭を精一杯振り絞って言葉を選んだ。
「え、ええと、『外』の世界では、この携帯電話のエネルギーになる『電気』というものがあって……」
 私がそう言うと、にとりさんはあっさり「ああ、電気ですか」と言った。
 あれ……?
「あれ? 幻想郷に電気ってあるんですか?」
「いくら何でも電気くらいはありますよ」にとりさんは頷いた。長い説明になるかと思ったけど、電気の事が判るなら話は早そうだ。
「うちの家や天狗の里にも電気が通ってますよ。今度ここにも引きましょうか?」
「本当ですか!?」
 思わぬ収穫だった。こちらに来てからは電気が無くなってしまったので、夜は蝋燭でしのいでいたけど、これで少しは夜が過ごしやすくなるかもしれない。それだけでなく、電化製品が使えるなら本当に便利になる。今度、八坂様たちにも相談してみよう。
 ……そして、この調子なら、どうやら携帯電話への充電も可能そうだ。
「どうやらお役に立てるようですね。私も嬉しいです」
 私の表情を見て、にとりさんも顔をほころばせた。

「で、どうやってこの機械に電気を流すんですか?」
「あ、それはですね……」
 私は学習机に駆け寄ると、引き出しからいそいそと充電用のケーブルを取り出した。一方がコンセントで、反対側に携帯電話に差し込む端子が付いている。
「ええと、これなんですけど……」
 持ってきたケーブルをにとりさんに見せる。
 しかし、にとりさんはその瞬間「あっ……」と小さく声を上げた。
 ……そして、さっきまで明るかった表情が、急に沈んだものに変わる。何だか嫌な予感がした。
「……どうかしましたか?」
「……ごめんなさい、早苗さん。これは、じゅうでんは無理です」にとりさんはそう言って、首を横に振った。
「ど、どうしてですか?」
 私は驚いて訊ねる。にとりさんの答えは、簡潔なものだった。
「『交流』が無いからです」
「こうりゅう?」
「これは『こんせんと』ですよね? これを使うために必要な『交流』が幻想郷には無いんです」
 そう言って、にとりさんが詳しく説明してくれた。
 電気には「直流」と「交流」があること。「直流」よりも「交流」の電気の方が作るのが難しいこと。河童の技術でも、今の幻想郷で作ることができるのは「直流」だけであること。
 今回の携帯電話もそうだけど、「外」から流れてくる電化製品はそのほとんどがコンセントから「交流」で電源を供給するものなので、「交流」が使えないために、結局幻想郷では使えないのだということだった。

「……そんなわけで、じゅうでんは無理です。すいません……」
 残念そうに告げるにとりさん。
「そんな……」
 私は、がっくりと肩を落とした。
 充電だけなら何とかなりそうだと期待が高まってきた矢先だったので、余計にショックも大きかった。
 もう、携帯電話に充電する事はできない。つまり、もうすぐ……この携帯電話を使うことはできなくなる。思い出の写真を見ることが出来なくなってしまう。
 元々期待薄ではあったけど、こうして最終的に不可能という結論を突きつけられると、その事実は私の心に重くのしかかった。

 私は充電用のケーブルを持って立ち上がった。使えないのだから……もうこんなものは必要ない。私はケーブルを握りしめた手を振り上げた。
「ごめんなさい、早苗さん。お役に立てなくて……」
 後ろから聞こえる、消え入りそうな……にとりさんの声。その声に、私は……気を取り直して、引き出しを開けて、ケーブルを放り込んだ。……本当はゴミ箱に捨てようと思っていたけど……にとりさんの前でそんな事をするのは、大人げない。
 私は、何とか気分を落ち着かせながら、にとりさんに答えた。
「にとりさんが謝る事ないですよ。これは私の事なんですから。にとりさんまで、そんなに落ち込まなくても……」
「……………」
 にとりさんは、返事をしなかった。振り向くと、俯いたにとりさんの肩が震えているのが見えた。
「そんな事ないです。私……本当に、残念で悲しいです。お役に立てなくて、本当にごめんなさい……」
 消え入りそうな、震える声。にとりさんの目には……涙が浮かんでいた。
「……にとりさん!?」
 えっ……!? 私が泣くのならまだ判るけれど、どうしてにとりさんが?
「本当に悔しいです。私は今まで何をやっていたんだろう……」
 慌てて駆け寄ると、にとりさんの目からぽろぽろと涙がこぼれ始めた。
「に、にとりさん……」
 狼狽する私に、にとりさんは涙声で、ぽつぽつと話し始めた。

「私、今日は早苗さんの役に立ちたい、力になりたいと思ってここに来ました。早苗さんに……お礼がしたかったからです」
「お礼……?」
 にとりさんの言葉に、私は首を傾げた。
「で……でも私、そんなお礼をしてもらうような事は何もしていないですよ。むしろ私の方がいつもお世話になっているくらいで……」
「そんなことないです!」にとりさんが涙声で……だけど、はっきりとそう言って、首を横に振った。
「私は、早苗さんにお礼が言いたいことが、たくさん、たくさんあります。早苗さんは……人間で、初めて私と友達になってくれた人ですから」


「……私、機械が、そして、そんな機械を作る人間の事が大好きで……ずっと、友達になりたいって思ってました」
 にとりさんがぽつり、ぽつりと話してくれる。
「でも、これまで山の中に入ってくる人間には……友達になってくれる人はいませんでした」
 絞り出す様に、小さな声でつぶやく。
「山の中に入ってくる人間は……怖い人……ばかり……でした」
 そう言うと、にとりさんは俯いて……震える手で、胸元の鍵をぎゅっと握りしめた。
「にとりさん……」

 私は……前に椛さんに話して貰った事を思い出した。
 かつては、妖怪の山に入ってくる人間は、妖怪退治の者や悪人ばかりだったこと。彼らのために、怖い思いをしたり、酷い目に遭わされたりした者も多かった事。そのために、天狗が侵入者に対して見張りを立てる様になった事。
 そして……話の最後に、椛さんに「この話は、にとりさんの前では絶対にしないで下さいね」とクギを刺された事も……。
 悲しい表情で、ただ、黙って俯いているにとりさん。私は……何も言う事ができなかった。


 しばらくして、ようやく気持ちが落ち着いたのか、にとりさんは続けて話し始めた。
「私はそれから……人間の事が怖くなってしまいました。人間は本当は悪い人ばかりじゃない。友達になってくれる優しい人間もいる。頭の中ではそう判ってても、やっぱり怖くて……山に来る人間の前に姿を見せる事も、人間の里に下りることもできませんでした」
「……………」
「……でも、そんな時でした。山の上に神社が引っ越して来たんです」
 私たちの神社の事だろうか。そう思ってにとりさんを見ると、こくりと頷いた。
「そして、その中には、人間が……早苗さんがいました」
 にとりさんが顔を上げて、私を見つめる。
「何回か、こっそりと神社を見に行って、椛ちゃんや妖怪の皆さんと仲良くお話をしている早苗さんを見て……私は思いました。この人は、優しい人間だって。この人なら、早苗さんなら、きっと大丈夫だって。私と……友達になってくれるかもしれないって」
「椛ちゃんも、早苗さんはいい人で、悪い人間じゃない。きっと仲良くなれるよって教えてくれました。……でも、やっぱり勇気が出なくて、なかなか声を掛ける事ができませんでした。……そんな時に、八坂の神様が宴会に呼んで下さったんです」
「……八坂様が?」
「はい」にとりさんは頷いた。
「八坂の神様は私に声を掛けてくれて、『どうか早苗とお友達になってあげてね』と言ってくれました。……だから、私も勇気を出してお話しようと思ったんです」
(八坂様……)
 あの頃は、私も幻想郷に来たばかりで心細かった頃だった。そんな時に、椛さんやにとりさんと友達になれたから、これまで何とかやってこれたと思う。
 八坂様……私のために、そしてにとりさんのために、そんな事もしてくれていたんだ……。

「でも、宴会の時も、やっぱり怖くて……私は思い切って、お酒を飲んで、その勢いでお話する事にしました。……もし嫌われたらどうしようと心配でしたけど、そうでもしないと勇気が出なかったんです」
 私は、初めてにとりさんと話をした時の事を思い出していた。声を掛けられて、いきなりぎゅっと抱きつかれたのだった。あの時はびっくりしたけれど……にとりさんには、そんな思いがあったんだ……。
「でも、早苗さんはそんな私を嫌ったりせずに、仲良くしてくれました。そして、友達になってくれました。……嬉しかったです。本当に嬉しかったです」
 確かにあの時、にとりさんはお酒を飲んで絡んできたのだけど。でも、何かが、ただお酒を飲んで絡んで来る人たちとは違う気がしていた。……あれは、にとりさんのそんな思いがあったからだったんだ。
「私にも、友達が。人間の友達が出来た。人間が友達になってくれた。……本当に嬉しかったです」
「にとりさん……」
「人間も、怖い人ばかりじゃない。本当はやっぱり人間は優しくて、私たちの友達なんだ。早苗さんが、その事を教えてくれました。それが、本当に嬉しかったです」
「だから……早苗さんには、どれだけお礼を言っても言い切れません」
 涙を流しながら、にとりさんが笑顔を浮かべる。
 ……だけど、その笑顔はすぐに、暗いものに変わった。

「……でも、しばらくして私は、気が付いてしまいました。……その早苗さんが時々、悲しそうな……辛そうな顔している事に」
 にとりさんがそう言って、私の顔を見上げた。
「……それから私、ずっと思ってました。私も、早苗さんのために、何とかできる事はないかって。何か力になれる事はないかって」
「……………」
「もし外の世界の事で悩んでいるなら……そしてもし、それが機械が使えない事だったら、私の力で何とかしたい、力になりたい。……そう思って、今日はここに来たんです」
 私はこの前の宴会で、にとりさんと約束した時の事を思い出していた。
「余計な事を言って嫌われたらどうしようか心配だったけど、それでも、早苗さんのために、何かがしたかったんです」
 ……あの時も、酔っぱらったにとりさんが「今度うちに遊びに来てもいいか」と聞いてきたのだった。酔った勢いでの好奇心からだと思っていたけど、そうじゃ無かったんだ。
 にとりさんは……私のことを心配してくれて、私のためになりたいと思って、勇気を出して言ってくれていたんだ。

「……でも、やっぱりダメだったみたいですね」
 そう言って、にとりさんが俯いた。
「自分がこれまで頑張って来た事で、初めて、人間の……友達の役に立てて、友達の笑ってくれる顔が見られると思っていたのに。私……早苗さんのために、何のお役にも立てないのですね」
「早苗さんのために、私、何も……できないのですね」
「にとりさん……」
 にとりさんの目から、押さえきれなくなった涙が、ぽろぽろとこぼれていく。その姿を見て……私は胸が締め付けられる様だった。

 私は……どうして、気が付かなかったのだろう。
 携帯電話の写真を見て、もう戻らない昔の事ばかりを思い出して……。
 私は、一体何をやっていたんだろう。
 この幻想郷にも、すぐ近くに、こんなかけがえのない友達がいるのに。
 こんなに私の事を思ってくれて、こんなに私の事を心配してくれる、こんなに私の事を大切にしてくれる友達がいるのに。私のために涙まで流してくれる友達がいるのに。
 ……それなのに。私は……どうして気が付かなかったのだろう。

「……にとりさん」
 私は、にとりさんの手を取った。そして、初めてにとりさんと会ったあの日のように……その身体を、ぎゅっと抱きしめた。
「……心配かけてごめんなさい、にとりさん」
「早苗さん……」
 抱きしめた腕に思いを込めて、ぎゅっと力を込める。
「そして、本当にありがとう……」
 嗚咽の声と共に、にとりさんも、しがみつくようにして私に抱きついてくる。
 ……にとりさんが落ち着くまでの間、私は、ずっと……にとりさんを抱きしめていた。

 にとりさんの身体の温もりを感じながら、私は、手の中の携帯電話をじっと眺めた。
 ……確かに、この中には大切な思い出が残っているけど。
 今の私にとって本当に大切なものは、この中ではなくて……目の前にあるのに。
 思い出は、これからも作って行く事ができるものなのに。
 私は……どうして気が付かなかったのだろう。


 ……携帯電話を撮影モードにして画面を覗き込むと、そこには、にとりさんの姿が映っていた。
 私のことを本当に心配してくれて、大切に思ってくれる……私のために涙を流してくれる、大切な友達の姿が映っていた。
(……うん)
 私は心の中で頷いた。
 もう電池も残り少ない携帯電話。充電する事は出来なかったけど、でも、まだ残された電池でできる事は残っている。その使い道が、私の中で決まった。
 ……いや、違う。
 にとりさんが、この携帯電話の正しい使い方を……教えてくれたんだ。

「……にとりさん、こっち向いて」
「……えっ!?」
 にとりさんに呼びかけて、シャッターを押す。かしゃりという音に、俯いていたにとりさんが驚いて私の方を見た。
「……ほら、にとりさん。見て下さい」
 私は、撮影した画像をにとりさんに見せた。
「にとりさん。……これが、私が幻想郷で撮った最初の写真です」
 そこには、涙をたたえた目で私を見上げる、にとりさんが写っていた。
「この幻想郷で出来た、大切な友達を撮った写真です」
「早苗さん……」
「にとりさん、私、信じてますよ」
 私は、にとりさんの手を取った。
「にとりさんなら、きっといつか、この携帯電話を充電する方法を見つけてくれるって。……必要な『交流』も、見つけてくれるって」
 繋いだ手から、温もりが伝わって来る。
「だけど、たとえ機械が直せなくても、一緒にいてくれるだけでも、それでも……にとりさんは私にとって本当に大切な、大好きな友達です」
 にとりさんの目から、また、涙が溢れ始める。だけどそれは……さっきまでとは違う、暖かい涙だった。
「早苗さん……ありがとうございます……」
 もう一度、私の胸ににとりさんが飛び込んでくる。私はその身体を……しっかりと抱きしめた。

 これまで、私がこの携帯電話の中にしか残っていないと思っていたもの。そして、私が元気を取り戻すために必要なもの。
 そのどちらも……本当は、私は既に持っていたんだ。
 エネルギーを、元気を取り戻すために必要なものも、そのために必要な「交流」も。
 携帯電話にとって必要なものは、見つからなかったけど……。
 でも、私にとって必要なものは、今まで気が付かなかっただけで、本当はもう、既に目の前にあったんだ。

「にとりさん」
 私は、にとりさんの手をしっかりと握りしめた。
「私、できれば、にとりさんの笑顔の写真が撮りたいです」
「笑顔の友達の写真が、撮りたいです」
 そう言って、携帯電話を向ける。
「だから……笑ってもらっても、いいですか?」
 私の言葉に、にとりさんは、涙をごしごしと袖で拭って……にっこりと微笑んでくれた。
 その姿を画面に収めて、シャッターを押す。
 ……私が幻想郷で撮った二枚目の写真は、笑顔のにとりさんの写真。笑顔を浮かべる友達の写真だった。
「にとりさん。私、この写真……ずっとずっと、大切にしますね」
「……はい!」
 にとりさんが頷く。その目にはもう……涙は無かった。

 ……ふと耳を澄ますと、境内から声が聞こえてきた。
 聞き覚えのある声。ちょうど、私が一緒に写真を撮りたいと思っていた人たちの声だった。
 私とにとりさんは、どちらともなく顔を見合わせて……そして、にっこりと頷き合った。

 境内に出ると、射命丸さんと椛さんが来ていて、諏訪子様と何やら話し込んでいた。どうやら何かの取材の様だった。
 三人とも、まだ私たちには気づいていない。私は携帯電話を構えて、こっそりと三人に近づいて……シャッターを押した。
「えっ?」「あぅ?」「あやややや!?」
 その音に三人が一斉に振り返った瞬間に、シャッターが落ちる。
 画面を見ると、びっくりして振り返る三人の姿が写っていた。
「な、何ですか!?」
「こんにちは、椛さん、射命丸さん。いい写真が撮れましたよ」
 改めて挨拶して、三人に携帯電話の画面を見せる。
「こ、これ、写真機ですか?」
 射命丸さんが驚きの表情を上げる。さすがに日頃使っている事もあってか、すぐに判るようだった。
「あ、やややや……この写真は……」
 ……いつも撮影している側なのに、いざ自分が写されると、その写真写りに狼狽する射命丸さん。びっくりして振り返っている三人の写真のうち、射命丸さんが一番驚き顔で面白い表情になっていた。
「す、すいません、ポーズを取り直すので、もう一枚お願いします」
 そう言って、服装を整えて、頼んでもいないのに鳥居を背にきっちりとポーズを取る。
 リクエストに応えて、もう一度写真を撮り直す。画面を見ると、格好いい……と本人が思っているポーズを取った射命丸さんが写っていた。
「どう、椛ちゃん、私の写真は」
 自慢げに椛さんに写真を見せる射命丸さん。「外」でもこんな子がいたなぁ……。そんな事を思い出して、私はくすくすと笑った。


「あの、私もその写真機、使わせて貰ってもいいですか」
「いいですよ。私たちも撮ってください」
 射命丸さんに携帯電話を手渡す。簡単に使い方を説明すると、写真機を使い慣れている事もあって、すぐに覚えてくれた。
「じゃあ、まずは早苗さんの写真から撮りましょうか」
「はい、お願いしますね」
 私は、にとりさんと椛さんを呼んで、三人一緒に写真に撮って貰った。

「……あら、写真の撮りっこをしているの?」
 何枚か写真を撮り合いっこしていた私たちに、後ろから声が掛けられる。
 振り向くと、八坂様が本殿から出て来ていた。
「八坂様」
「一緒に写ろうか、早苗」
「はい! 射命丸さん、お願いしますね」
 射命丸さんに頼んで、私と八坂様、二人揃っての写真を撮って貰う。
 写真を見ると、画面の中で私と並んで、八坂様が優しい表情で写っていた。「外」では八坂様たちは写真に写らなかったけど、幻想郷では神様でも写真に写るようだった。
 ここでは、私も、八坂様と……家族と、同じ写真に写る事ができる。その事が嬉しかった。
「あうー、神奈子ばかりずるいよ。私も早苗と一緒に撮るんだからね」
 後ろで見ていた諏訪子様が、やきもちを焼いたのか文句を言う。
「……それじゃ、三人で撮りましょうか」
 私がそう言うと、諏訪子様は笑顔で頷いた。

 私たちは、改めて、射命丸さんに三人揃って写真を撮って貰った。
 ……家族三人揃っての、私たち一家の初めての写真だった。
「嬉しいよ、こうして早苗と同じ写真に写る事ができて」
 八坂様の言葉に、私も頷いた。
「……私もです。八坂様」

 そんなやりとりをしながら、お互いに、何枚も何枚も写真を撮っていく。
 シャッターの音と共に、幻想郷での思い出が写真となって、次々と切り取られていく。
 幻想郷での守矢の神社の風景が。
 私がみんなを撮った写真が。
 みんなが私を撮った写真が。
 そして、みんなが私と一緒に映っている写真が。
 大切な家族との、そして大好きな友達との、大切な思い出が、一枚、また一枚と写真となって残っていった。


 ……夢中になって写真を撮っているうちに、ふと見ると、電池表示の最後の一つが点滅していた。もうそろそろ、電池も限界が近い様だった。
 最後に、電池が切れてしまう前に……私には、撮っておきたい写真があった。

「あ、あの、すいません」
 私は精一杯の大きな声で呼びかける。みんなが一斉に、こちらを振り向いた。
「あの、私……全員で写真が撮りたいです」
「皆さん揃っての写真が撮りたいです」
「……撮らせてもらっても、いいですか?」
 私の願い。
 「外」での最後の日。あの日に、あの時に言えなかった願いを、一言ずつ、絞り出す様にして口にする。
 ……私の言葉に、
「「もちろん!」」
 みんなは満面の笑みを浮かべて答えてくれた。

 私はみんなの方を向いて、携帯電話を構えた。
 神社の本殿前に、みんなが揃って並んでいる。八坂様が。諏訪子様が。椛さんが。にとりさんが。そして射命丸さんが並んで、笑顔を浮かべていた。
「準備おっけーですよー!」射命丸さんが手を上げる。
「……それじゃ、撮りますね」
 画面の中にみんなが揃って立っている事を確認して、私はシャッターに指を掛けた。

「……………」
 みんな、私がシャッターを押すのを待っている。
 ……だけど、何故だか私の指は、シャッターに掛かったまま動かなかった。
「さなえー、どうしたの?」諏訪子様の呼びかける声が聞こえる。
 もう一度、画面を見る。
 画面の中に、みんなが揃っている。
 今の私にとって大切な人たちが。私の家族が、私の友達が。私の大好きな人たちが揃っている。

 ……うん、そうだよね。
 今、シャッターを押せば、全員が揃った写真を撮る事ができる。
 みんなが、写真に写ることを楽しみにして待っているのだから。
 ……だから、今、私が思っている事は贅沢な事だよね。
 こうして、みんな揃っての写真が撮れるのだから、それだけでも十分、幸せな事だよね。
 ここで私が……我が儘を言うことはないよね。
 私は自分にそう言い聞かせて……シャッターに掛けた指に力を込めた。

 その時。
「……あ、早苗、ちょっと待って」
 八坂様が突然大声を上げて制止したので、私は慌ててシャッターから指を離した。
「……………?」
 見ると、八坂様達と射命丸さんが顔を見合わせて、何か話している。
 どうしたのだろうと思っていると、やがて、射命丸さんが笑顔で頷いて……こちらに飛び出してきた。

「……私が撮りますよ、東風谷さん」
 駆け寄ってきた射命丸さんが、私に手を差し出した。
「だから、東風谷さんも、あの中で一緒に写っちゃって下さい」
「えっ!?」
 思わぬ言葉に、私ははっとして射命丸さんを見た。
 射命丸さんの言葉は嬉しいけど。でも、そうすれば、射命丸さんは……。
「……本当にいいんですか?」
「構いませんよ。それが私の仕事ですからね」
 私の問いかけに、射命丸さんはにっこりと微笑んだ。
「……それに、写っている人も、そして写す人も。みんなが笑顔のいい写真を撮る事は、私にとっても嬉しいことですから。……自分が写真に写る事よりも、ね」
 そう言って、射命丸さんは片目を瞑ってみせた。
「で、でも……」
「早苗ー! ほらほら、早く早く!」
 八坂様が大声で私を呼んで、手招きしていた。
「ほら、皆さんも呼んでいますよ。こういう時は、素直に好意に甘えるものです」
 射命丸さんがもう一度、手を差し出す。
 私は……その手にしっかりと、携帯電話を手渡した。
「……ありがとうございます!」
 私はお礼を言って……みんなのところに駆けだした。

「早苗さん、ここです」
「ほら早苗、ここに入って」
「待ってたよ、早苗」
 みんなが待ってくれている。私は、みんなが開けてくれていた……輪の真ん中に駆け込んだ。

 私は、射命丸さんの方を振り向いた。
 射命丸さんが携帯電話を構えているのが見える。
 撮影に備えて、私は瞬きを我慢して……ぴんと背筋を伸ばした。
「……………」
 でも、射命丸さんはなかなかシャッターを押さない。
 いったい、どうしたんだろう? そう思っていると、射命丸さんが呼びかけた。
「あ、すいません、入りきらないので、もう少し真ん中に寄ってくださいー」
 あれ、さっき見たときには全員が画面の中に収まっていたけど……?
 疑問に思ったとき、諏訪子様が呼びかけた。
「それじゃみんな、早苗のところに詰めようか」
「はーい!」「はい」「うん、そうだね」
 みんながそう答えて……一斉に私にくっついて来た。
「わっ、わっ……」
 私が驚く間もなく、八坂様が、私の右側から、私に抱きつくようにして、肩に手を回してくる。そして、それに合わせて、椛さんと諏訪子様が両横から私にしがみついて、腕に手を回した。
「やっぱり、みんな一緒の写真なんだから、こうやってくっつかないとね」
 八坂様がそう言いながら、肩に回した腕にもう一度ぎゅっと力を込めて、私の顔にほっぺたをくっつけた。
「……ね。早苗」
 そう言って、私に片目を瞑って見せる。
「……はい!」
 その言葉に、私は……力一杯、頷いた。
(……ありがとうございます、八坂様)
 みんなから、温もりが伝わってくる。大切な人たちと触れ合っている、その温もりが伝わってくる。
 その事が嬉しくて……私も、みんなの身体を、しっかりと引き寄せた。

 ……そして。
「……ほら、にとりさんも」
 私は、遠慮がちに私の左後ろに立っているにとりさんに、そっと手を差し出した。
「は……はい……」
 にとりさんが私の側にそっと寄ってきて……遠慮がちに、伸ばした私の手を握る。
 繋いだ手から、温もりが伝わってくる。大切な友達の、手の温もりが伝わってくる。
 私は、その手をしっかりと握り返して……力一杯、側に引き寄せた。
「わわっ……」
 少し慌てた声を上げるにとりさん。だけど、その顔は……本当に嬉しそうだった。


「それでは撮りますよー!! 笑って下さいー」
 射命丸さんが声を上げる。

 私は、できるだけの笑顔を出そうとした。
 ……いや、笑顔を出そうと意識する必要は無かった。本当に嬉しくて……心の底から自然に、とびきりの笑顔がこぼれていた。


 かしゃっ、と小気味のいい音がして、私たちのいる景色を切り取った。


「いい写真が撮れましたよ」
 駆け寄ってきた射命丸さんが携帯電話を差し出す。私たちは、その画面を全員で覗き込んだ。

 私たちが今、幸せに過ごしている、この守矢の神社を背景に。
 私の大切な人たちが、大好きな人たちが……みんな揃って、寄り添って写真に写っていた。
 八坂様が。諏訪子様が。椛さんが。……そして、にとりさんが。
 ずっと、私の事を見守っていてくれた人たちが。そして、こちらで出来た大切な友達が。みんな、笑顔で並んで写っていた。
 そして、その中心には……みんなに囲まれて、笑顔で立っている私がいた。

 これが、今の私にとっての……最後の写真だった。

「……いい写真ですね」
 携帯電話を私に手渡す射命丸さん。その言葉に……
「……はい!」
 私は、笑顔で頷いた。


 射命丸さんから携帯電話を受け取って、私は、そっとボタンを押した。
 画面に「保存しました」と表示が出て……次の瞬間、ふっと画面が暗くなった。電池が切れたのだ。
「消えちゃいましたね……」
 にとりさんが残念そうな表情を浮かべる。

「……いいえ、消えてなんかいませんよ」
 そう答えて、私は携帯電話の画面を見つめた。
 もう何も写さない、真っ暗な画面。
 ……だけど、私の大好きな景色は。
 そして、大切な人たちとの、かけがえのない思い出は……。

「ずっと、ずっと、この中に……残っていますから」
 私は携帯電話を畳んで……目を閉じて、そっと、胸に押し当てた。

 これまでずっと感じていた、胸の中で心を締め付けていた、何か。
 気が付けば、それはもう消えていて……その代わりに、とても暖かい何かで、一杯に満たされていた。

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