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2008年4月20日 (日曜日)

東方諏訪旅行記-7 諏訪大社上社本宮

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 [上:mixi版/下:守矢神社版]

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 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2008/04/post_d107.html

 さて、今回はいよいよ諏訪大社に。まずは、諏訪大社上社本宮です。
 ここは、諏訪大社四社でも一番大きく、そして(多分)参拝者も一番多いです。

■蛙狩「蛙は口ゆえ蛇に呑まるる」
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(写真1:大鳥居)

 ちょっと判りづらいですが、大鳥居にある石橋の所で、「御手洗川」という細い川を渡っています(幅1m程のかなり細い川…というより水路という感じです)。毎年元旦に「蛙狩神事」が行われている所ですね。この川の氷を割って蛙二匹を捕まえ、弓矢で射て新年最初の贄として神前に供えるものです。毎年必ず蛙が見つかる事で知られ、「諏訪の七不思議」の一つでもあります。
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(写真2:「諏訪大社上社本宮」看板)

 まず目に入るのが、やっぱり巨大な御柱。前回触れたように、御柱は諏訪のあらゆる社にあるのですが、やはり本家。大きさは群を抜いています。

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(写真3:御柱。「本宮二之御柱」)

 そして、もう一つ驚かされるのが、「生きている木」も巨大な事です。写真3を見ると「あれ?横の木と比べるとしょぼいのでは…」と一見思うのですが、実はそうでは無いのです。オンバシラもものすごく太くて大きいのですが、境内に立っている木そのものが更にもの凄い巨木なのです。境内には、こうした巨木が何本も立っており、この神社の歴史の古さ、信仰の深さを感じさせます。

 さて、一通り眺めた所で、東方系を中心に、いよいよ本宮の様々な場所を見ていきます。先ほどの二之御柱の横を通って、「入口御門」と呼ばれている建築物を通って行きます。
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(写真4:入口御門)

 この建物は、文政年間(1830年頃)に建立されたものです。写真の角度のために「普通の古い建物」としか映っていないのが残念ですが、実際には随所に彫刻が施されています。この入口御門だけでなく、今回旅行で立ち寄る諏訪大社の建築物はどれも非常に凝った彫刻が施されており、目を愉しませてくれます。実際に現地で見てこそ味わえる芸術だと思いますので、現地に行かれた際は、是非ともこうした彫刻にも注目して見ていただきたいと思います。

■奇祭「目処梃子乱舞」
 さて、入口御門を歩いていくと、左手に「御柱祭」の展示スペース(のようなもの)があります。
 その中で、目を引くのが、御柱祭で柱を引く際の太い元綱。そして、何と言っても紅白の棒…「目処梃子(めどてこ)」です。「目処梃子乱舞」の元ネタですね。
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(写真5:目処梃子)

 この目処梃子は、御柱祭の時に実際に使われたものが展示されています。「木落し」(「御柱祭」の時によくテレビで流れる、木に乗って坂を下るやつですね)の際に、この目処梃子を御柱の先端に取り付け、そこに人が乗って下り降ります。
 文章の説明では判り辛いので、写真を…

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(写真6:目処梃子装着!)

 …この写真で、V字型になっているのが装着された「目処梃子」です。この状態で坂を滑り降りるのですよ。すごいっすね。そりゃ死者も出るわ…。
 実際の風神録では、後ろからV字型の弾がせりあがって来るわけですが、まさにこの写真みたいな感じですね。見事に再現されています。

■天流「お天水の奇跡」/天竜「雨の源泉」
 入口御門を抜けて、続いて目に付くのが、この建物です。「天流水舎」。
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(写真7:天流水舎)

 この建物の屋根上の穴から、どんな天候であっても一日三滴以上の雫が落ちてきて井戸に溜まる…というもので、「お天水」と呼ばれています。
 また、この水を持ち帰って雨乞いをすると必ず雨が降ると言われている、奇跡の水です。「お天水の奇跡」ですね。
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(写真8:お天水説明看板)

 少し前まで雨だった事もあり、「お天水」がひょっとしたら見られるかも…と期待していたのですが、建屋は閉ざされており、中はよく判りませんでした…。よく覗き込むと、屋根裏から水が落ちてくる筒?みたいなものは見えたのですが…。
 この「お天水」、天竜川の源泉とも言われています。実際には天竜川の源流は諏訪湖そのものなので、ここから諏訪湖に流れ込んだ「お天水」が更に天竜川の源泉になっているという事でしょうか。

■忘穀「アンリメンバードクロップ」
 さて、続いて目に入ってくるのが…何もないのに、囲われている謎のスペースです。
 …ここは、かつて「筒粥神事」が行われていた場所なのです。
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(写真9:筒粥神事跡)

 現在私たちが目にする諏訪大社の「筒粥神事」は下社で行われているものです(後日、下社の回で紹介しますが、こちらはまだ残っています)。上社でもかつては行われていたのですが、文政二年(1819年)に廃れてしまい、現在では行われていません。この写真の様に、かつて行われていた跡だけが残っているだけです。
(よく見ると、苔むした建屋の跡っぽいのが見えたのですが…写真には写っていませんね)
 この、上社での「筒粥神事」。いろいろと調べてみたのですが、何故廃れたのかは良く判りませんでした。廃れたのが1819年なのですが、先ほど紹介した「入口御門」はその約10年後(1830年)に建立されていますし、例えば信仰が薄れた等は無かったと思われます。こちらの筒粥神事では「蛇」を筒を炊く燃料として使っていたりと、現在下社で行われているものとは違った形の様ですね。見られないのが残念です。


■土着神「七つの石と七つの木」
 さて、諏訪大社上社本宮の東方系名所の最後を飾るのが、「七つの石と七つの木」(の一部)です。
 この「七石七木」。ミシャグジ様が宿るとされ、かつては上社の神事としてそれぞれを回っていた様です。
 で、現在はどうなっているのかというと…「七石」は所在が不明だったり、どの石か諸説別れていたりしますし、「七木」に至ってはほぼ現存していません。そんなわけで、「七つの石と七つの木」で実際に見られるのは、「七つの石」のうち、所在がはっきりしているもののみという状態です。
 そして、「七つの石」の内、二つがここ、諏訪大社上社本宮にあります。「硯石」と「御沓石」です。
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(写真10:御沓石)

 写真は、本宮の「一の御柱」。この左後ろに見えている苔むした石が「御沓石」(おくついし)です。見ての通り、他の史跡とは異なり、説明の立看板が無いので、ぱっと見気づかないので注意が必要です。神の乗った騎馬の足跡が残っている事から、この名前がついています。

 そして、もう一つが「硯石」なのですが…。実は、この硯石、一般では入れない場所にあります。
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(写真11:現地にある立看板)

 写真は現地の案内図ですが、「硯石」は案内図で言うと中央の上部分…斎庭に面した所にあります。一般の人が入れるのは手前の拝礼所までで、その奥である斎庭に入るには、お祓いをお願いする等、中に入る用事が無いと入ることができないのです。
 そんなわけで、硯石については断念したのですが…、その後ネット等でいろいろと調べてみると、直接近くに行くのは無理としても、遠くから見られるポイントが何カ所かあるようですね。調査不足で見ることができず、残念です…。

■開宴「二拝二拍一拝」
 スペカ名は「開宴」ですが、今日の日記ではこれが最後の項目となります。
 さて、一通り東方系の史跡を見たところで、最後に忘れずにやらなければならない事があります。
 …言うまでもなく、「参拝」です。折角来たのですから、忘れずに神様にご挨拶を。
 参拝所に注意書きがありますが、勿論、諏訪大社での参拝は、「二拝二拍一拝」です。
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(写真12:二拝二拍一拝)

 参拝を終えたら、社務所にて参拝を証する「ご朱印」をいただきましょう。
 諏訪大社発行の御朱印帳を持参して社務所に差し出すと、御朱印をいただく事ができます(朱印帳が千円、御朱印が五百円)。
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(写真13:諏訪大社の御朱印帳。博麗神主…じゃなく、「諏訪大社」の印があります)
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(写真14:いただいた御朱印)

 後、絵馬も参拝所の横に掛かっています。折角遠方から来たことですし、願い事を絵馬にしたためるのも一興ではないでしょうか。
(風神録が出てから半年しか経っていないのに、東方系の、所謂「痛絵馬」が既に数枚掛かっていました…。描かれているのが八坂様よりも圧倒的にケロちゃんの方が多くて吹いた。)


 かなり東方系史跡が多くて長くなってしまいましたが、諏訪大社上社本宮編は以上です。次回は、茅野までの道を戻り、諏訪大社上社前宮に向かいます。

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