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2008年5月27日 (火曜日)

「おそなえ」(東方:守矢一家/東風谷早苗SS)

「おそなえ」
(東方Project 守矢一家/東風谷早苗SS)
(初出:H20.5.18 「東方創想話」作品集54に投稿)

「……何か欲しいものはない? 早苗」
 八坂様が、突然そんな事を言いだした。
「どうかなさったのですか、突然?」突然の言葉に聞き返すと、おこたの向かい側で八坂様はこくりと頷いた。
「ほら、こっちに来てから大分経って、ようやく落ち着いて来たじゃない」そう言いながら、盃にお酒を注ぐ。
「そうですね。最近やっと落ち着いて来ましたかね」

「外」からこの幻想郷に引っ越して来てから、随分経った。ここに落ち着くまでの一悶着や、その後続いた神事と、それに名を借りた宴会の数々。初めての事ばかりで大変だったけど、何とかこなすことができたと思う。
 この前の御頭祭で、こちらに来てから初めてになる神事の数々も、主要な物はほぼ一通り済ませることができた。今度からは二年目に入る。みんなもうちの神事を覚えたくれた事だし、これまでよりはずっと楽になるだろう。一大イベントの御柱祭が数年後にあるのが少し頭が痛いけど、きっと上手くいくと思う。
 これからは私たちにとっても、そして幻想郷のみんなにとっても、守矢の神社で行われる神事の数々は物珍しい特別なイベントではなく、毎年行われる日常的な季節の行事へと変わっていくのだろう。それは、私たちの存在が幻想郷に馴染む事。そして……私たちが本当の意味で幻想郷に受け入れられる事に他ならなかった。

「……と、いうわけで、これもみんな、早苗が頑張ってくれたおかげだと思うの」
「ええっ!?」
 八坂様の言葉に、私は慌てて手を横に振った。
「わ、私、何もしていないですよ。これも全て、八坂様たちの神徳があってこそです」
「こんな時まで気を遣わなくてもいいの」
 八坂様がそう言ってぐっと盃を傾ける。
「そうそう」その横で、諏訪子様も頷く。諏訪子様の方は、お酒よりも食い気らしく、おそなえ物のおはぎを手づかみで次々と口に放り込んでいた。
「……諏訪子様、そんな勢いでお食べになって大丈夫ですか?」
 心配して声を掛けたが、諏訪子様はけろっとしたものだった。
「大丈夫、大丈夫。何しろ神様だからね」
「理由になってませんよ……」
 私が呆れるのも構わず、ばくばくと食べ続ける諏訪子様。あんな勢いで食べて、きな粉が喉に詰まらないのだろうか。そんな事を思いながら、その様子を眺める。
「あ、それは……」
 ふと、そのおはぎが何だったのかを思い出して、私は声を出した。
「……へ?」その声に、一瞬だけ諏訪子様の動きが止まる。
「いえ、そのおそなえは食べても大丈夫かなと……」
 諏訪子様が食べているのは、麓にある博麗神社の分社から回収してきたおそなえ物だった。うちの神社のおそなえ物とお賽銭は毎日回収しているのだけど、博麗神社にはほとんどおそなえもお賽銭も無い(個人的には、霊夢が横領……というか、つまみ食いしているとにらんでいるけど…)事もあって、回収は数日に一度の巡回の時なのだ。
 つまり、このおはぎは、数日経ったものかもしれないのだ。夏にはまだ早い今の季節、それほど神経質にならなくても大丈夫かもしれないけど、痛んでいないかはやっぱり心配だった。
「だいじょーぶ、だいじょうぶ。同じ味だよ」
 私の心配をよそに、さらにもう一つおはぎを口に放り込む諏訪子様。

「それより、さっきまでの話だけど」
「は、はい」
「今、私たちがこうしてこっちでのんびりできるのも、早苗のおかげだと思うの。ね、神奈子」
 改まって言う諏訪子様。その横で、うんうんと頷く八坂様。
「そ、そんな事ないです…」
「いやいや。みんな、早苗が頑張ってくれたおかげだよ」
「そうそう。私たち、早苗が頑張ってくれているのを、いつも見てたよ」
「そ、そんな…」
 私は赤面しながら、誤魔化すようにお猪口を手に取って、お酒を口に含む。
 半分ほどになったお猪口を見て、すかさず八坂様がお酒を継ぎ足してくれた。
「あ、ありがとうございます…」
「ん」
 八坂様が小さく頷いて、酒瓶をどん、と置いた。「億寿」と書かれたラベルが見える。美味しいお酒だけど、飲み過ぎない様にしないと。
 気を付けてちびちびと飲んでいたけど、もう身体が暖かい。お酒に酔っているのか、それとも八坂様たちの話を聞いた影響だろうか……多分両方だろう。
 そんな事を考えていると、八坂様がずいと身体を乗り出して来た。
「あのね、早苗」
 八坂様が、じっと私の目を見つめる。思わずどきどきした。
「は、はい」
「私はね。『外』の世界を見限った事。そして、この幻想郷に来た事。それ自体は後悔していないの。……あのままあちらにいても、先は無かったからね」
 自分の盃にお酒を注ぐ。
「だけどね。……早苗に苦労を掛けた事だけは、後悔していたんだ」
 手に載せた盃をくるくると回す。お酒が波打って、盃の中で波紋を描いていた。
「八坂様……」
「向こうの生活を全て捨てて、友達とも別れて。そして慣れないこちらに来て、いろいろ大変な事が続いて」
「……………」
「早苗なら大丈夫だと、きっと乗り越えてくれると信じていたけど。きっと大丈夫だって諏訪子と相談して、この道を選んだけど」
「それでも、早苗に苦労を掛けてしまったのは、早苗に辛い思いをさせてしまったのは……私たちも辛かったんだ」
「八坂様……」
「早苗はきっと乗り越えてくれると信じていたけど。だからこそ、その事に甘えてしまったのは、私も諏訪子も本当にすまないと思ってる」
 八坂様の言葉に、隣に座っている諏訪子様も頷く。
「……ごめんね、早苗」
「そんな事ないです!」
 私は、思わず立ち上がっていた。
「私も、信じて下さっている方がいたから。八坂様が、諏訪子様がいたから、頑張れたんです。お二人のために、頑張れたんです」
「早苗……」
「住む場所は変わってしまいましたけど、それでも、お二人の側に居られて、私、本当に嬉しいんです。だって、八坂様は、諏訪子様は、私の……大切な、その……」
 家族、と言いかける。けど……それは神に仕える風祝の身で言っていい事じゃない。私は言葉を飲み込んで、もう一度言い直した。
「私の大切な……神様なのですから」
「……そうだよね」諏訪子様が私を見て頷いた。
「私たちの大切な家族だからね、早苗は」
「! 諏訪子様……」
 諏訪子様の言葉に八坂様が頷いて、手を伸ばして私の掌を握りしめた。
「だから、だからこそ、私たちは早苗にお礼が言いたいんだ。本当にありがとう、早苗」
「八坂様…」
「ありがとね、早苗」
「……諏訪子様……」
 お二人の言葉が、心に染み渡ってくる。
 確かに、この幻想郷に来たときにはいろいろあったけど。初めは辛いことも多かったけど。今は、もう大丈夫。
 こちらでは不便な事も多いけど、今では充実した毎日を送らせて貰っている。
 こちらでも友達ができたし、何より、いつもお二人が側にいてくれる。
 「外」にいたときよりも、むしろ今の方が満たされていると思う。
 だから、本当は私がお二人に感謝しなければならないのだけど。それでも、お二人のお気持ちが本当に嬉しかった。
 私の大切な神様が、こんなに私の事を見てくれている。私の事を思ってくれている。こんなに私の事を気に掛けてくれている。こんなに嬉しい事は無い。

「……だから、私たちに何かプレゼントさせて貰いたいの、早苗」
「何か、願い事や、欲しい物はない? 私たちに出来ることなら、何でも叶えてあげるよ」
 お二人は、私をじっと見ながら言った。
「あ…ありがとうございます。ご褒美がいただけるなんて、嬉しいです」
「ご褒美、じゃないよ。早苗」
 八坂様は首を横に振った。
「私たちは、早苗にお礼がしたいの。だから、『ご褒美』じゃなくて『お礼』」
「は、はい、ありがとうございます」
 八坂様の言葉に、私は、胸が熱くなるのを感じていた。
「遠慮しなくていいから、欲しいものを言ってごらん」
「神様に直接願い事が言えるなんて、めったにないよ」
「こらこら」少しだけふざけた口調で言う諏訪子様を窘める八坂様。でも、私を見るお二人の目は、とても優しかった。
「は、はい。考えてみます……」
 私は、気恥ずかしさを誤魔化すためか…それとも、勇気を出すためか…とにかく、お猪口に手を伸ばすと、きゅっと一気に流し込んだ。
 お酒のせいか、胸がほかほかと暖かい。

(願い事、か……)
 普段の事であれば、お二人に叶えて貰いたい事……というより、お二人に何とかして貰いたい事は沢山ある。
 八坂様に、お酒の量を減らして貰いたい事。
 諏訪子様に、朝はきちんと早起きして貰いたい事。
 そもそも、二人とも、もっと神様らしく振る舞って貰いたい事。
 ……だけど、今お二人が叶えたいと言って下さっている願い事は、そんな事では無いだろう。
 折角のお二人のご厚意なのだから、私自身の願い事に使わせて貰おうと思った。

 ……目を瞑って、願い事を考えてみる。
 お酒のせいか、少し頭がぐるぐるする。そんな中、心の奥から浮かび上がってきたのは、……やっぱり、あの願いだった。
 それは、いつもは心の中で眠っていた願い。
 ……でも、ずっと心の中にあった願い。
 無理だと思っていた、願うことさえ許されないと思っていた願い。
 ずっと願っていたけど、口に出して言う機会は決して来ないと思っていた願い。
 でも。今なら……。

「思いついたみたいだね。さあ言ってごらん、早苗」
「は、はい…」

 ……本当に言ってしまっていいのだろうか。心配になってちらりとお二人を見ると、満面の笑みを浮かべて私を見つめていた。
「何でもいいんだよ」私が何かを言う前から、頷くお二人。
 八坂様と諏訪子様に嬉しい言葉を貰ったおかげだろうか。それとも、お酒のせいだろうか。
 いつもは眠っていたその願いが……自然と、心の奥からこぼれだしていた。

「わ……私……あの…」
 恐る恐る、言い出してみる。お二人は覗き込む様に私を見ていた。
「うんうん」「何かな何かな?」


「……妹が、欲しいです」


「……………」
「……………」

 恐る恐る目を上げると……お二人とも少し驚いた表情を浮かべていた。
「……………」
 言ってしまったことが恥ずかしくて、赤面して下を向いてしまう。お二人とも、何も仰らなかったので、少し気まずかった。

「……そうか」しばらくして、八坂様が冷静な口調で言った。
「早苗は、妹が欲しいんだね」
「……は、はい」
「妹が欲しいって、諏訪子」
 八坂様が諏訪子様に話題を振る。お二人は、そのまましばし見つめ合っていた。
 少しの間があって。
「……そうなんだ」諏訪子様が呟いて、もう一度繰り返した。「早苗は……妹が欲しいんだね」

 ……どうしよう。私はその様子を見て、急に心配になってきた。
 きょうだいが、できれば妹が欲しい。昔から側にお二人しかいなかった私にとって、それはずっと思っていた願いだった。でも……。
 やっぱり無茶な事を言って、困らせてしまったのだろうか。
 そうだ。考えるまでもなく、「妹が欲しい」なんて無理なお願い事に決まっている。そもそも子供なんて、簡単に用意できるものなんかじゃない。第一、忘れがちだけど、八坂様も諏訪子様もお二人とも女性なのだ。とても仲良しだけど、お二人で頑張っても子供を作るなんて無理なのだ。

「…そうか」諏訪子様は、もう一度繰り返して、呟いている。
 見れば、俯いた諏訪子様の表情が曇っている。とても思い詰めた表情をしていた。いつも明るい諏訪子様のこんな表情を見るのは初めてかもしれなかった。
「諏訪子様?」
「……………」
 諏訪子様は俯いたまま、答えない。
(……あ)
 私は、八坂様が以前仰っていた事を思い出した。
 諏訪子様は昔、子供を産んだ事がある…って。
 その子供がそれからどうなったのか。あの時はそれ以上詳しくは聞けなかったけど、今、諏訪子様の家族は八坂様と私の二人だけ。今はもう……その時の「子供」はいないのだ。
 どのような形なのかは判らないけど、その「子供」と諏訪子様には別れがあったわけで。……私が知らないだけで、諏訪子様には悲しい思い出があるのかもしれなかった。
 もしかして、私の不用意な一言で、諏訪子様を傷つけてしまったのかもしれない。
 どうしよう。諏訪子様に対して申し訳が立たない。神に仕える身なのに、その神様を傷つけてしまうなんて。これでは風祝として失格だ。
「諏訪子様、あ、あの」
 謝ろうと思って諏訪子様の方に向き直ると……。

「……~~~っ」
 諏訪子様は、お腹を押さえて苦しそうな声を上げていた。

「す、諏訪子様!?」
 驚いて声をかける。だけど諏訪子様は俯いたままで返事がない。
「どうかなさったのですか!?」
 諏訪子様は答えない。脂汗を浮かべながら、ぶつぶつと何かを呟き続けている。それは……まるで痛みをこらえるかの様に、自分に言い聞かせているかの様だった。そして、顔色は真っ青。いや、青を通り過ぎて……緑色と言ってもいい顔色になっていた。
 いつもの諏訪子様じゃない。絶対に普通じゃない。何か大変な事が諏訪子様の身に起きているのは明らかだった。
「諏訪子様、大丈夫ですか? お腹痛いんですか!?」
 諏訪子様は答えない。ただ、お腹を抱えて呻いている。

「……………!」
 ……私はさっきまで、諏訪子様がおそなえのおはぎを食べていたのを思い出した。
「まさか、あのおそなえが……!」
 博麗神社から回収してきた、置かれてから数日経っているかもしれないおそなえ。あれが「当たった」のかもしれない。いや、状況的にそれしか考えられなかった。
 私は改めて自分の迂闊さを呪った。
 あの……餓えをしのぐために食べ尽くされてしまい、雑草ひとつ生えていない博麗神社に置いてある分社へのおそなえ。あの場所から回収できたということは、「あの」霊夢ですらつまみ食いしなかったという事を意味するのだ。どうしてその事に思い当たらなかったのだろう。そんなものを自分の大切な神様に……諏訪子様に食べさせてしまうなんて……。私は、何て馬鹿なんだろう。
 お二人の有り難い言葉に浮かれて。自分の願いばかりを考えて。一番大切な、諏訪子様の体調に目が届かないなんて。
 本当に、私は風祝失格なのかもしれない。
 ……だけど。落ち込むのは後だ。今は……自分に出来ることをしないと。

「諏訪子様、出しちゃった方がいいです! とりあえず一緒に」
 おトイレまで連れて行こうと諏訪子様の側に駆け寄ろうとする。しかし、
「大丈夫よ、早苗」
 八坂様が手を伸ばしてその動きを制した。

「だ、大丈夫じゃないですよ! 諏訪子様、あんなに苦しそうじゃないですか!」
 狼狽している私に対して、八坂様は落ち着いたものだった。
「大丈夫よ、早苗。諏訪子は『この時』はいつもこんな感じだから」
「で、でも……」
 八坂様の様子から、諏訪子様が「こうなる」のは初めてじゃなくて、八坂様は何度か同じ状況を見た経験がある様だった。
 それでも。八坂様にとってはよく見る「発作」の症状なのかもしれないけど。そして、神様は死なないのかもしれないけど。
 それでも、諏訪子様が目の前で苦しんでいるのに、放ってなんかおけない。
「諏訪子様! 一緒におトイレに…」
 八坂様の横を通って諏訪子様の側に行こうとする。しかし、八坂様が更に腕を伸ばして私を遮った。
「いいから黙って見てなさい」
 少しきつめの声。八坂様にはここで下手に諏訪子様に触れない方がいいという確信がある様だった。でも……。
 悩みながら改めて諏訪子様を見ると。
「……………!」
 諏訪子様の症状に、更なる変化が生じていた。
 顔色が緑に染まった諏訪子様。そのお腹が、痙攣するように波打っていた。そして……傍目にも判る程、膨らんでいた。
「!?」
 目をこすって、もう一度諏訪子様を見る。間違いなく、お腹が膨らんでいた。
 どうして!? 蛙の神様だから、「戻す」時も人間とは違うのかもしれない。けど、やっぱり諏訪子様の様子は異常だった。明らかに、私の想像を超えた出来事が起きている。

「お……あ……」
 両手をおこたの上に置いて、何かを吐き出そうという様に大きく口を開け、はあはあと荒い息を吐く諏訪子様。
 うめき声と共に諏訪子様が身体を痙攣させる。その度に……そのお腹の膨らみが少しずつ上がってくるのが見えた。
 私が唖然として見ている前で、その膨らみは、お腹から胸の高さまで。そして、喉の高さにまで上がって行った。
「す、諏訪子……様……」

 喉元にまで上がってきたその「何か」に押し広げられて、諏訪子様の首が倍以上に膨れて見える。
「お……ご……」
 不気味なうめき声と共に、諏訪子様が喉元から上がってきた「何か」を吐き出そうと、大きく口を開いた。
 私は余りの出来事に目を離すことが出来ずに、その場に釘付けになっていた。
 顔色が緑に染まった諏訪子様の口元から、喉から盛り上がってきた「何か」が。顔色以上に濃い緑色の「何か」が姿を見せた。
 ……それは、何か丸いもの。緑色の、諏訪子様の頭と同じくらいの大きさの球体だった。
 ま、まさか……。
「諏訪子、頑張って!」私の隣で、八坂様が小さく声を掛ける。
「お……おぉ……お」
 諏訪子様は顎が外れそうな程大きく口を開いて……。苦しげなうめき声を上げながら、懸命に「それ」を吐き出そうとする。喉元から上がってきた「それ」は、諏訪子様の唇を押し広げながら、少しずつ、少しずつ外へと姿を現した。
 そして……完全に諏訪子様の口を押し開けた「それ」は、びしゃっ、という湿った音を立てて諏訪子様の口からこぼれ落ちた。

 ごとっ……。

 堅い音を立てて、「それ」が床の上に転がり落ちる。
 まさか、と思って見ていたけど、こうして目の前で見ると間違いなかった。
 それは。大きな、緑色の……「卵」だった。
 産みたての卵からは、まだかすかに生暖かい湯気が立ち上がっている。

「はあっ、はあっ……」
 出し終えた諏訪子様が膝から崩れ落ちる。手をおこたに掛けて必死に身体を支えながら、苦しげに大きく肩で息をついた。
「大丈夫、諏訪子?」
 八坂様が側に駆け寄る。
「うん、大丈夫だよ。ありがと、神奈子」諏訪子様は必死で息を整えながら、懸命に笑みを浮かべた。
「お疲れさま、諏訪子」八坂様が労いの言葉と共に諏訪子様を抱き起こして、そっと背中をさする。
「辛かったでしょうに……」
 その言葉に、諏訪子様は健気に微笑んで、差し伸べられた八坂様の手をきゅっと握り返した。
「大丈夫だよ。大分信仰も戻ったし『前の時』よりは楽だったかな。……それに」
 諏訪子様は、私の方に顔を向けて、にっこりと微笑んだ。
「……早苗のためだもの。これぐらい、何でもないよ」
「そうだね。早苗のためだものね」八坂様も頷く。
「……………」
 たぶん、諏訪子様の心遣い?に胸を打たれなければならない所なのだろうけど。
 ……でも状況が異常すぎて、喜んでいいものか、有り難く思っていいものか判らない。私はただ呆然として、目の前の卵を見つめていた。

「……さ、後はお願いね、神奈子」
 タオルで口を拭ってから、諏訪子様が促す。その言葉に、八坂様はこくりと頷いた。
「……いつもごめんね、諏訪子。苦しんで産んでいるのは貴方なのに…」
 申し訳無さそうな表情を浮かべる八坂様に、諏訪子様は笑顔で首を横に振った。
「いいからいいから。この役目は、神奈子がやる。……二人で決めた事だからね」
「……ありがと」
 八坂様が短く諏訪子様にお礼を言って。そして、反応に困っている私をよそに、卵の前に進み出た。

 そして、卵を見下ろして、一言……命じた。
「……さあ、目覚めなさい」

 えっ……!?
 「目覚める」って!?
 卵を見たときからもしやと思っていたけど。まさか……。

 そのとき。私のその疑問に応える様に。
 卵が……「ごとり」と動いた。
「……………!」
 卵は独りでにがたがたと震える。そして……ぴしり、と音がして、卵にヒビが入り始めた。
「あわわ……」
 驚く私の目の前で……次々と卵にヒビが入っていく。
 そして、ヒビの入った卵のかけらが、ぱりぱりと剥がれ、次々と床に落ちていった。
 その中から、肌色の「何か」の姿が見える。
「……………!」
 そして……ついに、割れた殻の中から、卵の中にあったものが姿を現した。
「……生まれたよ、早苗」諏訪子様が小さく呟いた。

 崩れ落ちた卵の殻の中に居たもの。
 それは……小さな、人間の子供。赤ちゃんではなくて、もっと大きい……10歳位の裸の子供が、仰向けに寝そべっていた。
「きゃっ」
 裸だったので思わず両手で顔を覆ってしまう。
 ……薄く目を開けて、覆った指の間から、ちらりと確認する。ついてない。……女の子だった。
 生まれたばかりの……一糸まとわぬ少女の身体に、湿った髪の毛が張り付いている。
 その姿は、心なしか諏訪子様に似ている様な気がする。いや、髪の毛の感じからは、むしろ……私に似ている様にも思えた。
 あまりの出来事に、腕から巫女服の袖がずり落ちてしまい、私は慌てて袖を引っ張り上げた。
「無事に生まれた様ね」「そうだね」
 そんな私をよそに、八坂様と諏訪子様が笑顔で頷き合う。
「あ、あの……この子は……?」
 震えながら少女を指さして尋ねると、八坂様は、さらっと答えた。
「貴方の妹よ、早苗」

 いもうと……?
 突然の言葉に……私は咄嗟には反応できなかった。ただ呆然と、卵から生まれたばかりの少女を見つめていた。
 その目の前で、少女の身体がぴくりと動く。
「!」
 びっくりして後ずさる私の前で、少女はゆっくりと身体を起こした。
「ん……ん……」
 ぼうっとして虚ろだった目の焦点がゆっくりと合ってきて……きょろきょろと周りを見回す。顔を巡らせて八坂様と諏訪子様を見て……そして、私にも顔を向けた。目が合って、少女の表情に笑みが浮かんだので、私はどきりとした。
「……目覚めたようね」
 八坂様が呼びかける。少女は……
「……はい」
 はっきりと、そう答えた。外見が10歳くらいだからもしかしてと思っていたけど……。やっぱり、生まれた時から喋れるんだ……。


「……はじめまして、やさかさま、もりやさま」
 その子は、その場に跪いて礼をした。八坂様と諏訪子様がそれに応えて頷く。
「……そして、さなえおねえさま」
 最後に、私の方に向き直って、ぺこり、と頭を下げる。
「は、はい、初めまして…」思わず雰囲気に飲み込まれて、返事をしてしまう。
「お姉さま」と言われて、少しだけ気恥ずかしい様な嬉しい様な気分になる。だけど、この異常な状況に戸惑う気持ちの方が強かった。


「さて、貴方に名前をあげないとね。そうね……」
 八坂様はうーんと、唇に指を当てて考え込む。少しして、ひらめいた様で、ぱっと表情が輝いた。

「そうね。『早苗』の妹だから……『遅苗』。おそなえ、よ」
 八坂様が厳かに宣言する。
 おそなえ……?
 私の、さなえの妹で、おそなえ……。

「ちょっっっっっ、何ですか、その名前は!!???」
 私は思わず声を上げたが、私以外の三人は嬉しそうだった。
「さすがは神奈子。姉妹お揃いでいい名前だね」
「……ありがとうございます、やさかさま」
「名前の響き的に、早苗よりもおめでたい感じがするよね。こっちの方がいい名前かも」
「そうでしょそうでしょ」
 楽しげに祝福の言葉を掛ける八坂様と諏訪子様。少女……「おそなえ」も嬉しそうだった。
 あんまりだ。

「大事な事だから、もう一度言うわ。貴方の名前は『遅苗(おそなえ)』。これからは風祝・東風谷遅苗と名乗りなさい」
 威厳を込めて命じた八坂様が、すっ…と、「おそなえ」に指を向ける。
 すると、音もなく現れた白蛇がするりと「おそなえ」の髪に絡みついた。
「……よろしくね、遅苗」
 諏訪子様も同じ様に指を向ける。
 すると、ぽん、と小気味のいい音がして、「おそなえ」の頭に蛙のアクセサリが現れた。……言うまでもなく、私がつけているものと同じものだった。
 続けて、もう一度ぽん、と小さな音がして、煙と共に「おそなえ」の腕に巫女服の袖が現れる。袖だけだったけど、これも、私と同じだった。
「…この蛇と蛙。そして袖は、私たちの加護を受けている印です」
「早苗お姉ちゃんとお揃いだね。良かったね、遅苗」
「ありがとうございます。やさかさま、もりやさま」
 厳かに言い渡す八坂様も、そして諏訪子様も嬉しそうだ。そして、「おそなえ」も、満面の笑みを浮かべていた。
「早苗と遅苗、姉妹でみんなお揃いだね」
「ありがとうございます」
 楽しそうに話す三人。
 あの……袖だけで後は裸なのですけど、いいんですか?
 ……じゃなくて!

「……ちょ、ちよっと、待って下さい!」
 私は慌てて大声を出した。
「どうしたの、早苗」
「おかしいじゃないですか! 卵から生まれた子供が妹だなんて……」
「どこかおかしいかな?」不思議そうな表情を浮かべる諏訪子様。
「おかしいですよ!」私は大声で叫んだ。
「だって、卵から子供が生まれるなんておかしいじゃないですか。子供は、ええと、あの……おしべとめしべが…」
 小指を絡めて説明しようとして……途中でその恥ずかしさに気づいて、私は真っ赤になって手を振りながら続けた。
「とっ、ととととにかく! 子供は卵からは生まれないじゃないですか!」
「え!? うちでは卵から生まれるよね、子供」
「生まれませんよ! ……ええと、その、こうのとりというか、キャベツ畑というか……」
 真っ赤になりながら説明するが、諏訪子様の反応は薄かった。
「よそは畑から生まれるのかもしれないけど、うちは卵からだよ」
「そんなわけありません!」

 その様子を見て、八坂様は呆れた表情で溜息をついた。
「まったく。……今更、何言ってるのよ」
「いい? 早苗」八坂様が私の目を見ながら……きっぱりと言った。
「は、はい……」

「貴方も、こうやって生まれてきたのよ」

「ええっ!?」
 びっくりして諏訪子様を見ると、諏訪子様は真面目な顔でこくりと頷いた。その横で「おそなえ」も無邪気な笑みを浮かべている。
「貴方も、こうして、卵から生まれてきたのよ」


 ……………
 八坂様の言葉が、ゆっくりと、私の中に浸み渡ってくる。


「貴 方 も 、 卵 か ら 生 ま れ て き た の よ …」


「そ、そんな……」
 頭がぐるぐるする。
 八坂様の言葉が、頭の中を渦巻いている。
 だめだ。もう、何も考えられない。
 私は、ふうっと気が遠くなって行くのを感じていた……。

 ごめんなさい。八坂様、諏訪子様。
 すいませんでした。許してください。
 妹が欲しいなんて言った私が間違っていました。
 もう、妹なんていりません。もう、妹が欲しいなんて言いません。
 だから、だから、もう許してください……。


 ……………


(……まさか、早苗がこんなに驚くなんて思ってなかったよ)
(……そうねぇ、早苗は「女の子の日」がまだ来てないから。初めて見たから、ショックを受けちゃったのかもね)
(……まだ、早かったのかなぁ)
 遠くなっていく意識の中……お二人の声が聞こえた様な気がした。

 ……………

「……なえ」

「……さなえ、早苗。起きてってば」
「うーん……」


 ……………


「大丈夫?早苗」ゆさゆさと身体を揺さぶられる感覚。
「ううっ……」頭がずきずきする。
 ゆっくりと目を開けると、八坂様と諏訪子様が心配そうに私の顔を覗き込んでいた。
 覗き込んでいるのは……八坂様と諏訪子様の、お二人だけだった。

(……………!)
 先ほどまでの出来事が脳裏に蘇った。
 慌てて見回す。……周りには何も無い様に見えた。
 八坂様も諏訪子様もいつも通り。おこたの上も床を見ても、何も変わったものはない。……卵の殻も、そして、「おそなえ」の姿も見えなかった。
 もしかして……これまでの事は、夢……だった?

「ほんとに大丈夫? 早苗」
「久しぶりにお酒を飲んだから、眠くなっちゃったのね」
 八坂様が優しい表情で私の頭を撫でた。
「え!? あ、あの」
 慌てて身体を起こす。頭が痛い。ずきずきと痛む頭に手を伸ばすと、肩に掛かっていた半纏が外れて床に落ちた。私が寝ていた間に、掛けて下さったんだ……。
 お礼を言わないと。だけど、その前に確認しておかなければならないことで頭が一杯だった。

「あ、あの、おそなえは……?」
 どきどきしながら私が聞く。お二人は顔を見合わせた。
 ……少しの間があって。
「……あう、やっぱり欲しかったの?」
 諏訪子様はきょとんとした表情で私を見つめた。
「早苗がいらないって言うから、……おそなえは二人で食べちゃったよ」
 食べちゃった……。その言葉が、私の頭の中にこだまする。

「ええっ……!?」
 そ、そんな……。
「た、食べちゃったって、お、おそなえをですか!?!」
「とっても美味しかったよ! ね、神奈子」
「こらこら、そんな事を言わないの、諏訪子」嬉しそうな諏訪子様を、八坂様が窘める。
「ごめんね、早苗が寝てたから、おそなえは二人で食べちゃったの」
「え、え」狼狽する私。
「そんな、でも、おそなえを食べるなんて……」
 私の様子を見て、お二人は困った顔をした。
「早苗がそんなにがっかりするとは思わなかったよ」
「早苗、いらないって言ったのに……」諏訪子様が頬を膨らませる。
「たったたた確かにいらないって言いましたけど、でも、そんな、食べちゃうなんて……」
 八坂様が、後ろからなだめる様に言った。
「まあまあ。今度、私がおはぎを作ってあげるわね」
 え!? おはぎ?
「ごめんね早苗。今度は三人で食べようね」
「……は、はい」

 そ、そうだよね。
 良かった。おそなえのおはぎの事だよね。
 私はほっとため息をついた。良かった。やっぱり夢だったんだ。
 安心して少しだけ頭痛が和らいだ様な気がするけど、それでも、まだやっぱりずきずきする。
 これまでの事がどこからが夢なのかは判らないけど。それはまた明日考えるとしよう。


「それじゃ、そろそろ寝ましょうか」
「あ、お片づけしますね」
 私はおこたの上にある食器類を片づけて、お台所に運んで水に浸けた。今日はもう遅い。頭も痛いことだし、洗うのは明日にしよう。
(変な夢を見ちゃったな……)
 やっぱり、疲れているのだろうか。それとも、お酒に酔ったせいで、心の奥の願望を夢として見てしまったのだろうか。
 そんな事を考えながら、ぼうっとしながら食器を浸けた水面を眺めていると……ふと、くい、と袖が引っ張られる感覚がした。
「?」
 振り向くと、すぐ後ろで諏訪子様が私を見上げていた。

「諏訪子様、どうかなさったのですか?」
「……ね、早苗。また、言って頂戴ね」
 諏訪子様は、上目遣いで私を見つめて言った。
「……何がですか?」
 私が尋ねると……。


「……本当に妹が欲しくなった時には、ね」
 諏訪子様はそう言って、片目を瞑って見せたのだった。


 ……私は、結局、翌日まで二日酔いで寝込むことになってしまった。

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