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2008年11月12日 (水曜日)

「神様のおかゆ」(第6回東方SSこんぺ投稿作品)

「神様のおかゆ」
(東方Project 東風谷早苗+守矢一家/霧雨魔理沙SS)
(初出:H20.10.4 「第6回東方SSこんぺ」に投稿:第25位/65作品)

 今日は、私にとって、本当に大切な日。
 決して来ないと思っていた……でも、心のどこかでは待ち望んでいた日だ。
 もうすぐ、私の家に大切な……本当に大切な来客がやって来る。

 私は窓を開けて身体を乗り出し、外を眺めた。家に続く道の先、目を凝らしても、まだ人影は見えない。
(そうだよな。まだ10分前だものな)
 はやる心を懸命になだめながら、落ち着かない気分で窓を閉める。
 私はもう一度自分の部屋を見回した。
 いつもは乱雑な居間も、懸命に片付けた甲斐があって、それなりに見られる状態になっている。これならとりあえずは恥ずかしくない筈だ。
 でも、これから来る人たちの事を考えると……どれだけ片付けても、どれだけ準備しても足りない気がした。
(……準備は、ある意味、本番以上に大切なものなのですよ)
 友人の言葉が思い出される。本当にその通りだと実感させられた。

 掃除はした。余計な物も片づけた。準備は万端だ。多分、まだ準備ができていないのは……そして、一番準備が必要なものは、私自身の「心の準備」なのだろう。

 深呼吸をして、壁掛け時計の針を神経質に眺めながら、私は飾り棚の中をもう一度確かめた。
 棚の一番上、来客からよく見える位置に、昔、みんなで撮った写真が置いてある。その中で無邪気に笑っている、幼い頃の私。今日の私も同じ笑顔を浮かべているだろうか。

 そして、写真の隣には……半分程水の入った、硝子の水差しが置かれている。
 私がこれまで集めてきた、数多くの宝物。その中でも、私が一番大切にしている物の一つだった。
 今、私がこの日を迎えられるのも。そして今、そんな私自身を温かい心で見つめる事ができるのも。この「宝物」があるからだ。感謝の気持ちを込めて、今日という日が来た事を、願いが叶った事を、この「宝物」にも見ていて欲しかった。

 目を瞑ると、いつでも思い出す事ができる。
 この「宝物」を受け取った時の事を。そして、あの時の思いを……。


 ……………


 箒にまたがり、妖怪の山を上がっていく。
 ちらりと滝を見下ろすと、豆粒のように小さく犬天狗の姿が見えた。私に気が付いている筈なのに、動く様子は無い。相棒の烏天狗に至っては、気配すら感じさせない。
 奥深くに侵入しているというのに、誰も私を「出迎え」に来ようとしない。
 山の妖怪たちの間で、私が「顔パス」になったわけではない。ましてや、私に恐れをなしているわけでもない。私の来訪が毎週続いている事なので、山の妖怪達はみんな、私がどこに何をするために向かっているかを。……そして、その結果どうなるかまでが判っているから、わざわざ手を出して来ないのだ。
 平たく言えば、どうせこの先で「いつも通り」やられるのだから、放っておけばいいと思われているのだ。それが癪だった。
 今日こそは。今日こそは結果を変えてやる!
 強い向かい風の中、バランスを崩さない様に気を付けながら、ちらりとポケットに目を遣る。膨らんだポケットの口から覗く八卦炉を確認すると、私はもう一度箒のスピードを上げた。
 今日こそ、準備も作戦も万端……な筈だ。

 やがて、決戦の場が見えてきた。守矢の神社の入口。鳥居の奥に、本殿へと上がっていく長い石段が続いている。待ち合わせ場所は、鳥居の前、階段前の広場だった。
 時間ぴったりだ。……待ち合わせ時間的には10分の遅刻だけど。でも、私にとっては「ぴったり」。計算通りの到着時間だった。
 向かい風の中で目を凝らすと、広場の真ん中に、先に到着している早苗の姿が見えた。警戒する様子も無く、広場の真ん中でのんびりと立っている。予想通りだ。
 遅れて来る……すぐには来ないと判断して警戒心が解ける、10分という時間。早すぎても警戒心は解けないし、逆に遅すぎれば、もう今日は来ないと判断されて帰られてしまう。そして、こうした判断を下す時間には個人差がある。
 今、こうして早苗が呑気に……無防備に立っているという事は、その性格を読み切った私の勝利、計算通りという事だ。そしてそれは……本番の勝負についても、私の初勝利がほぼ確定した事を意味していた。

 私は早苗に見つからないように気を付けながら高度を下げた。背後から近づく進路に回り込むと、飛び降りるタイミングを考えながら、計算したギリギリの速さに箒を調節する。最初の一瞬が勝負だ。
 ぐんぐんと広場が、早苗の背中が近づいてくる。ポケットに手をのばして八卦炉の感触を確認すると、私は勢いよく箒から飛び降りた。
 滑り込む様に地面に降り立つ。大きな音と共に、ざりざりと靴底を砂利が擦り上げる衝撃が伝わってくる。勢いで身体の角度が30度くらいになりながらも、何とか転ばずに姿勢を立て直す。事前に何度も練習した通りの動きだった。
「勝負だぜ!!」
 振り返る早苗。不意を突いたのに、期待していた程には驚いた様子が見えない。……だが、その余裕も今だけだ。
 死角を突いた。先手も取った。そして……。
 私はポケットに手を伸ばし、取り出した八卦炉を早苗に突きつけた。この素早い「抜き打ち」も練習通りだ。特訓の成果もあって、これまでで一番早く出来た。
 早苗はまだ私の登場に驚いている段階だ。戦うことに気が向いていない。この勝負……貰った!!

「 必 殺 ! い き な り マ ス タ ー ス パ ー …」

 ……だが、決め台詞を最後まで言うことは出来なかった。

 次の瞬間、私の右手に衝撃が走った。
 こーん、という高い金属音を立てて、私の掌から八卦炉が弾き飛ばされて、宙を舞う。
「え……っ?」
 視界の端に、八卦炉を弾き飛ばした弾が、足元から空高く飛び去るのが見えた。そして、地面に落ちた八卦炉の方は、跳ねながらころころと転がっていく。
「あっ……!」
 目で追った先で、八卦炉は足元に当たって止まった。私の足元ではない。……澄ました表情で佇んでいる、早苗の足元だった。そしてその足元に、星形の印……五芒星が描かれているのが見えた。
 そこで初めて、私は周りの異変に気が付いた。早苗の足元だけではなく、広場の至る所に、地面を引っ掻いて星が描かれていた。勿論、私の脚元にも。それは、まさに今、私の八卦炉を弾き飛ばした星弾を撃ち出した五芒星だった。
(い、いつの間に……)
 顔を上げると、早苗と目が合った。
 早苗はにっこりと私に微笑みかけて……すうっとこちらに人差し指を向ける。そして、おもむろにその指を、くん、と上に曲げた。
 次の瞬間、地面の五芒星が光って、広場を埋め尽くすほどの数の……色とりどりの星弾が浮き上がり、私を取り囲んだ。
「お、おい……」
 一瞬の「間」の後、その全てが私に向かって襲いかかってくる。私は一歩も動くことが出来ず、ただ、その光景を他人事の様に眺めることしかできなかった。

 赤。青。緑。黄。白。橙。紫。
 色とりどりの弾が、私を照らす。
 それはまるで、夜空に浮かぶ星のようだった。
 いや、夜空で見るよりも、もっと鮮やかで綺麗な星。
 いつか見たプラネタリウムの様な。まるで手が届きそうな、今にもこぼれ落ちて来そうな、幻想的な夜空の星。
 ……私がいつの日か、自分の弾幕で描きたいと願っていた、夢に描いた星空。
 それが今、目の前にあった。

 その時、私が感じたもの。
 それは、迫り来る弾に対する焦りでも、負ける事への悔しさでも無く……ただ、目の前にある弾幕の美しさへの感動だった。
 そして、その事が。

 ……本当に、悔しかった。


 ……………


「……罠が仕掛けてあるなんて、卑怯だぜ」
 煤けた身体を起こして、けほ、と咳き込んで煙を吐く。そんな私を早苗は呆れ顔で見下ろしていた。
「卑怯じゃありませんよ」そう言いながら手を差し出す。「『陣』を配置したのは待ち合わせ時間になってからです。遅刻した貴方が悪いんです」
「……そうか」
 手を伸ばして、しっかりと繋ぐ。温かい。早苗に引っ張り上げられる様にして、私は立ち上がった。
「作戦を逆手に取られたか……」
「作戦も何も……貴方は準備も無しに動きすぎです」早苗は溜息をついた。
「準備はある意味、本番以上に大切なものなのですよ。きちんと準備さえすれば、本番はおまけみたいなものです」
「そんな事言われてもなぁ……」
「あと、約束事にはきちんと間に合う様に来るものです」
 10分も遅刻ですよ、と懐から取り出した時計を見せられる。
「遅刻ばかりしていたら、友達に嫌われますよ」
「……友達ってのは、少しぐらい約束を守れなくても、とやかく言わないものだぜ」私は早苗の前に指を突きだした。
「約束に遅れてきたり、来なかったりしても、何か仕方のない事情があると考えるもんだ。罠を仕掛けるなんてもってのほかだぜ」
「それは本当に事情があったら、の場合です。それに、わざと遅刻して来て相手を油断させる様な友達なんていません」決め台詞を言った筈なのに、あっさりと流される。それに、作戦も読まれていた様だ。「それに、待たされる方の事情も考えてくれないと……」
 このままだと説教に突入しそうだった。本当にバカみたいに真面目な奴だ。
「……やれやれ、お前の友達になる奴は大変だな」
 私は地面に落ちていた帽子を拾い上げると、早苗の言葉を遮る様に、ぽんぽんと大きな音を立てて埃をはたき落とした。
「えっ?」
「その辺の説教は、お前の友達にでも聞かせてやってくれ。……私はご免だぜ」
「……………」
 早苗が何故か黙りこくってしまう。私は今の内にさっさと話題を変える事にした。
「……で、今回の罰ゲームは何だ?」
「……えっ?」
「『賞品』だよ。早く決めてくれ。私も忙しいからな」
 私がそう言うと、早苗は気を取り直して、指を唇に当てて考え始めた。
「は、はい。ええと、そうですね……」

 ……ここ最近、続いている早苗との勝負。
 それは、少し前の宴会でケンカになった事がきっかけだった。ケンカと言っても……一方的に私が突っかかっているだけの様なものだけども。
 口ゲンカがエスカレートして弾幕勝負になって。そして……負けた私が食い下がって。いつの間にか、定例で決闘をする事になってしまっていた。
 決まっている事は、「勝負」は毎週この時間、この場所でやるということ。
 そして、勝った方が、負けた方に何か一つ、言うことを聞かせる事が出来るという約束だった。

 勝った時に相手にやってもらう事。……私の方は既にリクエスト済みだった。
 私が勝てば、早苗が大切にしている「何か」を貰う。「何か」については、早苗自身が決める。それが、私のリクエストした「賞品」だった。
 早苗が選ぶ「大切な何か」が何になるのかは判らないけど、あの性格だし、インチキしてつまらないものを選んだりはしないだろう。いろいろ考えて、自分にとって本当に大切な、価値有るものをくれる筈だ。外の世界から来ているだけに、予想もつかない代物が出てくるかもしれない。それが何になるのかも含めて、本当に楽しみだった。
 ……でも、最初にきっかけになったケンカも含めて、これまでは私の全敗で、「賞品」を出すのはずっと私の方。「賞品」を考えるのも早苗の方ばかりだった。

 そして、それだけでも悔しいのに、もう一つ、悔しくてたまらない事があった。
 早苗の方があまり「賞品」にこだわっていない事だ。
 いつも「賞品」はその場で考えたものばかり。そして、その内容も大体同じものだった。
 ……そして。今回も、しばらく考えて出した答えは同じものだった。

「……それじゃ、うちのお仕事を少し手伝って下さい」
「またかよ」
 私はむっとして、思わず悪態をついていた。いつも以上に万全の態勢で負けたので虫の居所が悪かった所に、いつもと同じ適当に決めた「賞品」。
「他に何もないのかよ。もっと奮発させろよ」
「で、でも、本当に手伝って欲しいですし……」
 早苗の「賞品」はいつもこれだ。「うちの家事を手伝ってください」。
 手伝いと言っても、大抵は井戸の水くみや薪割りをちょっとやる程度だ。一番の重労働でも倉庫の整理の手伝いとかだった。しかも大抵その「手伝い」は早苗も一緒にやるので、必要な労力は更に半分になる。大体、そもそも早苗と一緒にやっている時点で、負けた罰ゲームになっていなかった。
 確かに、「身体で払え」とか「家のコレクション全部」とか「フランの羽を一枚毟ってこい」とか言われても困るし、楽な「賞品」なのはありがたいけど。だけど、早苗がこうした簡単な「賞品」にしているのは、自分が勝つことが当たり前になっているからだ。そしてそれは、私に情けを掛けているからでもある。それが癪に障った。

「いえいえ、今日は本当に忙しいんですよ。多分ご期待に沿えると思います」
 私の剣幕に少し驚いたのか、早苗が手を振りながらよく判らない弁解をする。ダメだこいつは。何で私が怒っているのかさえ理解していない。
「今日は遅刻して来た分、賞品も豪華版です」
「豪華って、どれ位豪華なんだよ」
「本当にとにかく豪華です。こんな事をお願いしてすいません。来て貰えると助かるので、宜しくお願いしますね」
 ……何で命令する側なのにこんなに卑屈なんだ。それが余計に腹が立った。
「何が豪華版だ。判ったよ。やってやろうじゃないか」
 私は意を決して歩き始めた。どれだけの仕事かは知らないが、やってやろうじゃないか。
 井戸が枯れる程、水を汲んでやる。山が禿げる程に薪を割って、置き場所が無くなる程、積み上げてやる。
 この私に、霧雨魔理沙さんに勝つことがどれだけ凄いことか、身をもって示してやるんだ。


 ……が。
 その決意が続いたのは、5分だけだった。
「………おいおい」
 長い石段を上がり、守矢の神社の境内に入ると、その喧騒に私は驚きの声を上げた。
「本当に忙しいじゃないか」
「そうなんですよ」
 賑やかな境内を見て、早苗が溜息をついた。
 境内は山の妖怪たちで溢れかえっていた。天狗や河童たち、そしてその他の妖怪たち。めいめいが勝手に雑談をしながらたむろしている。よく見ると、本殿やその横の社務所への長い列を作っている様だった。
「話が違うぜ」
「別に違わないですけど、確かにいつもより忙しいですね」
 社務所からひたすら続く、どこが最後尾なのかすら判らない行列を見て、早苗が肩を落とした。
「あ、早苗さーん!」
 社務所に並ぶ列の中から、聞き覚えのある声がした。にとりだった。こちらに向いて、ぶんぶんと手を振っている。
「早く早くー! みんな待ってますよ!」
 その声に、周りの妖怪達も一斉に反応する。
「東風谷様じゃ!」「早苗様!」「巫女さんだ!」「こちゃー」
 みんなが一斉にこちらを振り向く。その拍子に河童達が背負っているリュックで周囲が薙ぎ倒されてちょっとした惨事になり、更に混乱に拍車が掛かっていた。
「は、はいはい!今行きますよー!」
 早苗は慌てて社務所へと駆けて行く。が、すぐにブレーキを掛けて、私の所まで戻ってきた。
「ええと、どこでもいいので、とにかく手伝って下さい!」
「そ、そんな事言われても……」
「判らない事があれば、私か八坂様、諏訪子様に聞いて下さい! それではお願いします!」
 話す間も惜しそうな感じで走っていく。私はいきなり一人、取り残されてしまった。

「おいおい……」私は途方に暮れてしまった。この喧騒は、まさに「収拾がつかない」としか言えない状況だ。
「手伝えって、いったい何をすればいいんだよ」
「……とりあえずは、取材への対応ですかね」
 後ろから耳障りな声が聞こえて来た。振り向くと、馬鹿天狗、射命丸の奴が楽しそうに私の顔を覗き込んでいた。
「こんにちは、魔理沙さん」
「……ああ」できるだけぶっきらぼうに返してやる。が、射命丸は平気な顔で話し続けた。
「まずは今日の勝負について。主に敗因について聞かせて下さい」いきなり取材を始める射命丸。本当にやる気のようだ。
「あのなぁ……私は忙しいんだよ。どうせ上から見てたんだろ?」
「まあ、そうなんですけどね」射命丸はぺろりと舌を出してメモを付け始めた。「ええと、『後ろから不意打ちすれば勝てると思ってましたが、東風谷様の方が一枚上手でした』、と……」
「おいおい、勝手に作るなよ。大体、何で早苗だけが様付けなんだよ」
「『もう何連敗したかも覚えていません。絶望的な実力差を感じます』、と……」
 答えてもいないのに、好き勝手なメモを取り続ける射命丸。ぶん殴ってやろうかと思ったけど、そんな事をしたら、とんでもない見出しの新聞が出回る事になりそうだ。私は諦めて、少しでもましな記事になるように取材に応じてやる事にした。


 ……………


「……と、いう感じかな?」
「そんなに紙一重の勝負だった様には見えなかったのですが……」
「極めて高いレベルでのギリギリの勝負だと、決着はあんな感じになるんだよ」
「……本当ですか?」射命丸が不審の目を向ける。
「本当だよ。お前も私くらいの高みに登れば、この世界が見えるようになるぜ。せいぜい、精進することだ」
「はあ、そうですか」
 射命丸は全然信じてませんよ、と言わんばかりの目を私に向ける。しかし、いつまでもこいつの相手をしている時間はない。私は射命丸に疑問をぶつけてみる事にした。
「次は私が質問する番だ。この騒ぎは何なんだ?」
「ああ、守矢の神社の月次祭ですよ」
 あっさりと答えが返ってくる。
 聞けば、山の神社でやっている月に一度の集まりらしかった。今日はたまたま開催日に当たっていたらしい。「布教」の成果もあり、毎回順調に参加者は増えており、今回は過去最高の人出らしい。
「八坂様を信仰する山の妖怪達がみんな集まってくるので、とても賑やかですよ。……東風谷さんたちは対応で大変みたいですけど」
 あの三人だけで、山の妖怪が集まる集会の対応か……。三人と言っても、神奈子と諏訪子は信仰される神様本人なわけだし、実質働けるのは早苗だけだろう。考えるだけで嫌になりそうだ。
 早苗には「手伝って下さい」と言われたけど、こんな状況だとは思っていなかった。せいぜい、いつもの様に井戸水を汲まされたり、薪割りをさせられたりする程度だと思っていた。……つまり、これはだまされた様な物だ。私が付き合う必要はない。そういう事にしておこう。

「そんなわけで、帰るわ。早苗には頑張れと伝えておいてくれ」
 じゃっ、と手を上げてその場を去ろうとするが……。
「待って下さい」
「……何だよ」
 素早く私の前に回り込んだ射命丸を睨み付ける。
「東風谷さん、特に今回は本当に、まさに泥棒猫の手も借りたいほど忙しいそうです」
「そうだろうな。でも、私は泥棒じゃないぜ。『怪盗』だ」
「ただでさえ大変なのに、特に今日はその『怪盗』様の相手のために貴重な時間を取られたみたいで……」
「……………」
「しかも、その相手、事もあろうに遅刻して来たらしいですよ。10分も」
「……………」
「自分は悪くないのにしわ寄せが来て、東風谷さんが気の毒です。……それに、そんな事のために待たされたと知ったら、ここの皆さんがどう思うか……」
「……はいはい。判ったよ」
 私は溜息をついた。だめだ。これは勝てない。どうも今日はいろいろと私に調子が向いていないようだ。多分負けたのもそのせいだろう。

 満足げに去っていく射命丸を睨み付けてから、私は改めて周りを見回してみた。
 やっばり働いているのは早苗だけの様に見える。仲のいい山の妖怪で手伝っている奴がいるのかと思ったが、にとりはお客様で来ているし、犬天狗はここに来る途中で見かけた。本当に早苗一人でやっている様だった。
(大変だなぁ……)
 そう思っていると。
「はいはい、どいてどいてー!」
 本殿から勢い良く神奈子が走り出してきた。何故か桶を抱えて走っている。
 その姿を見て周りの妖怪達が挨拶するが、神奈子の方は返事もそこそこに境内を慌ただしく駆けていく。
 どこに行くんだろう?と目で追うと、神奈子は片隅にある小さな社の方に走っていった。
「あ、神奈子! 今日はそっちじゃないよ!」
 不意に後ろから大きな声がした。本殿から飛び出して来た諏訪子だった。その声で、神奈子も何か間違えた事に気が付いたらしく、社の扉に手が掛かった所で動きが止まった。
「ごめんごめん! いつもの癖で……」
 大きな声で返事をすると、すぐに別の方角に駆けていく。諏訪子の方も、神奈子に手を振ると、こちらも周りの妖怪たちへの挨拶もそこそこに、どこかへと走っていった。
(何なんだ、いったい……)
 背の低い諏訪子の姿が人混みに紛れて見えなくなったので、仕方なく神奈子の方を目で追うと、神奈子は境内の隅まで来て何かをやっていた。
 よく見ると、そこは井戸で……神奈子は、ものすごい勢いで釣瓶を引っ張っていた。上がってきた桶を手に取って、ざばっ、と持ってきた桶に水を移している。
 ……要するに、水くみをやっていたのだった。信仰されている神様、自らが……。
「……………」
 神様の手を借りる程忙しいのだ。そりゃあ、泥棒猫の手も要るだろう。
「仕方ないなぁ……」
 私は溜息をついて、腕まくりをした。少しは真面目に手伝うか。


 ……………


 しばらくの間、適当に手伝ったフリをしていると、ようやく周りも落ち着き、境内に出来た列もほとんど掃けて来ていた。
 最初に人混みを見たときにはどうなるかと思ったが、思ったよりも早く片づいた。社務所で頑張っている早苗や駆け回っていた神様たち。そして途中から手伝いに回ったにとりや一部の妖怪達。それぞれ頑張ったと思うが、やはり一番は私の活躍だろう。
「いやー、手伝った、手伝った……」
 私は達成感に包まれながら、社務所に並ぶ射命丸の手から「最後尾」の札をひったくった。
「……私にはこの札を作った以外、何もしていなかった様に見えましたが……」
 私をジト目で見る射命丸。
「スペルカードを作るのは大変なんだよ。それに、暴れる奴がいないか監視する、重大任務もあったしな。出番が無くて良かったぜ」
「八坂様の神社で暴れる人なんて、貴方か麓の巫女くらいですよ……」
「で、あれはどこに行ってるんだ?」
 射命丸の言葉を軽く流して、私は本殿の奥を指さした。参拝が終わった妖怪達の内、帰らなかった半分程はこの中に入っていっている。
「あれは八坂様との午餐会の会場に向かっているのですよ」
「おおっ、やっぱり宴会もあるのか。まだお手伝いできる事が残っていたようだな」
「はあ……」射命丸が溜息をついた。「本当に調子がいいですね、貴方は……」
「これだけサボっておいて……むしろ行くべきは、閻魔様の」
「あ、お疲れ様でした! 一緒にお食事も食べていってくださいねー!」
 射命丸の声を遮る様に声が響く。振り向くと、早苗が社務所から手を振っているのが見えた。
「了解だ!まかせておいてくれ!!」
 グッドタイミングな早苗の呼びかけに、私も手を振り返す。
「……な。巫女様もああ言ってるぜ。頑張った甲斐があったというもんだ」
 呆れ顔の射命丸。その溜息を後ろで聞きながら、私は意気揚々と宴会の会場へと足を進めた。


 ……………


 守矢の神社の大広間には、沢山の妖怪達が集まっていた。既に宴会は始まっているみたいで、みんなめいめいに楽しそうに飲み食いしながら話をしている。
 広間の正面、一番の上座である雛壇には、席が三つ用意されていた。そのうち二つには神奈子と諏訪子が座っている。多分、あと一つが早苗の席だろう。
 私はどさくさにまぎれて、来客者の席で一番の上座……雛壇に近い席に陣取った。膳に「深山大天狗様」という名前札があったので、隣の席の膳に移しておく。これで大丈夫だ。
 一仕事した私は、改めて料理を品定めする事にした。
「あれ……?」
 一通り眺めて、私は微妙な違和感を感じた。何だろう?
 料理が地味な事は勿論ある。しかし、それ以前に何かが、いつも霊夢の所でやっている宴会とは決定的に違う。
 少し考えて思い当たった。そうだ。お酒が無いんだ。あと、御飯もない。

「はじめまして、いつも妹がお世話になってます。姉の河城なとりです」
「あ……ども。いつもお世話してますだぜ」
 待っているうちに来るだろうと、しばらく周りの席の連中と雑談する。しかしやっぱり酒も御飯も出てくる様子が無い。
 どうしようか考えていると、ようやく早苗がお櫃を抱えて広間に入ってきた。後ろからも何人か、お櫃を抱えた妖怪達が続いている。
「皆さん、御飯ができましたよー!」
 その声を聞いて、来客者から一斉に拍手が上がった。どちらかと言えば、巫女、風祝である早苗が入場して来た事に対する拍手の様だった。
「聞いてください皆さん。今日は何と、八坂様自らが御飯を炊いて下さったのですよ」
 早苗の紹介に、妖怪たちから驚きの声が上がる。
「この御飯には、八坂様の、皆さんと仲良くしたい、皆さんに楽しんでいただきたいという気持ちが込められています。どうか皆さん、今日は楽しんで行って下さいね」
 早苗がぺこり、と頭を下げるのと同時に、歓声、そして拍手が上がる。神奈子が立ち上がって、照れながら拍手に応えていた。
 そうか。さっき神奈子が井戸で水を汲んでいたけど、それは御飯を炊くための水だったのか。それにしても、神様自身が御飯を炊くだなんて。信者へのサービスなのかと思ったが、神奈子たちの反応を見るに、単に手が足りていないからの様だった。信仰されるのも大変だ。

 参加者への配膳が始まった。天狗や河童達も手伝って、それぞれの席に御飯が配られていく。そして、それぞれの「偉いさん」には、風祝である早苗自らが御飯を持って行っているようだった。
 早苗が茶碗を持っていくと、上級の天狗や河童、私が見ても貫禄ある妖怪たちが、みんなそれぞれ有り難そうに受け取っている。
(風祝だけあって、やっぱりここでは結構偉いんだな……)私はそんな事を考えながら、その様子を眺めていた。
 そして、しばらくして、一番の上座に座っている私の所に、早苗が回ってきた。
「どうぞ、大天狗様」
「うむ、ご苦労」
 その声を聞いて、早苗が驚いて私を見た。
「あれ? 深山の大天狗様は?」
「欠席だぜ。……ところでお酒はないのかね、巫女さん」
「今日は神事の一つですから。こんなお昼からお酒は出ませんよ」早苗は笑って首を横に振った。「でも、今日は本当にお疲れさまでした。お酒はないですけど、沢山食べていってくださいね」
 そう言って、お茶碗を置いて去っていく。
 うーん……。お酒がない時点で楽しみも半減したが、仕方がない。気を取り直して、とりあえずご馳走になろう。
「いただきまー……あれ?」
 手を合わせたところで、改めてお茶碗を見て……私は疑問の声を上げた。
 神奈子お手製らしい「御飯」。しかしそれは、どちらかと言えば、御飯と言うよりも「お粥」と言った方がいい、かなり水気の多い代物だった。……というより、ここまで水気が多いと、もう「お粥」そのものだった。
 よく見ると、隣の席もそうだった。何か豪華な服を着ている天狗が、同じようにお粥状態のお茶碗を見て反応に困っていた。周りを見回してみると、あちこちでざわざわと同じような反応が起きている。どうやら、配られた「御飯」の全てがお粥になっているみたいだった。

 その騒動に気づいたのか、雛壇から神奈子が立ち上がった。
「みんなごめん。実は、炊くときにちょっとお水の分量を間違えちゃって……」そう言って頭を掻く。
「……神奈子は滅多に料理なんてやらないからね。たまに作る時はお粥ばかりだし」横から諏訪子も合いの手を入れる。「ついいつもの癖で、水を入れすぎちゃったみたい」
 水加減を間違えて御飯がお粥になるなんて、どれだけ料理下手なんだよ。そう思ったが、そのやりとりを聞いて、参加者もどうやら納得したみたいだった。
「とんでもないです。逆に手作りらしさが出ていていいです」
「ドジっ子だなんて、八坂様の新たな可能性を見ました」
 めいめいが、この件について談笑し合う。
「これぞまさに『神の粥』じゃ。有り難や有り難や……」神奈子を拝んでいる奴までいる。怒っている奴は一人もいない。どうやら、山の妖怪達に神奈子たちは神として本当に深く浸透しているようだった。


 ……………


 「神の粥」騒動も収まり、再び、会場に賑やかさが戻って来た。みんな楽しそうに食事をしている。
 しかし、私の方はいまいち興が乗らなかった。
「……………」
 お酒が無いのもあるが、そんな事は別にいい。そして、御飯がお粥だろうと別にどうでもいい。料理が少な目なのも、神事らしいし精進料理みたいなものだと思えばいい。
 それでも、何故だか箸が進まない。

 会場の向かい側の席を見ると、河城姉妹がみんな揃って御飯を食べていた。その中には幸せそうにきゅうりを頬張るにとりの姿も見える。にとりは姉妹みんなで談笑しながら、食事を楽しんでいた。
(そうか……。にとりの奴も、五人姉妹の二番目なんだな)
 ぼんやりとその様子を眺める。一瞬、その姿が昔の自分と重なる。私は……慌てて頭を振って、その幻を振り払った。

 ……やっぱり、箸が進まない。
 私は少し考えて、その理由に思い当たった。
 料理が原因じゃない。お粥やお酒のせいでもない。
 ……要するに、「気まずい」のだ。この席は。
 向かい側にいる河城姉妹の事もある。だけど、何よりも……居辛さを感じさせるのが、雛壇から聞こえてくる、守矢一家三人の楽しげな話し声。
 それが、私から食欲を削いでいるのだった。

「……神奈子ってば、本当にドジだよね。水を入れすぎてお粥を作っちゃうだなんて」
「ほ、ほら、いつもの癖で……いつもお粥ばかり作っているから」
 楽しそうに話をする二人。
「神奈子が料理するのは、たまにお粥を作る時だけだものね。いつもサボっているから」
「何よ、大体あんたもほとんど料理しないじゃない」
 そんな二人を楽しそうに眺める早苗。
「諏訪子様、あまり八坂様をいじめちゃダメですよ。折角、八坂様が一生懸命作ってくださったのですから」
「そうそう。本当にいい子だね、早苗は」
「でもやっぱり、いつも早苗が作ってくれる料理が一番だね」
「うん、それは間違いない」
 横から、三人で楽しく談笑する声が聞こえてくる。
 聞かない様にしても、耳に入ってくる。見ない様にしても、目に入ってくる。
 私は、この場所に座った事を、後悔し始めていた。

「ごめんね早苗。一生懸命準備してくれたのに、私が失敗しちゃって……」
「いえ、そんなことありません。おかげで助かりました。ありがとうございます、八坂様」
 早苗が笑顔で礼を言う。
「それに、こんな形で八坂様のお粥が食べられるってのも、いいものですね」
「そうでしょそうでしょ。本当に優しい子だね、早苗は」神奈子も上機嫌だ。
「……私も、早苗が元気にお粥を食べてくれて、嬉しいよ」
「そうそう。それが一番だよね。早苗、いい子、いい子」
 神奈子に続いて諏訪子も、早苗の頭をなでなでする。照れた表情を浮かべながら、本当に嬉しそうな早苗。
 優しく早苗を見守る、仲良しの神奈子と諏訪子、二人の神様。
 そして、二人に囲まれて、本当に幸せそうな笑顔を浮かべている早苗。
 守矢一家、家族三人の幸せな団欒が、そこにはあった。

 そして、その横で、その様子を眺めている……一人だけの私。
 その様子を見ているうちに、自分の心が次第にざらざらとして来るのが判った。
 心の奥から、よく判らない感情が渦巻き、浮かび上がってくる。
 そうだ。あの日……早苗とケンカになった日も、そうだったんだ。

 あの時。霊夢の所の宴会でも、この三人がべたべたしていて。
 そして、それを見ていて、今と同じようにイライラしていた私は……早苗の奴に聞かれたのだ。
 ……私の家族について。
 「家族はいないのですか」と聞かれたのだ。
 「家族は今、どうしているんですか」と聞かれたのだ。
 それは早苗にとっては、本当に何気のない質問で、無邪気な口調だったけど……それが、尚更、私には許せなかった。

 私と家族との事を知らない奴に、そんな事を聞かれた事が。
 家族と仲良く過ごしている、今もちやほやされている早苗にそんな事を言われた事が。私には許せなかった。
 私が捨てた場所に、私が居られなかった場所に、こいつは居続けている。今もずっと、甘え続けている。
 そんな奴に聞かれた事が……そんな奴に負けることが許せなかった。

 守矢一家の談笑が耳に届く度に、自分の心の敏感な部分がなぞられている感じがして、気分が悪くなって来た。
 どうしても、あの時にケンカをした事を思い出してしまう。そして、昔の事を思い出してしまう。余計な事を考えてしまう。
 ……どうして、今日はお酒がないのだろう。
 お酒が飲めれば、酔ってしまえば、こんな事は気にならなくて済むのに。こんな事を思い出さずに、楽しく宴会の場に居られるのに。
 周りの連中と馬鹿な話をして、楽しく盛り上がって居られるのに。
 いつもの……私でいられるのに。
 
 苛々しながら会話を聞いていると……早苗たちの話題は私の事に移ろうとしていた。
「あ、そうそう。今日は他にもお仕事を手伝ってくれた人がいるんですよ」
 そう言って、早苗が私の方を指す。
「あ、本当だ、魔理沙がいる!」
「そうか、今日は例の『試合の日』だったね」
 三人が、私の方を見ながら話をしている。このまま話題が進むと、私に話し掛けて来そうな雰囲気だった。

 ……だめだ。今の私は、今の気分の私は、こいつらと話をしたくない。
 今、こいつらと話をしたら……私はきっと、冷静に話をする事ができない。ケンカになってしまう。
「……………」
 気が付くと、私は箸を置いて、逃げ出すように席を立っていた。

「……あ」
 足早に席を立った私を見て、早苗が当惑した声を上げた。
「あ、あの」
 出口に向かって歩いていく私。視界の端に、早苗が立ち上がるのが見えた。
 どうか話しかけないでくれ。来ないでくれ。……静かに帰らせてくれ。心の中でそう願ったけど、お節介焼きの早苗は足早に私の側に追いついてきた。
「あの、もう帰るんですか?」
「……まあな」
「そうですか……」残念そうに言う早苗。でも、すぐに気を取り直して言った。
「じゃあ、送っていきますね」
 無邪気に笑顔を浮かべる早苗。私は追い払うこともできずに頷いた。


 ……………


 私の横を、早苗がとことこと歩いている。私の急な退席に当惑しつつも、無事に宴会が、そして神事が終わりそうだからか、上機嫌そうだ。でも私の方は、とてもそんな気分ではなかった。
「お食事、おいしかったですか?」
 さっさと帰りたいのに、早苗の方は親しげに話しかけてくる。
「ごめん。ほとんど食べてないんだ……食欲が無くてな」
 私の言葉に、早苗が心配そうな表情を浮かべる。こいつは額面通りに受け取って、私が体調が悪いとでも思っているのだろう。
「ごめんなさい。折角手伝ってもらったのに……」
 しばらくお互い無言で、廊下を歩き続ける。
 宴会場とは打って変わって静かな中、私たちが廊下を歩く足音だけが響いていた。

「……あ、そうだ」
 突然、早苗が何かを思いついた様に、ぽんと手を叩いた。
「手伝ってくれたお礼に、私の『宝物』を見ていって下さい」
 いきなりの早苗の申し出に、当惑してしまう。
「宝物?それって……」
 私は疑問に思って早苗の方を見た。早苗が、こくりと頷く。
「そうですよ。私が負けた時の『賞品』です。せめてお食事の代わりに見て行ってください」
「……………」
 少し考えて、私は頷いた。
「そうだな。見せて貰おうか」
 いつか早苗に勝てたときの楽しみにする予定だったが、この機会に見ておくのもいいかもしれない。もしかしたら、今の気分が少しでも晴れるかもしれなかった。


 ……………


 早苗に連れられて向かった先は、守矢の神社の境内だった。
「あれ?こっちでいいのか?」
 私の質問に、早苗は「はい」と小さく頷いて歩き続ける。私は当惑しつつも後に付いて行った。
 「宝物」という位だから、てっきり、早苗の部屋か、本殿の宝物庫あたりにあるのかと思っていた。それなのに、早苗は境内の外れの方に歩いていく。
 ……やがて、早苗は神社の片隅にある小さな建物、社を指し示した。
「この中にあるのが、私の宝物です」
 入口に掛かっている小さな札を見る。そこには「天流水舎」と書かれていた。
「何だ、こりゃ?」
 窓から覗き込んで中を見ると、一間ほどのごくごく小さなスペースしかない。
 薄暗い中、目を凝らす。目が慣れて来ると、中央に木桶が置いてあるのが見えた。
 それほど大きくない、どちらかと言えば「盥」(たらい)に近いその木桶。守矢の神社の紋が描かれているその桶の中には、半分程度水が溜まっていた。
「見えました?」
「見えたけど……水の入った桶しかないぞ」
 私の言葉に、早苗はにっこりと微笑んだ。
「それが私の『宝物』ですよ」
「あの桶が?」
「桶じゃなくて、中身の水の方です。……あの中に入っている水は『お天水』なんです」
 「お天水」。それは、どんな天候の日でも、一日三滴は水が屋根上の穴から滴り落ちてくるという、奇跡の水。その水には神徳が宿るとされており、雨を降らしたり川の源流になったりと数々の奇跡を起こしてきたらしい。
 そう言えば、いつか霊夢から名前と大雑把な話だけは聞いた様な気がする。神奈子のスペルカードにそんな名前の奴があるらしい。……私の方は、あの時早苗に撃ち落とされたので、それ以上の事は知らないけど……。
「……つまり、『願い事の叶う、奇跡の水』ですかね。私も口にした事がありますよ」
「奇跡の水ねぇ……」
 私はもう一度、建物の中をじっと覗き込んだ。
 盥の上、天井をじっと見つめていたが、なかなか水滴が落ちてくる様子は無い。
「待っていても落ちてこないですよ。何しろ、一日三滴ですから」
 早苗は笑って言った。
「正確には、八坂様の神徳……力によって変わるのですけどね。今は信仰も大分戻りましたし、もう少しペースは早いです。それでも、あの量まで溜まるまでにはかなりの時間が掛かっているのですよ。だから、本当に貴重なんです」
「なるほどねえ……」
「そして、この『お天水』は、思いを込めて使うと、願いが叶うと言われているんです」
 嬉しそうに紹介する早苗。
「ほうほう。すると、一発で傷が治ったり、ものすごくパワーアップしたりするんだな?」
 私の言葉に、早苗はうーん、と考え込んだ。
「そうですね。もちろん身体にもいいですし、使い方によっては、ケガを治したり、一時的に力が高まったりはするとは思いますけど……。でも、その効果よりも。この『水』に願いを込めること。誰かのために願うこと。それ自体に意味があるんです」
「身体だけでなく、心も癒してくれる、温かくしてくれる……そんな水なんです」
 自分にとっての「宝物」だけあって、早苗の口調は紹介する嬉しさと誇りに満ちていた。
 だけど。私の方は内心落胆していた。
 これまで頑張って来たけど、早苗に勝っても、賞品はただの「水」か……。
 第一、「願いが叶う水」らしいけど、その効果が漠然としすぎている。
 確かにいろいろ効果はありそうだけど、実際に飲んでいるらしい早苗本人は、別にケガをしないわけでもないし、不老不死でも無さそうだ。それに、確かに早苗は今の私よりは強いけれど、それでも全てを超越した力、というほどでもない。結局のところ、多分「それなり」の効果しか無いのだろう。この方面の効果なら、永遠亭や紅魔館あたりで怪しげな薬でも作ってもらった方がまだましそうだ。

「確かにすごいけどなぁ……」私は小さく溜息をついた。「こんなのが『宝物』かよ。大体、ここにはこの手の珍しいものは他にもあるだろ」
 外では歴史のある神社だったらしいし、宝物は別にもあるだろう。こんな微妙な効果の水を貰う位なら、まだケロちゃん帽や神奈子の注連縄を貰った方が使い道がありそうだ。
「そうですね。でも、この水は、私自身にとって、本当に大切なものなんです。私の『宝物』なんです」
 早苗がそう言って……桶の水を眺めた。
「この水は……私と八坂様、諏訪子様にとって、思い出の水なんです」
「思い出の水?」
「はい」早苗は頷いた。
「この水は……八坂様の力のこもった、神様の水なんです。だから、このお水は、八坂様のための水なんです」
 私は頷いた。それはわかる。神奈子の神徳から出ている水なのだから、当然だろう。でも、それがどうして思い出の水なんだ?
 私の疑問の目に答えるように、早苗は続けて言った。
「……その大切な水を、八坂様は私のために使って下さったんです」
 何かを思い出すような、懐かしげな目。
「……何だかよく判らないけど、神奈子が風祝のお前のためにその力を使うのは、別に普通の事じゃないか?」
「今なら、そうかもしれませんね」早苗は建物の中……「お天水」の入った桶を眺めながら頷いた。
「でも、昔は、あの頃は、そうじゃなかったんです」

 早苗はくるりと身体を翻し、「天流水舎」の壁にもたれ掛かる。そして、空を眺めながら、一言、一言……区切る様に話し始めた。
「昔の私は、ずっと、悩んでいました」
「身体も弱くて、よく寝込んでいましたし、それに……他にもいろいろあったので、この神社で、私は風祝として資格があるのだろうか、お二人と一緒にいてもいいのだろうか……ずっと、悩んでいたんです」
「……………」
「でも、そんな時、八坂様が、この『水』を、私のために使ってくれました。……私のためだけに使ってくれたんです」
「そして、その時、八坂様は……そして諏訪子様は、私に言ってくれました。お前は、私たちの大切な風祝だって。……私たちの大切な家族だって、言ってくれたんです」
「ずっとここにいてもいいって。ずっと一緒にいて欲しいって、言ってくれたんです」
「本当に……本当に嬉しかったんです」

「だから、この水は、私にとって八坂様たちとの絆がこもった、家族になれた思い出の水。思い出のこもった、大切な……大切な水なんです」
 私の知らない、「その時の思い出」を思い出すように……本当に愛おしげに『水』を眺めて語る早苗。でも、私は……そんな早苗を冷めた目で見つめていた。

 ……どんな宝物なのかと思ったけど、結局は、早苗の家族自慢じゃないか。
 やっぱり、早苗と私とは根本的に違っている。あいつは要するに「家族」が宝物なのだ。
 ……私が捨ててきた、「家族」が。

 こいつは、どうしてあの時に私とケンカになったのかも、きっと判っていないんだ。
 私と違って、家族と幸せに暮らしている、早苗には。
 早苗には、家族に自分の事を判って貰えない辛さも、家族と別れる辛さも……判っていないんだ。
 どうして私が怒っているのかすら、理解していないんだ。
 だから、こんな水を、宝物だなんて言えるんだ。


 だから。私は改めて決心した。
 絶対に早苗に勝ってやる。そして、この「水」を手に入れてやるんだ。
 多分大した効き目は無いのだろうけれど、そんな事は関係ない。早苗が大切にしているこの「水」を飲んでやりたいと思った。

 大切な「水」なら、私の家にだってある。……自分の家にある、井戸の水だ。
 実家を飛び出した私が今の家に来て、誰の手伝いも借りずに一人で掘った井戸。
 私の魔法に理解を示さない馬鹿な家族を捨てて、初めて自分で掘った井戸だ。
 特別な効果なんか無い、ただの水だけど。でも、こんな「ぬるま湯」の水なんかより、うちの井戸の水の方が絶対に美味しい筈だ。
 ……絶対に早苗に勝ってやる。私の方が正しいと証明してやる。
 そして、早苗の目の前でこの水を飲み干して……「うちの井戸の水の方が美味しい」と言ってやるんだ。


 ……………


 それからも、毎週一度、早苗に挑戦する日々は続いた。
 蝉の鳴き声が聞こえなくなり、秋がやって来ても、私達の勝負の行方は変わらなかった。
 何度やっても勝てない。差が詰まっている感じすらしない。
 そして、早苗の言う「賞品」は相変わらず家事手伝いだった。
 私を手伝わせながら、いつもと変わらず、楽しそうにのんびりと家事をこなす早苗を見て……私は焦りと理不尽さを感じていた。
 何故、私は早苗に勝てないのだろう。
 早苗にあって、私に無いものは何だろう。
 私には……何が足りないのだろう。


 ……………


 私を怒らせる出来事が起きたのは、秋も深まったある日の事だった。
 その日、珍しく遅く、時間ギリギリにやってきた早苗が、私に告げたのだ。
「今日の勝負は中止」と……。
「すいません、今日は時間がないんです。神事があって……」申し訳無さそうに謝る早苗に、私は食い下がった。
「何だよそりゃ。どうせ勝ったら手伝わせるつもりなんだろ。いつも通りやったらいいじゃないか」
 そう言ったが、早苗は首を横に振った。
「その……今日の仕事は、風祝の私にしかできない神事なんです。本当にごめんなさい」
「ふざけんな!」私は思わず怒鳴っていた。
 早苗には、私なんかの相手をしている時間なんて、もう無いのか?
 私には、家事の手伝いをさせる価値すら無くなったのか。
 裏切られた様な気持ちになって、早苗を見る。
 でも、早苗は、寂しげな表情で首を横に振るばかりだった。

「もう……いい!」
 私は箒を出して飛び上がった。
「ごめんなさい……」
 下から、早苗が寂しげな表情で私を見上げている。
「お前なんかに。……お前なんかに、私の気持ちが判ってたまるか!」
 思わず怒鳴ってしまう。
「次は……次は、必ず来ますから!」
 後ろから、早苗の声が聞こえてくる。
 でも私は振り返ると、その声を降り届く様に、そのまま、家に向かって箒を飛ばした。

(何だよ。……何だよ!)
 帰り道を飛ばしながら……私は、溢れる感情を抑える事ができなかった。

 私に勝つことが。
 私と戦う事が。
 私が挑み続けている事、そのものが。
 そして、私と……会う事さえも。
 早苗にとっては、もう、価値の無い物なのだろうか。

 これまでやってきた全てを否定された様な気がして。
 ……悔しくて、悔しくて、仕方がなかった。


 ……………


 その日は、霜が降りていてもおかしくない、とても寒い朝だった。
 ……いや、霜は降りていたのかもしれない。しかし、朝から降り続いた雨が、全てを洗い流してしまっていた。雨が止んだ後も、空はどんよりと曇り続けている。そして、強く吹き続ける風は、霜に負けないほど冷たかった。
 雲行きを見ると、またいつ雨が降ってくるかも判らない。いや、この寒さだと、次に降ってくるのは、雪かもしれない。息を吐くと、わずかに白い靄が立ち上がるのが見える。いよいよ冬が近づいている様だった。
 箒を出して空に舞い上がる。風は身を切る様な冷たさで、私は思わず身体を震わせた。

「……………」
 もう、行くのを止めようか。そんな考えが心をよぎる。
 少しだけ迷いながら遠くに見える妖怪の山を眺めていると、早苗の言葉が聞こえた様な気がした。
(次は……次は、必ず来ますから)
 その言葉と共に、あの日の申し訳なさそうな、寂しげな表情が浮かんでくる。
 私は、首を振ってその姿を追い払った。

「……行こう」
 そして、改めて、決心した。
 早苗があんな事を言っていたからじゃない。行かなければ、私の不戦敗だからだ。
 それは、私が早苗に負けるだけではない。私が私自身に負ける事だ。私の思いに、意志に、自分自身が負ける事だ。そんな事は絶対に出来ない。
 私は寒さを吹き飛ばす様に、そして、自分の弱い気持ちを振り払うように、妖怪の山へと箒を飛ばした。


 ……………


 守矢の神社前の広場。いつもの時間より10分も前に来てやったというのに、早苗はまだ来ていなかった。
(……何やってるんだよ)
 鳥居の奥、守矢の神社に続く階段を睨み付ける。階段を見上げる私の帽子に……ぽつり、と雨粒が当たる感触がした。
(降って来ちゃったな……)
 ぽつぽつと降り始めた雨は、音もなく、糸の様に細く……だけど、休まずに降り続けた。弱い雨。だけどそれは……氷の様に冷たい雨だった。
 雨の冷たさに、木の下で雨宿りをしようとして……私は、気を取り直して立ち止まった。
 ここに来たときから、もう、勝負は始まっているんだ。私は……風が冷たくても、雨に打たれても、そんなものは平気なんだ。早苗とは、違うんだ。
 雨が降り続き、私の服に冷たさが染みこんでくる。それでも、私は待ち続けた。

 濡れた服が肌に張り付く感触がする。その冷たさに、私は思わず大きなくしゃみをした。
「……………」
 時計を見ると、もう待ち合わせの時間は過ぎていた。だけど、階段から誰かが下りてくる様子は見えない。
 私がこんな中で待っているというのに、早苗の奴はなぜ来ないんだ。何だか無性に腹が立って来た。

(……もしかして、もう来ないのか?)
 雨だから中止だとでも思っているのか?
 ……それとも、この前あんな事を言ったから、もう私と会うのが嫌になったのか?
 約束したじゃないか。
 次は必ず来るって、言ったじゃないか。

 ……時計は進み続ける。
 もう帰ろうか、そんな気持ちが頭をよぎる。それでも、私はその思いを振り払って待ち続けた。

 そして、更に10分程待った頃。
「……………!」
 ようやく、階段の上に人影が見えた。
 一瞬だけ、安堵の感情が……そして、その後から怒りがこみ上げて来た。

 長い階段を降りてくる、早苗の姿が見える。
 私が雨の中待っていたというのに、早苗は傘を差しながら降りて来た。
 雨に濡れない様に大きめの傘を深く差して、その中に身を隠すように歩く早苗。深く被った傘のために、その表情は見えない。
 何かを小脇に抱えながら、手すりにもたれる様に、ゆっくりと、ゆっくりと降りてくる。……その悠長さに、私は腹が立った。
 遅刻してきたのに。そして、私は傘も差さずに待っているのに。私を馬鹿にしているのか?

 暫く待たされて、ようやく早苗が階段の下まで降りて来た。
「遅いじゃないか!」
 浴びせた声は、自分でも驚くほど大きく……冷たい声だった。
 早苗が何か答える。「ごめんなさい」とでも言ったのかもしれない。だけど、その声は小さくて……降り続く雨に遮られて私には届かなかった。
 もう……許せない。

 早苗が鳥居をくぐって、広場に足を踏み入れると同時に。
「勝負はもう始まってるぜ!」
 私はそう叫んで、星弾を打ち出した。

「……………!」
 早苗は、いつもの早苗とは思えない程……全く、対応出来なかった。
 慌てて避けようとするが、いつもより動き始めるテンポが遅い。それに、傘を差したままのそんな緩慢な動きでは避けられる筈が無い。避けきれなかった弾の一つが身体をかすめて、早苗は大きくバランスを崩した。
「きゃっ」
 小さな悲鳴と共に、無様に転ぶ早苗。ばしゃっ、と大きな音を立てて、早苗は水たまりに倒れ込んだ。手を放れた傘が宙を舞う。脇に抱えていた荷物が放り出されて、水しぶきと共に地面に落ちた。
 ……決定的な隙だった。


「もらった!」
 私は素早く八卦炉を取り出して早苗に突きつけた。まだ早苗は倒れたままだ。
 いつの日か、と思っていた勝利の瞬間。だが、実際に迎えてみるとあっけないものだった。
 馬鹿な奴だ。傘なんか差して来るからだ。それに、どうやら攻撃されるとは思っていなかったらしい。
 ……雨だから中止だとでも思っていたのだろうか。そんな甘い事を考えているから、こんな事になるんだ。
 仲良しの家族に守られて、悩みもなくぬくぬくと生きているから、こんな事になるんだ。
 だけど。……だからこそ、容赦はしない。
 そんな甘い考えごと、全部吹き飛ばしてやる。
 私はとどめを放とうと、八卦炉に力を込めた。


 その時。
 突然、目の前がふっと暗くなって。
 次の瞬間。私の目の前に何かが落ちてきた。
 水しぶきが上がる音……そしてそれ以上に大きな、どん、という重い音が響く。
「わ……っ」
 私は思わず後ろに飛び下がった。びりびりという衝撃が、私の身体を震わせる。
 そこには……私たちの間を遮る様に。そして早苗を庇う様に空から降ってきた大きな柱が突き立っていた。
 同時に、水しぶきを立てて私の真横に人影が降り立つ。……神奈子だった。
「……………」
「な……なんだよ」
 神奈子と目が合う。神奈子は、私を睨みつけていた。その目から伝わってくる強い怒りの感情に、押しつぶされてしまいそうになる。
「……何だよ。せっかく勝ったと思ったのに、神様が助太刀かよ」
 恐怖に耐えながら、口を開く。
「いいよな、保護者がいる奴は」
「……っ!」
 その言葉を聞いて……神奈子の怒気が高まった。痛いほどに張り詰めた空気が、ぴりぴりと私を震わせる。その剣幕に、私は思わず一歩後ずさった。

 その時……後ろから悲鳴にも似た声が聞こえてきた。
「早苗っ!!」
 神奈子の後に階段から下りてきていた、諏訪子の声だった。
「早苗!しっかりして……!」
 その声を聞いて、神奈子がはっとして後ろを振り向き、狼狽した表情を浮かべた。張りつめていた空気が霧散する。「圧力」から解放された私は、内心ほっとしながら、慌てる二人の様子を眺めていた。
「な、何だよ……お前らの過保護ぶりは……」
 しかし、神奈子も諏訪子も、私の存在など眼中に無い様に、倒れた早苗の元に駆け寄っていく。
「早苗、……早苗!!」二人が、必死に呼びかけている。
 私はようやく、二人の様子がただ事では無い事に気が付いた。
 そして。
 その時になって、ようやく私も……早苗の様子がおかしい事に気が付いた。

 早苗が、倒れたまま……動かない。
 降り続く雨の中。水たまりに倒れたまま、立ち上がろうとしない。
 傘が飛ばされ、雨に打たれ続けているというのに。泥水の池のようになった水たまりの中に倒れ込んでいるというのに。それなのに、立ち上がろうとしない。
 どうして? まだ、ほとんど攻撃も当たっていないのに……。

「早苗、早苗っ!!」
 駆け寄った神奈子が、早苗の側にしゃがみ込んだ。服が泥で汚れるのも構わず、早苗を抱き起こす。
「八坂……さま」か細い声。
 離れて見ている私にも、ようやく判った。早苗の様子が。
 早苗は、寒さに身体を震わせながら……ぐったりと倒れ込んでいた。
「バカ。こんなに熱が出ているのに、おとなしく寝ていなかったの!? 寝てなきゃダメでしょう!? こんな寒い中、外に出るなんて……」
「……ごめんなさい、八坂様」細い声で答える早苗の顔色は、血の気が無く、真っ青だった。
「……だって、友達との約束を破りたくなかったから……」
「本当にバカなんだから」そう言って、神奈子は早苗を強く抱きしめた。
「……友達ってのは、少しぐらい約束を守れなくても、とやかく言わないものよ。事情があるって、わかってくれるものなの」
 神奈子の言葉に、後ろに立っている私は、何も……言えなかった。
「それに、雨が降って来たから……持って行ってあげようと思って……」
 その言葉に、私は初めて、早苗が持ってきていた物に気が付いた。
 ……こんな体調の中、早苗が大切に持ってきた荷物。
 私の攻撃で投げ出されて、地面に放り出された荷物。
 それは……もう一本の、傘、だった。
「こんな雨の日は中止に決まっているでしょう!」神奈子が泣きそうな声で、早苗を抱きしめた。「身体も悪いのに、何でこんな無茶をするの」


「とにかく、すぐに早苗を中に!」
 持ってきたタオルで早苗の身体を包みながら、諏訪子が促す。神奈子は頷くと、早苗を抱きかかえて一気に跳躍した。神奈子は階段の上に……神社の境内へと飛び上がり、姿が見えなくなる。
 後には、私と……諏訪子だけが残された。

「……………」
 冷たい雨の中。傘もなく打たれている私と、小さな傘を差している諏訪子。
 雨に打たれて、ただ、馬鹿みたいに突っ立っている私。そんな私を、諏訪子はただ、じっと見つめていた。
「あ、あの……」
「……………」
 諏訪子は、無言で地面に落ちていた傘を拾い上げて、私の方に歩いてくる。
 私の前まで歩いてきた諏訪子が、じっと私を見上げる。私は……その目を見る事ができなかった。
 諏訪子の手が動く。
「……………!」
 ぶたれると思った私は、びくりと身体を震わせて目を閉じた。

「……濡れちゃうよ。傘を差しなさい」
 ……その言葉に、私はそっと目を開けた。
 諏訪子が……私に、傘を差し出していた。
「せっかく、早苗が持ってきてくれたんだから……ね」
 諏訪子は静かにそう言うと、振り返って、二人の後を追って階段を駆け上がって行った。
 水を跳ねる足音が、次第に遠ざかっていく。
 ……誰もいなくなった広場には、私だけが残されて。
 ただ……雨の音だけが響いていた。

 手の中に渡された傘を見る。
 雨の中。……体調が悪い中、早苗が持ってきてくれた傘。
 私のせいで、泥水で水浸しになった傘。
 早苗は、熱を出して、寝ていなければならない身体で、来ないかもしれない私の事を心配して、この傘を持ってきてくれたのに。
 こんな私なんかのために、傘を持って来てくれたのに。
 それなのに。そんな早苗に、私は……。

 ……私は、鳥居をくぐって、境内に続く階段を上り始めた。
 早苗が持ってきてくれた傘は、私の手の中にある。……だけど、今の私には、この傘を差す資格なんて無い。
 雨で濡れた重い身体を引きずる様に、階段を上がっていく。
 雨は変わらず、私の身体を打ち続けていた。
 ……馬鹿な私の身体を、打ち続けていた。

 階段を上がってから、私は何をすればいいのか。
 何をしなければいけないのか。
 そして、早苗のために、何ができるのか。
 一歩一歩、階段を踏みしめながら考える。
 だけど、長い階段を上り終わっても……答えは、出なかった。


 ……………


 境内に上がってくると、そこには誰もいなかった。
 雨の降り続く守矢の神社の境内は薄暗く、まるで夜のようだった。神社そのものも、まるで溶け込んでしまったかの様に、暗い灰色の影を浮かび上がらせている。その中に、一つだけ明かりの灯った建物が、ぼんやりと浮き上がる様に佇んでいた。
 私は、目的も判らないまま、まるで明かりに吸い寄せられる様に、ふらふらと歩いていった。


 中に入ってみると、そこは、守矢の神社の台所だった。
 早苗の姿はない。既に部屋に運ばれているのだろう。
 中では、神奈子と諏訪子の二人が、慌ただしく動き回っていた。
 神奈子が竈に薪を入れて、火を付ける。その横では、諏訪子が手早く米を研いでいた。
 私は入口に突っ立って、何も出来ずに、ただその様子を眺めていた。
 毎週の「勝負」の後、いつも手伝わされているというのに。頭が真っ白になって、何をすればいいのか判らない。そして、私なんかが手伝っていいのかも判らない。
 私には……馬鹿みたいにその場に立ち続ける事しか出来なかった。

 しばらくして、不意に神奈子がこちらに……台所の入口に駆け寄って来た。
「邪魔よ、どきなさい」
 私を突き飛ばす様にして、そのまま外へと走り出していく。
 尻餅を付いた私は、呆然と、神奈子の行き先を目で追っていた。
 雨の中、神奈子が走っていったその先は……いつかの宴会の日、神奈子が間違えて入りそうになっていた建物。そして、早苗が「宝物」だと見せてくれたものがある建物。
 「天流水舎」だった。

「……大丈夫?」
 その声に振り返ると、諏訪子が私を見下ろしていた。
「そんな濡れたままだと風邪をひくよ。これで身体を拭いて」
 そう言って、バスタオルを私に手渡す。
「……………」
 バスタオルを受け取って、台所の片隅で無言で身体を拭いていると、神奈子が何かを手に持って戻ってきた。
「持ってきたよ、諏訪子」
「お疲れさま」
 神奈子が持ってきたものは……「桶」だった。守矢の神社の紋が刻まれている木桶。それは、前に早苗に見せて貰った「お天水」が入っている桶だった。
 諏訪子が、研いだ米を釜に移す。神奈子はその釜に、「天流水舎」から持ってきた桶の水……「お天水」を少しずつ注ぎ込んだ。
 そして、何かを一心に祈りながら、かき混ぜる。
 しばらくして、場所を交代して、諏訪子も同じように何かを祈りながら水を注いでかき混ぜる。その後も二人は何回も交代しながら、願いを込めて釜に注いだ「お天水」をかき混ぜていた。
 二人とも、神様だというのに、何かに祈るように続けている。二人が何を願っているのかは……私にも判った。

 ……私も、願ってもいいだろうか。
 私なんかが、願ってもいいのだろうか。その資格があるのだろうか。
 それでも、私は二人の後ろで、手を合わせて「お天水」に願った。
 どうか。どうか、早苗が元気になりますように……。

 しばらくして、今度は竈の火を大きくしようと、神奈子と諏訪子が交代で竹筒でかまどに息を吹きかけ始めた。
 降りかかる灰で、顔がすすだらけになりながら。あふれ出す熱で、髪を焦がしながら。それにも構わず、一心不乱に火を起こし続けていた。
 ようやく火が大きくなると、二人は一緒に釜を持って……その竈に置いた。
「これで、後はお粥が炊けるのを待つだけだね」諏訪子が、ほっと一息ついた。
「久しぶりだけど、きっと上手くいったよね」「きっと大丈夫だよ」
 独り言の様に言い合う二人。

 そうか。あの「お天水」は。こうして使われていたのか。
 身体が弱い早苗のために。二人が、思いを込めてお粥を作るために。
 いつも料理なんかしない神様たちが、一生懸命、心を込めてお粥を作るために。使われていたんだ。
 あの水は……その日が来たときの為に。そして、その日が来ない事を願いながら、毎日毎日、ずっと大切に集められていたんだ。

 お粥が炊きあがるのを心待ちにするように、竈の火を眺める二人。
 私も……その横で、ぼんやりと火を眺め続けていた。


「……早苗にはね。家族がいないんだよ」

「えっ?」
 突然聞こえてきた声に、はっとして我に返る。
 振り返ると、いつの間にか神奈子が私の横に佇んでいた。
「早苗は、自分の親と、そして兄弟と別れて……ここにやってきたんだ」
「……………」
「幻想郷に来た時じゃないよ」神奈子が独り言の様に続ける。「私の神社に来たときには……早苗はもう、ひとりぼっちだったんだ」
「そして、向こうの友達とも、こっちに来たときに離ればなれになってしまった」
「家族とも、そして友達とも。早苗はもう二度と……会えないんだよ」
「……………」
「早苗があんたにあの時、家族の事を聞いたのは、別に悪気があったわけじゃない」
「……………」
「あんたが、自分に似た境遇だからでもない。……あんたを友達だと思ったからだ」
 竈の火を眺めながら、神奈子が呟くように言った。
「こちらでやっとできた、新しい友達の事を、ただ、もっと知りたかっただけなんだよ」
 神奈子は、それ以上は何も言わず……ただ、ことことと音を立て始めた竈を眺めていた。


 ……………


 気が付けば、私は、ふらふらと早苗の部屋にやってきていた。
 外はあれだけ寒かったというのに、部屋の中は暖かい。そして、気が付けば……あれほどずぶ濡れだった服が、いつの間にか元通りに乾いていた。どうやらこの部屋には、神様二人の何かの力が働いている様だった。
 でも、その「力」は私に向けられたものじゃない。この部屋で寝ている早苗のための……早苗を守るための、神様の力だった。
 部屋の中に目を遣ると、中央に置かれた布団の中で、パジャマに着替えさせられた早苗が眠っていた。

「……………」
 早苗は……何かにうなされて、苦しげな表情を浮かべていた。
 何か、悲しい夢を見ているのかもしれない。
 ……でも、私にはどうすることもできない。

「……、さん…」
 早苗が、うなされながら、何かをうわごとの様に繰り返している。
 布団から手を伸ばす早苗。繋ぐ先の無いその手が、誰かを求める様に、宙を泳いでいた。
「どうした、苦しいのか、早苗!?」私は早苗の側に駆け寄った。
 身を乗り出して、早苗の口元に耳を近づける。
 ……早苗が繰り返し呟いている言葉が、聞こえてきた。

「お母さん……」

 私は思わず、手を伸ばして、早苗の手を握りしめていた。
 早苗は何かを求めるように、強く握り返してくる。私は、負けないほど強く、両手でしっかりと早苗の手を包み込んだ。
 何かにうなされて苦しげな表情を浮かべていた早苗の表情が、少しだけ和らぐ。口元に、微かに安堵の笑みが浮かんでいるのが見えた。
(早苗……)
 私はもう一度、しっかりと早苗の手を握りしめた。
 やがて、小さく寝息を立て始めて、早苗の手の力が抜けた後も。私は、ずっとその手を握り続けていた。

 ……そうか。
 早苗も……私と同じだったんだ。
 ……いや、「同じ」なんかじゃない。
 早苗は、辛い思い出を乗り越えて、今があるというのに。辛さなんか見せずに、誰も恨まずに、前を向いて歩いて。そして、今の場所に居るというのに。
 私の方は、あの時から、少しも前に進めていないじゃないか。
 早苗の事すら誤解して、理解する事ができなかったじゃないか。
 そんな私が……早苗に、勝てるわけがないじゃないか。

 私は……何て、馬鹿なんだろう。
 本当に。何て、馬鹿なんだろう……。


 ……………


 しばらくして、障子が開いて神奈子と諏訪子が入ってきた。神奈子の持って来た盆の上には、お粥の入ったお櫃とお茶碗、そして木の匙が乗っていた。
 神奈子が枕元にしゃがんで、早苗に呼びかける。
「早苗、早苗。……起きられる?」
 早苗が、ゆっくりと目を開いた。
「あ……」神奈子と諏訪子を見て、安堵の表情を浮かべる早苗。
「……早苗、お粥ができたよ」
 神奈子がお粥を一掬い匙に取って、息を吹きかけながら早苗の口元に持っていく。早苗が小さく口を開けて、ゆっくりとお粥を飲み込んだ。
 それを見て、二人はほっとして表情を和らげる。
「神奈子特製のお粥だからね。これでもう大丈夫だよ」
 横から、諏訪子も優しく早苗に呼びかける。
 早苗も、小さく笑みを浮かべた。……でも、すぐにその表情が曇る。
「八坂様、諏訪子様。また、ご迷惑をかけてしまいましたね……」
 その言葉に、二人は優しく早苗に語りかけた。
「何言ってるの。気にしないでいいのよ」
「そうそう。たまには私たちにも、家族らしい事をさせて頂戴」
 神奈子と諏訪子。二人の言葉に……早苗は弱々しく、小さく笑みを浮かべて頷いた。

 神奈子が、そして諏訪子が。交代で匙を取ってお粥を早苗の口に運ぶ。
「おいしい?」
「……はい、美味しいです」少しずつお粥を口にしながら、頷く早苗。
「早苗……早く良くなってね」
 そして、そんな早苗を優しく見守る二人。

 その光景を見ながら、私はあの時の早苗の言葉を思い出していた。
「私と八坂様、諏訪子様にとって、大切な、思い出の水なんです」
 神奈子と諏訪子。そして、早苗。今、その姿を見て……その言葉の意味がようやく判った様な気がした。


 ……………


「……ここにもう一杯置いとくからね。お腹が空いたら食べてね」
 神様たちはそう言うと、静かに部屋を出ていった。
 入口で一度立ち止まった神奈子が、枕元で正座している私を一瞥して……そして、そのまま何も言わずに出て行く。
 部屋の中には、私と早苗の二人だけが残された。
「……………」
 痛いほどの沈黙が広がる。
 ……何を話したらいいのか、判らない。
 ふと見ると、早苗は、さっきまで私の手を握りしめていた手を……ぼんやりと眺めていた。
「……どうした?」
「さっき……夢を……見ていた事を思い出しました」早苗は、ぽつりと小さく呟いた。「懐かしい、昔の……夢です」
「……そうか」
 再び、沈黙が周りを包む。
 何かを言ってやりたい。いや、言わなければならない事が有るはずなのに。言葉が出てこない。
 ようやく、絞り出す様に出た言葉は……ありふれたものだった。
「その……大丈夫か?」
 早苗は、ふっと笑みを浮かべて頷いた。
「心配して、来てくれたんですね」
「あの、私は……」
「……また、倒れちゃいました」早苗が、ぽつりと言った。
「また……八坂様と諏訪子様に、迷惑をかけてしまいました」
「迷惑なんかじゃない!」私は、思わず口を開いていた。
「神奈子も、諏訪子も、迷惑だなんて思ってない。二人は、早苗の……家族なんだから」
 その言葉に……早苗はゆっくりと頷いた。
「そう……ですよね。だから、早く……元気にならないと」
 そう言って、枕元のお茶碗と匙を手に取ると、口元まで運んだ。
「……………」
 だけど、そこで止まってしまう。それからも、何度も粥を口にしようとするけど、どうしても食べる事ができない。
 結局、しばらくして……一口も食べられないまま、そのまま枕元に置いてしまった。どうやら……食欲が湧かないみたいだった。
 早苗は、悲しそうな……申し訳無さそうな目で、枕元のお粥を見つめていた。

「……………」
 再び、沈黙が周りを包む。

 そして、しばらくお茶碗を見ていた早苗が……ふと、口を開いた。
「あの……」
「何だ?」
「このお粥、食べてくれませんか」
 そう言って、私にお茶碗を差し出す。
「私が、か?」その言葉に、早苗は「はい」と頷いた。
「私はもう、お腹が一杯なんです。……それに」
「私が食べられないと、きっとお二人が心配されます」早苗が、縋るような目で私を見た。
「……だから、お願いです。私の代わりに食べて欲しいんです」
 早苗の願い。こんな時にまで神奈子の事を、そして諏訪子の事を思って気を遣っている早苗の願い。でも……。二人が早苗のために作った、大切なお粥を。私なんかが食べてしまってもいいのだろうか。
 そう思って早苗を見ると……早苗は、こくりと頷いた。
「貴方に……食べて貰いたいんです」
 早苗が、そう言って、じっと私の目を見つめた。
「……わかったよ」
 私は茶碗を手に取った。お粥を匙に掬い取って、ゆっくりと口に運ぶ。

 お粥の味が……口の中に広がっていく。
 お粥に込められた気持ちが……染み渡ってくる。身体に……そして、心にも。

 ……美味しかった。
 美味しいだけじゃない。暖かい、味だった。
 作った人の思いが伝わってくる、優しい味だった。

 そして……思い出した。
 私も昔、この味のお粥を食べたことがあった事を。
 私にも、この味のお粥を作ってくれた人がいた事を。
 私を大切に思ってくれる人の作った、心のこもった食事を食べたことがある事を。

 ……どうして、私は、この味を忘れてしまったのだろう。
 ……どうして、私は、あの日の思いをどこかに置き忘れてしまったのだろう。

 私に思い出させてくれた、早苗のくれた大切なお粥。
 その味を噛みしめる様に。私は、匙を口に運び続けた。


 ……………


「早苗、起きてる?」
 食べ終わって茶碗を置いた少し後に、神奈子と諏訪子が入って来た。早苗が身を起こしているのを見て、ほっと溜息をつく。
「八坂様、諏訪子様。心配かけてごめんなさい」
「良かった。お粥、全部食べられたんだね」
 空になったお茶碗を見て、神奈子が安堵の表情を浮かべる。
「はい。もう大丈夫ですよ。……明日からまた頑張ります」
 早苗の言葉に、神奈子が苦笑した。
「そんな急に頑張らなくてもいいよ。後は私たちに任せて、しばらくはゆっくり休みなさい」
「私たちは……早苗が元気になってくれる事が、一番なんだからね」
「……はい」早苗が頷く。
「私たちがついているから、安心して寝ていいよ」
 そう言って、神奈子が優しく、早苗の手を包み込んだ。早苗は安心したように目を閉じて……しばらくして、小さく寝息を立て始めた。

「……眠ったみたいだね」
 神奈子が、眠っている早苗の頭を優しく撫でた。
「……………」
「……ばかだね、早苗も」
 そう言って、私の手元を見る。
「そんな所にお茶碗とお箸を置いていたら、自分が食べた訳じゃないってすぐに判るのにね」
「あ……」思わず、神奈子の方を見る。でも、神奈子は優しい表情で早苗を見つめていた。
「本当に優しい子だね。この子は」諏訪子がそう言って、早苗の髪を撫でる。
「私たちに……心配を掛けたく無かったんだね」
 早苗を見守る、神奈子と諏訪子の優しい気持ち。
 そして、二人を思う、早苗の優しい気持ち。
 お互いが、お互いの事を、大切に思う気持ち。
 その気持ちが、痛いほど伝わって来た。
 そして、その早苗の優しい思いは、私にも向けられていたのに。
 その早苗に、私は……。


「あ、あの……」私は、神奈子に呼びかけた。
「……何だい?」神奈子が、私を見つめている。
「……………」続く言葉を言おうとして……そのまま、口ごもってしまう。
 謝ろうと思ったのに、喉から言葉が出てこない。
 謝らないと、何かを言わないといけないって判っているのに。素直になれない自分が邪魔をして、言葉が出てこない。
 どうして、何も言えないのだろう。
 あの時も、素直に謝れなかったから、家を出ていく事になったのに。
 やっぱり、私は、あの時から一歩も前に進めていないんだ。
 そんな自分が悲しくて……悔しくて。私は俯いたまま、黙り込んでしまった。

「……もう、いいから今日はお帰り」
 神奈子が、静かに言った。
「今の早苗に必要なのは、あんたに謝ってもらう事なんかじゃないよ。じっくり休んで身体を治す事だ。そして、私たちが願うことも、早苗に元気になって貰うこと。……今、ここであんたができる事は何もないよ」
「で、でも」
「もし、あんたが早苗に何かをしたいと思うのだったら……何かをしたいと思ってくれているのだったら。帰ってからゆっくり考えたらいいよ」
「そうそう」
 横から諏訪子も、優しく私に言った。
「早苗はきっと……いつでも、待っていてくれるから……ね」

「……………」
 私は、黙って立ち上がった。
 早苗を見て、神奈子を見て、諏訪子を見て。だけど、やっぱり何も言えなくて。
 ただ、ぺこり、と頭を下げて、扉へと向かう。

「……魔理沙」
 後ろから、声がした。
「早苗と、仲良くしてやってね。……これからも」

 その時、私はその言葉に何と答えたのか。
 そして、帰り道、どうやって家まで帰ったのか、どの道を通って帰ったのかも。……何も覚えていなかった。
 ……だけど、溢れ出す気持ちを押さえる事が出来なかった事。
 そして……帰りの景色が、ずっと滲んで見えなかった事。
 ……それだけは、ずっとずっと、覚えていた。


 ……………


 あれからまた、一週間が過ぎた。
 何もする気も起きず、ただ時間だけが過ぎて……そしてまた、約束の曜日がやってきた。
 今日はいつもより暖かい。先週のあの寒さが、まるで嘘の様だ。冬になる前に、もう暫くは暖かい日が続くようだった。
 壁に掛かっている時計を見ると、もうとうにいつもの約束の時間は過ぎていた。

 ……この日に、何もしないのはどれだけぶりだろう。心に、ぽっかりと穴が空いた様だった。

 私は屋根に上がると、ぐるりと周りの景色を眺めてみた。
 遙か遠くに、人間の里が見えた。そしてその中には、見覚えのある特徴的な煙突が見えている。あの屋根の下で暮らす人たちは……今日も生活しているのだ。
 そして、振り返ると、遠くに妖怪の山が見えていた。木々の隙間からは赤い鳥居が姿を覗かせている。
 両方とも、箒を飛ばせば行ける距離にある。だけど、そのどちらも……今まで以上に、ずっとずっと遠くに見えた。

(……やっぱり、顔なんか出せないよな。どちらにも)
 ごろりと仰向けに寝転んで空を眺める。秋雲の広がる空は、どこまでも広かった。


 ……………


「……ああ、やっぱりここにいましたね」
 唐突に、下から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「……………」
 とん、と屋根の上に降り立つ音がする。
 目を上げると、そこには早苗が屈託のない笑顔を浮かべて立っていた。
「こんにちは、今日はいい天気ですね」
「……………。元気に……なったんだな」
 私の言葉に、早苗は「はい」とにっこりと頷いた。
「それで今日は、何の用だ?」
「……賞品を持ってきたんですよ」
 そう言って、ポケットから小さな水差しを取り出す。中には半分ほど水が入っていた。
「この前約束した、『お天水』です。前回、貴方が勝ったので、その『賞品』です」
 その言葉に、私は首を横に振った。
「何言ってるんだよ、お前は。勝ってなんかいないだろ。私は、私は……」
 そのまま、下を向いてしまう。
 こいつは、どこまでお人好しなんだ。私があんな事をしたっていうのに……。
 私の言葉に、早苗は少し考え込んで……そして、もう一度水差しを差し出した。
「……それじゃ、代わりに、今日の『賞品』という事にしましょう」
「えっ?」思わぬ言葉に、早苗を見上げる。
「今日はこれだけ遅刻したのですから、不戦敗ですよね」にっこりと笑う早苗。
「だから、私のプレゼントを受け取って下さい。……それが、私がお願いする、今回の『賞品』です」
 そう言って、水差しを手渡される。
「……本当に、そんな賞品でいいのか?」私は、手の中の水差しを見ながら言った。
「私は約束をすっぽかしたんだぜ。それに。それに……」
 そこで、言葉が止まってしまう。
 どうして素直になれないんだろう、私は。
 何を言わなければいけないか、わかっているのに。どうして素直に口にする事ができないのだろう。
 何とか続けようとする私を遮るように、早苗が言った。
「……友達ってのは、少しぐらい約束を守れなくても、とやかく言わないものですよ」
 早苗の、言葉。
「……ああ。そうだな」
 私は……震える声で、頷いた。
 こいつは……馬鹿だ。
 どうして。……どうして、そんなに……優しいんだよ。


「……それに私、とても楽しみにしているんですよ。いつも」そう言って、空を仰ぎ見る。
「私に勝つことがか?」
 私の言葉に、早苗は「いいえ」と、首を横に振った。
「勝負よりも、その後の『賞品』が、です。友達に仕事を手伝ってもらう事が。そして、一緒に過ごす事が、とても楽しみなんです。だから……」
 屈託のない笑顔。
「これからも負けませんよ」
「……………」
 そうか。こいつにとっては、どうでもいい賞品なんかじゃなかったんだな。自分の欲しかった物だったんだな。
 ……でも。
「馬鹿だな、お前は」私は、早苗に言ってやった。
「別にそんな手伝いなんて、別に勝負なんかしなくてもやってやるのに」
「えっ?」
「だって……友達なんだからな、私たちは」
 その言葉に、早苗が一瞬、驚いた表情をする。そして……顔一杯にこぼれるほどの笑顔を浮かべて、頷いた。
「はい! そうですね。……そうですね」
「馬鹿……何で泣いてるんだよ」私の言葉に、早苗は泣き笑いを浮かべながら、目尻を拭った。
「泣いてなんかいませんよ。だって……嬉しいんですから」
 ……その笑顔を見て、私は少しだけ、救われた様な気がした。

「……それに、次こそは勝ってやるんだからな。そして、お前にうちの井戸の水を飲ませてやる」
「井戸の水?」早苗が首を傾げる。
「ああ。私の宝物みたいなもんだ」そう言って、屋根の上から井戸を指さす。
「お前の家の『お天水』には負けるかもしれないけど、絶対おいしいから、楽しみにしておいてくれ」
 私の言葉に、早苗が不思議そうな表情を浮かべた。
「でも、それこそ、別に勝負に勝たなくても、飲ませてくれればいいじゃないですか」
「……だって、私たち、友達なんですから」
「……違いない」
 私たちは思わず、顔を見合わせて笑い合った。

「でも……それだと、勝負をする目的が無くなっちゃいましたね」
「そうだな。もう勝負は、中止だな」
「そうですね」
「……………」
 私たちは、しばらくの間、二人で何も言わずに空を眺めていた。
 初めて、早苗と会ったあの日と同じ、秋の空。空にかかっていた秋雲は、いつの間にか、どこかに行ってしまっていた。

「それじゃ、時間も余ったことですし、うちの神社に遊びに来ませんか?」
「そうだな」私は頷いた。
「それに……あのな。あのな、早苗」
「はい?」早苗が、私の目を覗き込む。
 私は、勇気を出して、口を開いた。
「神社に着いたら、私には……お前に言いたい事が、聞いて欲しい事が、たくさんあるんだ」
「奇遇ですね」私の言葉に、早苗はにっこりと微笑んだ。「実は、私もなんですよ」

 ……そうか。最初から、こうすればよかったんだな。
 今も、そして……あの時も。
 ……もう一度、空を見上げる。
 さっきまで見ていたのと同じ空の筈なのに。今は、さっきよりも、ずっと明るくて、透き通って見えた。

「……それじゃ、行きましょうか」
 早苗が、そっと私に手を伸ばした。
「ああ」
 私は、しっかりと早苗の手を握り返す。
 温かい掌。あの日、差し伸べられた手と同じ暖かさ。だけど、今は……その暖かさが素直に心まで伝わってくる様な気がする。

 私は、先を行く早苗の後を追って、箒を飛ばした。
 私の前を行く、早苗の背中が見える。まだまだ、追いつくことの出来ない背中が見えている。
 横を見ると、遙か遠くに人間の里が見えている。今は違う方向へと進んでいる私。その距離はずっと変わっていない様に見える。


 ……だけど。
 私はまだ早苗の温もりが残っている手のひらを……そっと胸に押し当てた。
 繋いだ手を通して、私の中に伝わった暖かいものは……私の胸の中に、確かに灯っていた。
 私の中で、変わった何か。
 その何かが、これまで凍っていた時間を溶かしてくれる日は……きっと、そんなに先の事では無いような気がした。

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