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2008年12月16日 (火曜日)

東方諏訪旅行記2-4:五穀豊穣ライスシャワー

■第2回東方諏訪旅行:目次
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2008/11/post-93a7.html

■北斗神社について

 前回の日記で取り上げた前宮~本宮間にある「長い階段の神社」ですが、調べてみると「北斗神社」だそうです。

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(写真1:北斗神社)

 祭神は天之御中主神。造化の三神の一柱にあたります。天(宇宙、高天原)の主宰神を祀る神社だけあって天に近い(高い)場所にあるのでしょうか。
 長い階段を見ただけで登るのが嫌になりそうな感じですが、実は昔は階段すら無く、45度近い坂道を上らないといけなかったそうです。戦時中に出征した家族の無事を祈る参拝者の為に地元の方が石段を少しずつ作ったものの、終戦で一時途絶。しかしその後もその意志は受け継がれ、ついに去年石段が全通したそうです。
 そんなわけで、登るのが大変な長い石段ですが、実は石段を登って参拝できるようになったのは去年からなのです。
 実際登るのは大変だと思いますが、上からの眺めは壮観な様です。次回の諏訪旅行の際には、是非とも石段の数奇な歴史を考えながら一段一段登って、北斗神社にも参拝したいと思います。


 さて、今回から2回に分けて、諏訪大社上社本宮編です。
 ……とは言っても、主要な所は前回(3月)の時に網羅してしまっているので、前回に取りこぼしたものが中心です。

■諏訪大社上社本宮
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(写真2:諏訪大社上社本宮の入口)

 半年ぶりですが、やはり諏訪大社はいいものです。一通り回って、御柱を眺めたり入口御門から歩いていって目処梃子等を見たり、拝礼所の横にある絵馬の所で東方系が増えている事に驚いたり…といろいろ一通り回った後、参拝を済ませます。勿論、参拝の作法は二拝二拍手一拝です。

 その後、前回の旅行でじっくり見られずに見落とした部分をいろいろと回っていきます。
 この上社本宮で、今回じっくり見ようとしていたのが、前回忘れていた「七石七木」の「硯石」の撮影。そして、今回、SSこんぺの題材として取り上げた「天流水舎」を改めて観察する事です。
(この2ヶ所については、次回以降の日記で改めて取り上げます)

 そして、その他にも、何か無いかと景色を愉しみつつ捜していたのですが……。
 こ……これはまさか!?
 し、知っているのか雷電!?

■諏訪大社と相撲
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(写真3:知っているのか雷電!?)

 ……今回の旅行とはあまり関係がないですが、上社本宮の境内には土俵があり、歴史上最強と言われている江戸時代の名大関「雷電」の銅像が置かれています。
 雷電は、立札の説明やその他史料を調べてみた所では、別に(信州生まれではありますが)諏訪で生まれたわけでも、諏訪大社の神徳で強くなった系の出来事があったわけでもありません。銅像を作った方が諏訪大社の祭神、建御名方神は相撲の神様の神様だからという理由で奉納したようです。
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(写真4:上社本宮内の土俵)

 土俵の方は江戸時代から奉納相撲が行われており、戦後の一時期に中断したものの、今でも現地独自の型での相撲踊りがあったりと伝統が伝わっているようです。

 でも、そもそも、相撲って諏訪大社の祭神、建御名方神にとっては嫌な思い出の様な気がするのですが…。
 というか、昔の相撲?は、神話の建御雷神戦の様に腕が変形したり、野見宿禰VS当麻蹴速が足技ばかりの戦いをしたり最後は踏み殺したりと、随分現代とは様相が違いますね…。

■「五穀の種池」

 さて、今回取り上げたいのは雷電像や土俵では無く、境内の片隅にある、小さな水たまり?の方です。
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(写真5:五穀の種池)

 写真を見ていただいての通り、1.5m四方くらいの囲いに八角形の水たまりみたいなものがあります。
 これが、「五穀の種池」です。
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(写真6:五穀の種池、近くからのアップ)

 この「五穀の種池」、現地の案内の地図看板にもその存在は書かれていません。そして、説明用の立て札があるにはあるのですが、文字がかすれてしまって満足に読めない状態です。
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(写真7:五穀の種池の解説)
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(写真8:上社筒粥殿跡の解説)

 同じように既に廃れてしまい、案内の地図看板から消されている「上社の筒粥殿跡」でさえ、立看板は鮮明に読み取れるのとは対称的です。
 目を凝らして読んでみると、看板にはこう書かれています。

・五穀の種池
 毎年春の御頭祭には近隣の農家の人々が種もみを浸して、その浮き沈みに依って豊作を占った池である。


 看板の状態からも明らかな様に、「御頭祭に種もみを浸して…」は現在では行われていないと考えられます。御頭祭の記事をいろいろと調べてみましたが、本宮から「御霊」を御輿に移して前宮(にある十間廊)に移動…というスケジュールなので、もし「五穀の種池に種籾を浸す神事」があるとすれば御頭祭の最初にある筈ですが、そうした事は行われていない様です。
(記事を書きつつも、全て伝聞でしか書けないのが辛いですね。いつの日か実際に神事を見に行ってみたいものです。こんな事を書きつつ、実際は今でもやっているのかもしれませんし…)

 他の既述では「(種池の)近くで行われていた神事が1582年(本能寺の変があった年ですね)に途絶えたが、種籾を浸す行事はまだ続いている」というものがあるようです。その後、いつまでやっていたのかですが…とりあえず上社の筒粥神事が廃れたのが1819年なので、その付近が怪しいですかね。
 そもそも上社の筒粥神事が廃れたのが何故なのか、そしてこの時期に何かがあったのか? そのあたりがまだまだ勉強、調査不足なようです。いずれ機会があれば、もっと掘り下げてみたいと思います。

■神徳「五穀豊穣ライスシャワー」

 さて、ここまで密かに?諏訪大社に存在した「五穀の種池」について書いてきたわけですが、「五穀」のフレーズを聞いて思い出すのが、標記のスペカ名です。
 そして、「五穀の種池」だけでなく、そもそも諏訪大社は農業の神様としての側面が強いです。筒粥神事、御作田神事、そして御頭祭も、五穀豊穣を祈るための神事です。
 その事を考えれば、五穀豊穣に因んだスペカが出ても全然おかしくない…むしろ自然な事ではないでしょうか。


 ……つまり、神徳「五穀豊穣ライスシャワー」は早苗さんが適当に考えた(笑)物では無かったのです。

 幻想郷に来て一年。早苗さんと守矢一家みんなの努力の甲斐あって、神徳を取り戻した八坂様。それと共に、「五穀の種池」を使った豊作への祈りも再開されたのでしょう。そして八坂様の神徳で、種池に浸けた種籾は、秋に豊かな実りをもたらしてくれた筈です。

 慣れない幻想郷で、里の人々に八坂様を信仰してもらおうと、一生懸命頑張る早苗さん。その姿に、里の人々も次第に打ち解けて行き、やがて一部の村人から「そんなに言うのなら…」と種籾を渡されます。
 春、種籾を「五穀の種池」に浸して、一心に豊作を願う早苗さん。そして、それを優しく見守る八坂様と諏訪子様。
 そして秋。願いが通じて、その種籾は豊作をもたらします。一緒に飛び上がって喜ぶ村人たちと早苗さん。そして、明らかにその家だけが豊作なのを見て、懐疑的な目で見ていた他の村人たちも八坂様の神徳を知り、今後は守矢の神社を信仰する事を決意するのでした。

 冬も近づいた頃、早苗さんはすっかり打ち解けた村人達に、ひとつの頼まれ事をします。……それは、自分たちの結婚式を取り仕切って欲しい、というものでした。

 そして迎えた結婚式。早苗さんは彼らの幸せを祈りながら、米を振りまきます。
 村人達の笑顔。鳴りやまない拍手。撒かれた米に飛びつく霊夢。新婦の投げた花束を受け取って囃され、(別に相手もいないのに)真っ赤になる早苗さん。……そして、そっと優しく見守っている八坂様と諏訪子様。
 その日は……本当の意味で、早苗さんと守矢一家が幻想郷の人々に受け入れられた、大切な一日となったのでした。

 ……………。
 何だか、こっちのネタの方でSSこんぺに投稿していた方が良かった様な気がしてきました(笑) (まあ、SSこんぺ投稿当時は地霊殿は未プレイでしたが)


 殆ど後半は妄想というかSSの設定垂れ流し日記状態で、これに「諏訪旅行日記」とつけてもいいのか、という感じになってしまいましたが(笑) 何はともあれ、「五穀の種池」の様な場所もありますし、その他の神事等、諏訪大社は農業と非常に繋がりが深く、「五穀豊穣」がスペカに出てきても全然おかしくないのです。
 地霊殿が出てから「フルーツ(笑)」とか「事故米」とかでイメージが崩れがちですが、むしろあのスペカには、五穀豊穣を願う早苗さんの優しい気持ちが込められているのです。……きっと。

 次回は、天流水舎を取り上げます。
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(写真9:次回予告、天流水舎)

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