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2009年1月19日 (月曜日)

東方諏訪旅行記2-6:土着神「七つの石と七つの木」

■第2回東方諏訪旅行:目次
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2008/11/post-93a7.html

 さて、前回の「天流水舎」に引き続き、今回は前回の旅行で見そびれた東方系史跡数カ所を確認して来ました。
 それは……「七つの石と七つの木」です。

 この「七石七木」について改めて説明しておきますと、かつて行われていた神事の巡回ポイントであり、ミシャクジ様が宿る場所でもあります。
 かつて、御頭祭の際には大祝や神長官(守矢氏)を初めとする一行がこれら「七石七木」を回って木や石にミシャクジ様を「降ろし」て豊作を祈り、秋の御立座神事では豊作のお礼として同様のルートを回ったという事です。
 この「七石七木」ですが、以下の場所にあります。

七石
1.硯石…諏訪大社上社本宮。今回訪問
2.御沓石…諏訪大社上社本宮。今回訪問
3.小袋石…前宮の近くから道を上がった山中。未訪問
4.児玉石…児玉石神社。未訪問
5.御座石…場所に二説あり。御座石神社説と不明(諏訪大社上社内のどこか)説。未訪問
6.亀石…諸説あり。有力候補である高島城に今回訪問。
7.蛙石…諸説あり。有力候補である場所に今回訪問。

七木
1.桜湛……現存せず
2.真弓湛…現存せず
3.峯湛……前宮から上がった山中に現存。
4.檜湛……現存せず。「干草椹木跡」の石碑が「七社明神社」に現存
5.松木湛…現存せず
6.橡木湛…現存せず。「闢廬(あきほ)社」に切株有+枯木が保存(非公開)
7.柳湛……現存せず

 先に「七木」から書いてしまいますが、現在残っているのは「峯湛(みねのたたえ)」だけです。その他は現存していません。
 正確には、「○○の湛跡」と言った石碑が残っているものもありますし、かつてあった場所が特定されているものもあるので、史「跡」としては存在していると言えるのかもしれませんが、訪問する優先度は低いと考えられます。
 残る「峯湛」は諏訪大社上社前宮や近くにある「前宮公園」から少し山中に入った所にあるようです。こちらは、数年前に台風で折れたりした様ですがまだ現存しているとの事。
 こちらは訪問する候補に挙げていたのですが、時間が無かった事と(後述する「小袋石」同様)山中という不確定要素が大きかったので今回は断念しました。次回は行ってみたい所ですね。

 それにしても、「七木」は一本しか残っていないのですね。まあ、人間よりは長生きするとはいえ木の寿命も有限ですし、仕方ない面はあるのですが…。
 個人的には、御柱祭の印象もあり、こうした神事に使う木は代替わりして続いていくイメージがあったので、むしろ、枯れた(寿命が来た)後、別の木に受け継がれずにそのまま廃れた?事が意外に思いました。上社の筒粥神事等もありますし、信仰の興廃等が関わっているのかもしれません。

 そして、「七石」ですが、今回訪問したのは「硯石」「御沓石」「亀石」「蛙石」の4つです。

・硯石と御沓石
 共に、諏訪大社上社本宮にあります。前回も諏訪大社上社本宮には勿論行っていたのですが、「硯石」の方について、一般からは見えない場所にあると勘違いしていたため未回収でした。実際には、入れないものの、見ることは出来る場所でした。

 それぞれの場所ですが、これは現地の案内図が判りやすいと思います。
01
(写真1:諏訪大社上社本宮の案内図。硯石と御沓石の場所に注目)

 手書きで何ですが、赤で囲ってあるのが「硯石」で、同様に青で囲っているのが「御沓石」です。
 「硯石」は、配置図を見ていただいての通り、普通は入れない神域にあり、参拝所から奥に入った斎庭あたりに入らないと見えないと思っていたのですが、実際は、矢印を入れた角度から(四脚門と宝殿の間あたりから)その姿を見る事ができます。
02
(写真2:硯石)

 逆に、「御沓石」の方は「一の御柱」の後ろに普通にあります。
03
(写真3:御沓石。御柱の左手に注目)

 こちらは逆に、注連縄こそあるものの現地には立て看板等が無いので気づかない方も多いのではないかと思います。手前にある「一の御柱」が目立ちすぎて、後ろの石にまで注意が回らないのかもしれません。ちなみに(写真には写ってませんが)更に後ろには「天の逆鉾」という石柱が立っていますが、こちらは江戸時代に建てられたものらしく、神話とはあまり関係ない様です。

・蛙石
 場所にはいくつかの説があるのですが、そのうちの一つが「諏訪大社上社本宮の近く」にあるというものです。その場所は実際に名所扱い?されているので判りやすいと思います。
 場所は、本宮から西に少し行った所で、外観はこんな感じになっています。
04
(写真4:蛙石の全景)

 フェンスで覆われていて、遠目からは「道ばたの井戸」っぽく見えるので、看板の存在に注意していれば見つけやすいのでは無いかと思います。
 中を覗き込むと、「蛙石」はこんな感じです。
05
(写真5:蛙石)

 うーん、蛙っぽいような、そうでも無いような…。もう少し水位が高ければ、蛙に見える様な気もします。

・亀石
 こちらは、現在「高島城」にあります。
 高島城には前回の旅行でも行ったのですが、その時はチェックし忘れていたので、今回改めて高島城を訪問して捜してきました。
 普通に敷地内に無造作に?置かれていました。

06
(写真6:亀石)

 こちらは亀に見える…ような気もします。
 説明書きによると、この「亀石」、現在の場所に来たのは平成19年になってからということで、実はごく最近だったりします。元々は確かに高島城にあったのですが、明治期に運び出され、いろいろ転売されたり、個人所有になって庭石にされたりしていたのですが、所有者の方の好意で平成19年に戻ってきたそうです。
 水を掛けると願いが叶うらしいのですが、その根拠(というか元になったエピソード)は良くわかりません…。

 それにしても、この「亀石」だけでなく「蛙石」(高島城の庭石にするために運ばれたらしい)等、「七石」は高島城が絡んだものが多いのですが、高島城は1598年築城ですし、先代の高島城(茶臼山城)でも15世紀後半築城の様です。そこから考えると、この「七石七木」の成立はそれほど(少なくとも神話レベルの)昔では無いと考えられます。現在の形で成立したのはここ数百年程の事で、そして廃れたものなのではないかと想像されます。
 「七木」が代替わりせずに現存していないものが多いのも、そのあたりが関係しているのかもしれません。


 残る3つですが、そのうち「児玉石」「御座石」は、(所在地の有力候補が)それぞれの名前を冠した神社にあります。
 「御座石神社」については、茅野駅から東に2キロ…と、他の関連史跡からは離れた場所にある事から今回は除外しました。これは次回車で行った時かなぁ…。
 「児玉石神社」は、実は今回訪問すべく自転車を走らせたのですが……どこを間違えたのか道に迷って訳の分からない所に迷い込みまして、結局見つかりませんでした…。帰ってから改めて地図を見ると、それほど迷うほどでも無いはずなのですが…。これは次回の旅行で回収したいと思います。
 もう一つ、「小袋石」は「上社の前宮~本宮間の中央辺りの分かれ道(守矢史料館の近くにある「高部」の交差点)から山を1キロ程上がって、更に雑木林に少し入った所」にあるらしいのですが、自転車で山を登るのは辛い+時間の問題+山道という不確定要素があったので今回は断念しました。場所的に「峯湛」とは比較的近いので、次回の訪問の際にまとめて回収したいと思っています。

 そんなわけで、「七つの石と七つの木」で記事を組んでおきながら、今回回収できたのは「七石」のうち4つのみでした。残念です…。
 次回、春~夏頃に訪問を予定しているので、今度は全部回ってみたいところです。次回の取材分と合わせて、土着神「七つの石と七つの木」完全版(と言っても現存するものだけですが)を作りたいですね。

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