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2009年5月30日 (土曜日)

東方竹取物語考察 1:竹取物語と五つの難題

■東方竹取物語考察:目次
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2009/05/post-f11c.html

■「竹取物語」について

 今更書くまでも無いことですが、「東方永夜抄」とその続編的な存在である「東方儚月抄」は日本の「竹取物語」を題材とした物語です。
 「竹取物語」は日本の代表的な(そして最古と言われている)物語で、子供向けの所謂「昔話、お伽噺」では必ず出てくる、日本人なら知らない人は多分いないであろう有名な物語です。初めて永夜抄で6B面に進んだ時には、その「お伽噺のヒロイン」が出てきたので、「えっ、かぐや姫がラスボス!?」と驚いたものです。
 その後、様々な二次創作の存在や「儚月抄」の登場で、永遠亭勢を初めとする「輝夜姫を巡る人々」の存在も、様々な色彩を帯びてきています。そんな中、改めて(元ネタである)「竹取物語」を読んでみると、いろいろと興味深いものがあります。

 (東方と接触のない)日本人の一般的な「竹取物語」についての記憶は、子供の頃にお伽噺として読んだ……と言っても、
・竹を切ったらかぐや姫が出てきた
・月から迎えが来て帰った
 ……程度で、人によっては上記に「求婚者が沢山現れたが全員断られた」が加わる位だと思います。
 かく言う私もそうだったのですが、改めて「竹取物語」を読んでみると色々と面白いです。東方関係としては「五つの難題」が出てきますし、その他にも東方本編との関係が発見できて面白いです。皆さんも是非この機会にご一読される事をお薦めします。

■「竹取物語」のあらすじ

 大雑把な「竹取物語」のあらすじは、

1.竹取の翁が光る竹を切ると、中から子供が。
2.短期間で成長し、かぐや(輝夜)姫と名付けられる。余りの美しさに求婚者続出。
3.特に熱意のある五人の男が残ったが、姫から出された難題をクリアできず脱落。
4.興味を持った帝が面会を望むも、いろいろあって姫に拒まれる。が、和歌を詠み合う等、交流はする様になった。
5.姫が「月に帰らなければならない」と言い出す。
6.帝が兵を出して阻止しようとするも失敗、月の迎えに連れ去られる。
7.姫は去り際「不死の薬」を帝に送るが、帝は飲まずに調岩笠(つきのいはかさ)を駿河の山に遣わして焼かせた。後にその山は「ふじの山」と呼ばれる様になった。

 ……幻想郷の歴史では、調岩笠(月のいはかさ)さんは、蓬莱の薬を捨てに行く道中で妹紅に殺され、その怨念をスペルカードとして利用された挙句、あまつさえそのスペルカード名には「時効」と付けられているわけですな。酷い、酷すぎるよ、もこたん!(笑)
(この記事が最初に書かれた「永夜抄」発表時はカード名で示唆されているだけでしたが、まさかその後小説版「儚月抄」で犯行の経過が書かれることになるとは……)


■五人の求婚者たち

 物語の中盤、かぐや姫には数多くの求婚者が現れるのですが、最終的に熱意溢れる次の五名に絞られます。この五人を色々調べていくと、非常に面白いです。
 いずれも朝廷の有力者である五名。「竹取物語」の原文では判りづらいため、右側に書き直したものを併記します。

石つくりの皇子         →石作皇子
くらもちの皇子         →車持皇子
あべのみむらじ(右大臣)    →右大臣・阿倍みむらじ
大伴のみゆき(大納言)     →大納言・大伴御行
いそのかみのまろたり(中納言) →中納言・石上まろたり

 この人たちは誰なのか? 所詮、物語の登場人物なので架空の人物と思いきや、実は全員、実在の人物がモデルとなっています。
 彼ら五人の求婚者のモデルが誰なのか、室町期や江戸末期にその辺りを考証した学者がいまして、以下の根拠からほぼ特定されています。

・大納言大伴御行   → 大伴御行(635-701[大宝1])
 名前そのまま。
・右大臣阿倍みむらじ → 阿部御主人(?-703[大宝3])
・中納言石上まろたり → 石上麻呂(640-717[霊亀3])
 両者とも、ほぼ名前そのまま。大伴御行と同時期に朝廷の中枢を占めていた。

・石作皇子      → 多治比嶋(624-701[大宝1])
 石作氏と多治比氏は同族。また、宣化帝の末裔でもある。上記三名と同時期の人物
・車持皇子      → 藤原不比等(659-720[養老4])
 母親が車持家出身。当時、父親が天智天皇だという噂があった。

 ……改めてこの五名を書き直すと、
・多治比嶋(左大臣)
・藤原不比等(右大臣 ※死後、太政大臣を追贈)
・阿部御主人(右大臣)
・大伴御行(大納言)
・石上麻呂(左大臣)

 肩書きを見ていただいての通り、いずれも朝廷の重鎮。錚々たるメンバー構成です。
 この五人「日本書紀」の持統天皇記に揃って名前が出てくる項がありますし、物語の舞台として有力な文武朝時代(文武天皇の在位期:697-707)の有力者として朝廷に名を連ねているという事情があり、「竹取物語」の五人の求婚者のモデルは彼らでほぼ間違いないとされています。
(つまり、名字から言って、妹紅は藤原不比等の娘ということですね)
 まあ、要するに、物語となった時代の最高権力者レベルの人を五人並べてネタとして使っている訳です。

 ここで疑問になるのが、偽名を充てている人はともかく、大伴御行とか思いっきり本名で出ているけど大丈夫なのかと言うことです。後で出てきますが、この五人、結局難題集めに失敗した挙げ句、物語中で悪く描かれているのですが、そんな内容で実名を出してもいいのか?という問題があります。
 その問題は、成立年も作者も判明していない「竹取物語」の考察材料となっており、以下の推論が立てられています。

・作者(判っていません)は、上記五名に何らかの恨みを持っている人物ではないか、
 藤原氏等の台頭で没落した一族の者が書いたという説が有力。物語の内容から、一定の教養を持つ(=一定の地位にある)人物だと考えられる。

・大伴御行が実名で登場していて、しかも悪く書かれている
 「実名で悪く書いても大丈夫な時代」=「大伴氏が没落した後」(9世紀以降)に書かれた
 成立年についても不明なのですが、「源氏物語」「うつほ物語」「栄花物語」等の10-11世紀の書物で引用されている事や、「今昔物語集」(12世紀)に類似した話が登場する事から、それ以前には既に成立していたと考えられています。これらの条件から、「竹取物語」が書かれたのは9世紀末~10世紀前半が最有力とされているそうです。


■五つの難題
 そんな当時の最高権力者だった五人に輝夜姫が出した「難題」は以下の通りです。
・多治比嶋…………仏の御石の鉢
・藤原不比等………蓬莱の玉の枝(「優曇華の花」になっているバージョン有り)
・阿部御主人………火鼠の皮衣
・大伴御行…………龍の頸の五色の玉
・石上麻呂…………燕の子安貝

 次回からは、この五人が難題にどう立ち向かったのか、そして彼らはどういった人物だったのかについて書いていきたいと思います。

※物語の順番通りでは「藤原不比等」は二番目に登場するのですが、妹紅の父親という特別な立場という事もあり、紹介順序は最後に回します。

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