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2009年6月16日 (火曜日)

「虹色の宵闇」(「第7回東方SSこんぺ」投稿作)

「虹色の宵闇」
(東方Project ルナサ・プリズムリバーSS)
(初出:H21.5.9 「第7回東方SSこんぺ」に投稿:第57位/83作品)


 妹たちと別れて自分の部屋に戻ると、私は後ろ手に扉を閉めて、そのまま扉にもたれ掛かった。
「ふうっ……」
 今日の疲れがどっと押し寄せてくる。私は扉に身体を預けて、しばらくの間、ぼんやりと立ちつくしていた。
 そのままの姿勢で服のボタンを外すと、しゅる、と小さな衣擦れの音を立てて、服が床へと落ちた。楽士服を脱ぎ捨てると、心なしか、身体が軽くなった様な気持ちになる。
 勿論私は騒霊なのだから、実際そんなものは気分の問題に過ぎない。本当はこうして服を着たり脱いだりしなくても「着替える」事はできる。でも、やはり気分の問題なのだ。重い楽士服を脱ぎ捨てて、着替えてしまいたい。今の私は、そんな気分だった。

 そのままタンスに歩み寄ると、私は引き出しから着替えを取り出した。
 白いブラウス。その上に黒い服とスカートを着て、鏡の前でくるりと回ってみる。お気に入りの服を着て鏡の中に映る自分は、嬉しそうな表情を浮かべていた。
 そして最後に、鏡の前に立って胸元に赤いリボンを付け、曲がらずにきっちりと整っているのを確認する。うん。大丈夫。
 今、鏡に映っているのは、プリズムリバー三姉妹の長女の……幽霊楽団のまとめ役としての私では無く、お気に入りの服に着替えた一人の少女(騒霊だけど)、ルナサ・プリズムリバーの姿だった。
 私はもう一度、鏡の前でにっこりと微笑んだ。
 この服に着替えると、沈んだ気分が少しだけ軽くなった様な気がする。


 私は窓に歩み寄ると、ぱたん、と大きく開け放った。
 開いた窓から吹き込む夜風が、優しく髪を揺らす。演奏会から帰ってきた時にはまだ少し陽が残っていたけど、いつの間にか、辺りはもうすっかり宵闇に包まれていた。
 ベランダに出て、少しの間夜風の感触を愉しんだ後……私はおもむろに、ふわりと空に舞い上がった。そのまま高度を上げて、夜空の中へと飛び込んでいく。
「それじゃ、行って来るね」
 途中でちらりと後ろを向いて、小さく声を掛ける。誰に言っているわけでもない。この夜空の散歩は、妹達には内緒の……私一人だけの、密かな、ささやかな楽しみだった。


 ……………


 ふわふわとあてもなく夜空を漂いながら、私は今日の演奏会の事を思い出していた。
 私たち姉妹三人、幽霊楽団の演奏会。回を重ねるにつれて評判は高まり、聴きに来る人も増えてきている。それは、本来なら……喜ぶべき事の筈だった。
 だけど次第に……私には、その演奏会は賑やかすぎる、騒がしすぎると感じられる様になってきた。

 明るく騒いでいる妹たちと聴き手たちを前に、静かに佇んでいる私。
 静かな音色を奏でる私の前で、賑やかな……騒がしい音を立てる妹と観客達。私だけが、その輪から取り残されている様な気がする。
 私の性格のために、そう感じてしまうだけなのは……判っている。
 でも、それでも、私が心を込めたバイオリンの演奏は、聴いて貰いたい音色は、思いを込めた旋律は……喧騒の中に埋もれてしまっている様な気がする。
 私がより深い思いを込めて、信念を込めて音楽を奏でればいいのかもしれない。
 でも、たとえ演奏に思いを込めても、本当に私の音を聞きたい人は……あの中にいるのだろうか。観客が求めているものは、妹達の音で騒ぎたい、ただそれだけではないだろうか。
 そんな演奏会の中に……本当に、私の音は必要なのだろうか。

 演奏会に対する疑問。そして、自分の音楽に対する疑問。
 私たち三人の性格が違うように、私たちの持つ音色は、みんな違っている。
 妹たちの賑やかな、明るい音に対して、私の奏でる音は静かな……そして、暗い音。
 夕暮の……いや、もっと暗い、宵闇の音色。それが、私の音だ。

 演奏会に。
 幽霊楽団に。
 そして……私たち姉妹に。
 そんな音色は、私の音は、そして、私自身は、本当に必要とされているのだろうか。
 そんな疑問が、頭から離れない。

 考え過ぎなのは、判っている。
 だけど、日が経つにつれて、演奏を重ねるにつれて、私の中でその思いはつのり、消える事なく膨らみ続けていた。

 ……考えていると、自分の気持ちが一段と沈んでいくのが判る。
 考える度に、気持ちが自分自身で際限なく深いところに落ち込んでいくのが判る。
 今は夜闇に紛れて見えないけど……きっと私の周りには、自分のそんな気持ちが溢れ出ていると思う。もし今が昼間だとしたら、きっと私の周りは自分自身で生み出した宵闇で包まれているだろう。
 私の身体からは、この宵闇よりも暗い、陰の気が……鬱の気が溢れ出ているのだ。

 ……だめだ。
 私は首を振って、そんな考えを振り払った。最近はいつもこうだ。
 もうこれ以上考えるのはやめにしよう。折角の気晴らしのための散歩なのに、益々落ち込んでどうするんだ。今は……夜空の散歩を楽しもう。

 私はふう、と息を吐くと、両手を大きく広げて仰向けに寝転んだ。
 空の上に輝く大きな月から、淡い金色の光が降り注いでいた。まだ満月には早いけど、それでも、十分に優しくて……柔らかな光。そんな優しい月の光に照らされて、風に流されるまま夜空を漂う。この感覚が私は好きだった。
(私にも、この月の様な、優しい色の音を出せたらいいのに)
 そんな事を考えながら、私はただぼんやりと……空に浮かぶ月を眺めていた。

「……………」
 そのまま、ふわふわと風に吹かれるまま、夜空を漂う。
 心地良い風が、身体を撫でる。こうして夜風に身体を預けていると、なんだか少しだけ心が軽くなってくる。
 夜の風が、そして月の光が、私の心を洗い流してくれる。嫌な気持ちも、悩んだ思いも洗い流してくれる。代わりに、優しい何かが私の心を満たしてくれる。そんな気がした。


 ……………


 ……ふと、視界の端に何かが映った。
 ちらりと目を遣る。それは……建物の屋根だった。
「!?」
 身体を起こして確かめると、景色が見慣れないものに変わっていた。
 月を眺めてぼんやりとしているうちに、いつの間にかずいぶんと風に流されていたらしい。
 私は、慌てて周りを見回した。
 周りには、ぽつぽつと明かりが見えている。いつもと風向きが違うような気はしていたけど、いつの間にか、人間の里、その外れまで流されてしまっていた。
(……いけない)
 風で遠くまで流されてしまっただけならともかく、人里の領域まで入り込んでしまったのは非常にまずい事だった。
 こんな時間に里に近づいたら、人間を襲うためだと思われてしまうだろう。そうなれば、「退治」されても文句は言えない。
 妖怪退治と言えば博麗の巫女が有名だけど、人間の里にも妖怪から人間を守り、妖怪退治を行う者達がいる。勿論、そんな者達の実力は折り紙付きだ。到底、騒霊の私が一人で敵う相手ではない。特にその中でも、「先生」と呼ばれている番人の強さと恐ろしさは妖怪達の間でも評判になっていた。
 そんな連中に見つかってしまう前に、一刻も早くこの場を離れないと。

 慌てて身を翻したその時。
 ……それが、目に入った。

 村外れの小さな一軒家。バルコニーに一人の少女が立っていた。
 私と同じ色の髪をした少女が、手すりから身を乗り出すようにして、じっと、私を見上げていた。

「……………」
 目が合ってしまい、お互い、無言で顔を見合わせる。どうやら目の錯覚で済ましてはくれないようだ。
 まずいことになった。
 どうしよう。この少女に悲鳴を上げられたら。大声で助けを呼ばれたら。きっと、すぐに誰かが駆けつけてきて、私は退治されてしまうだろう。
「……………」
 少女は、無言で私を見上げている。
 はためく風が、私の……そして彼女の髪を揺らす。その中で、彼女はじっと私を見つめ続けていた。
 このまま全速力でここを離れるしかない。そう思ったとき。少女が口を開いた。
 でも、それは……予想していたような悲鳴でも、助けを呼ぶ声でもなく、
「こんばんはー」
 ……無邪気な挨拶だった。

「ねえ、こっちに降りてきてよ!」
 そう言って、ぶんぶんと手を振る少女。
 今更逃げても仕方が無い。それに、このまま目立っていると他の誰かに気づかれるかも知れない。私は少女に促されるまま、バルコニーに……彼女の側に舞い降りた。
「こんばんは! 今日はいい夜だね」無邪気な笑顔を浮かべる少女。
「何してたの?」
「ええと、夜のお散歩……かな」
 私の答えに、パジャマ姿の少女は笑顔を浮かべた。
「そーなのかー。私と、同じだね。私も夜のおさんぽ。……お月様、きれいだよね」
 そう言って、月を見上げる。
「あ、ところで、お姉ちゃんはだあれ?」
「私は、ル……あっ」
 少女の問いに馬鹿正直にルナサ、と答えようとして、私はあわてて口を塞いだ。里に忍び込んでいる妖怪(騒霊だけど)が素直に本名を名乗ってどうするんだ。
「る……あ?」中途半端な回答に、怪訝な表情を浮かべる少女。
 しばらく考えて……やがて、何かが判ったように少女はぱっと顔を輝かせた。
「そうか、お姉ちゃん、ルーミア、っていう名前なんだね」
「え……?」
「そーなのかー」
 私が返事に詰まる中、少女は、一人納得した様にうんうんと頷いていた。
「私はケイ、っていうの。よろしくね、ルーミアお姉ちゃん」
「うん……よろしく……」
 すっかり彼女のペースに乗せられてしまっている。私は苦笑した。
 ケイ、と名乗った少女に違った名前で覚えられてしまったけど、今の状況を良く考えると、その方が好都合かもしれない。
「あ、お姉ちゃんも、リボンをつけてるんだね。私とお揃いだね」
 そう言って私の胸元のリボンを指さす。その言葉に彼女を見ると、頭に束ねた髪を留める赤いリボンが映えていた。
「……本当だね」「うん! お揃い!!」
 にっこりと微笑みかける少女。その表情を見て、私は不思議な感覚にとらわれた。
 初めて彼女に会った筈なのに、いつか、どこかで見た様な、そんな気分だ。
 その笑顔を見ていると、私も何故だか嬉しくて、心が温かくなってくる。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「……何でもない」
 私の答えに、少女は不思議がりながらも笑顔を浮かべていた。
 ……可愛い。私の妹たちにも、こんな可愛さがいればいいのに。
 そんな事を考えながら彼女を見ていると、突然、何かを思い出した様にその表情が緊張したものに変わった。
「あ! ……知らない人とお話しちゃいけません、って言われていたんだった。どうしよう……」
 今更の様に焦り始める少女。
「ようかいが出るからあぶないって……」
 そう言いながら、ちらりと私を見る。
「あ、あの」少女が声を低くして……上目遣いで、少し緊張気味に訊ねた。
「ルーミアお姉ちゃんは……もしかして、ようかいなの?」
 その質問に、
「……うん」
 私はつい馬鹿正直に頷いていた。正確には「騒霊」だけど、人間では無い事には変わりがない。
「そ、そーなの!?」私の返事に驚く少女。半歩だけ後ずさって、堅くなった表情で私をじっと見つめる。
 嘘を言えば良かったのかもしれない。でも、何故だか……彼女には嘘をつく気にはなれなかった。
 もしかしたら、悲鳴を上げられるかもしれない。助けを呼ばれるかもしれない。私はごくりと唾を飲み込んだ。
 ……が、しばらくして、次第に少女の表情から緊張が抜けて、ふっと和らいだ。
「……でも、お姉ちゃんはようかいなのに、ちっとも怖くないね」
「そ、そうかな…」
「うん。爪もとがってないし、きれいだし、お人形さんみたい! だからきっと、悪いようかいじゃないよね」
 にっこりと微笑む少女。その身体から緊張が解けていくのが判る。どうやら、悲鳴は上げられずに済みそうだった。


「あのね、お姉ちゃんがお空にふわふわと浮かんでいるのを見てたよ」
 少女はそう言うと、私の真似をして両手を横に大きく広げた。
「まるで、じゅうじか、みたいだね」
 そう言って、ふふっ、と無邪気に笑みをこぼす。
「お姉ちゃん、お空が飛べていいなぁ。私も、お月様の光でひなたぼっこしながら、ふわふわと浮かびたいなぁ。気持ちいいだろうなぁ」
 少女は、目を輝かせて私を見た。夜の散歩の気持ち良さが判る彼女とは、どうやら気が合いそうだ。
「だけど、夜のお散歩は危ないからダメだって、先生に言われてるんだ」
「先生……!?」
 少女の口から出た「先生」の名前に、私は慌てて周りを見回した。その様子に、少女が不思議そうな表情で私を見る。……大丈夫。特に気配は感じない。
「……大丈夫だよ、私もないしょで外に出てるからね。見つかったら怒られちゃうの」
「そうなの?」
「うん。ようかいが出るからあぶないって。でも……お姉ちゃんみたいな優しいようかいさんなら大丈夫だよね」
 そう笑った少女だったが、突然、くしゃみをして身体を震わせた。
「大丈夫?」
「うーん……ちょっと寒くなって来たかな」少女が言った。
 私はそれ程寒さは感じなかったけど、少女は寒そうに身体を震わせていた。心なしか顔色も良くない様にも見える。風邪をひかせたら悪いし、「先生」や他の人間に見つかる可能性もある。丁度いい潮時かもしれない。私はこの辺りで切り上げる事にした。
「ごめん、私、そろそろ帰るね」
「そーなのかー……でも、仕方ないね」私の言葉に、少女は残念そうな表情を浮かべる。
「お休みなさい、ルーミアお姉ちゃん。今日はお話できて楽しかった!」
「うん。お休みなさい」
 私は別れの挨拶と共に、身体を翻して飛び上がろうとしたが、何か引っ張られる様な感触がして、思わず立ち止まった。
 見ると、少女が私の袖をきゅっと握っていた。
「どうしたの?」
「あの……ルーミアお姉ちゃん」彼女が、上目遣いで私を見つめる。
「……また、来てくれるよね?」
「えっ……?」
 思わぬ言葉だった。
「あのね、私、もっとルーミアお姉ちゃんとお話ししたいの。だから、また来て欲しいな。来週のこの時間に。この場所で!」
 笑顔で言う少女。
「で、でも……」戸惑う私。
 私は本来、ここに来ていい存在では無い。私は妖怪なのだ。こんなところで人間と会うなんて、許されない事だ。それは少女にしても同じだろう。こんな夜更けに妖怪と話すなんて、彼女のためにも良くない事の筈だ。
 悩んでいる私に、少女は笑って言った。
「来週はまんげつだから、きっとお月様もきれいだよ。……だから、きっとまた来てね。お願い、ルーミアお姉ちゃん」
 目をきらきらさせて私を見る少女。それを見て……私はつい、頷いてしまっていた。
「やったあ! ありがとう、お姉ちゃん」
 少女は本当に嬉しそうに、満面の笑みを浮かべる。
「私、楽しみにしてるね。約束だよ」
 そう言って私の手を握る。とても温かい手だった。
「それじゃ、お休みなさい」「お休みなさい」
「またね、ルーミアお姉ちゃん!」

 少女に見送られて、私は夜空へと飛び上がる。
 帰り際に振り向くと、少女が手を振っていた。
 私の姿が見えなくなるまで、いつまでも、ずっと、ずっと、手を振り続けていた。


 ……………


 時々確かめる様に振り向きながら、人里から離れる。心配したが、どうやら幸いにも「先生」にも、その他の人間たちにも見つからなかったようだ。
 私はほっと胸をなで下ろして……そして、この思わぬ出会いについて考えていた。
(また来てね、ルーミアお姉ちゃん)
 少女の笑顔が脳裏に浮かぶ。手のひらには、まだ少女の温もりが残っている様な気がした。
 生意気なうちの妹たちには無い、無邪気な笑顔。でも、それなのに、どこかで見たことのある気がある、懐かしい笑顔だった。
 偶然の出会いから生まれた、不思議な経験だったけど。
 ……でも。
(何だか楽しかったな)
 そんな事を考えていた。

 散歩に出た時に、胸の中に溜まっていた何かは……気が付けば、いつの間にかどこかに行ってしまっていた。


 ……………


 それから一週間。
 私は気が付けば……次に少女と会う時の事ばかりを考えていた。
 普段の生活でも、そして、演奏会の時も。
 いつしか、少女と会う事が楽しみになっていた。

 自分でも、どうしてこんなに楽しみなのかは判らない。
 だけど……あの子の笑顔を思い出す度に、胸が弾んだ。
 もう一度、あの子と話したい。あの子の事がもっと知りたい。
 そして、あの子にも、私の事を知って貰いたい。
 ずっと、そんな事ばかりを考えていた。

 そんな気持ちが出ていた様で、演奏会の時も、妹たちは、そして観客達は私の演奏を何だか不思議な顔をして聴いていた。
「今日の姉さんの音、何だか弾んでたね」演奏の後、メルランにそんな事を言われた。
「お客さんもちょっとびっくりしてたよ」
「うん。今日の姉さんの音、いつもより良かったような気がする。何かいい事あった?」 リリカもそう言って聞いてくる。
「……別に」散歩をしている事自体が秘密なので、妹たちに言うわけには行かない。私は無関心を装って首を横に振った。
「そうかなぁ……」
「いつもよりも力が入ってたというか、いつも以上に『聞いて貰いたい』感じが出ていたよね。なぜなのかは判らないけど……」
 リリカの言葉。その言葉を聞いて、私は気が付いた。

 そうだ。
 私は……あの子に、自分の音楽を聴いて貰いたいのだ。

 自分の事をもっと彼女に話したい。そして、彼女にもっと私の事を知って貰いたい。
 私は、騒霊。音楽を奏でる霊だ。音楽は、私そのものと言ってもいい。
 だから、できれば彼女に……私の音楽を聴いて貰いたい。
 彼女なら……きっと、私の音楽を聴いてくれる筈だ。
 私自身の音を、演奏を聴いてくれる筈だ。
 彼女に、私のバイオリンの音色を聴いて貰いたい。
 私の……思いを込めた音を彼女に聞いて貰いたい。

 今、判った。
 彼女に出会って、私の心が軽くなったのも。そのおかげなのだ。
 これまでいないと思っていた、私自身の音を聞かせたい相手が出来たからなのだ。


 ……………


 指折り数えて待って、やっと来た次の「散歩の日」は、満月だった。夜の散歩で家を出た私は、まっすぐにあの場所へ……彼女の家へと足を伸ばしていた。
 里の近くまで来て、周りを見回し、誰かに見つからないか確認する。でも、その手間でさえも、もどかしく感じる。気が付けば、私はそんなにも彼女に会いたい気持ちが募っていたのだ。

 少女は、前と同じくバルコニーの手すりにもたれながら夜空を見上げていた。私を捜しているのか、きょろきょろと視線を巡らせている。
「あ、来てくれたんだね、ルーミアお姉ちゃん!」
 私を見つけて、満面の笑みを浮かべて、手を振る少女。満月の光のせいか……その姿は前よりも白く、透き通って見えた。
「こんばんは、ケイちゃん」
「待ってたよ、お姉ちゃん! あのね、あのね、私、お話ししたい事がいっぱいあるんだよ」
 少女も私と会うことを楽しみにしてくれていたのだ。その事が嬉しかった。


 ……………


 少女が話す出来事を私が聞く。話の内容は、ほとんどが他愛もない世間話だ。
「あのね、今日はこんな事があったんだよ!」
「そうなのか」
「そうなのか、じゃないよ、ルーミアお姉ちゃん。そーなのかー!、だよ」少女は手を大きく広げた身振りで強調した。
「同じに聞こえるけど……」
「違うよ! お話ししている相手に、楽しく聞いてるって気持ちを込めないと。……私の話、面白くない?」
「そんな事はない。面白いよ」
「でしょ? お姉ちゃん、本当はとっても優しいのに、それじゃごかいされちゃうよ」
 私はあまり話すことが無くて、少女の話に相槌を打つだけだけど。それでも、彼女は本当に楽しそうだった。私も……気が付けば、いつもよりも声が弾んでいた。
 表情豊かに笑顔で語る少女。この笑顔を見ていると、私まで嬉しくなってくる。
 そうだ。私は……この子が大好きだ。明るい表情で自分の事を話してくれる彼女が、大好きだ。

 だから、彼女にも私の事を知って貰いたい。
 騒霊である私の事を、知って貰いたい。
 私の音楽を、彼女に聴いて貰いたい。
 私の音楽を、私自身の音色を聴いた時……彼女はどんな表情を見せてくれるのだろうか。どんな笑顔で笑ってくれるのだろうか。

「ケイちゃん」
「なあに、お姉ちゃん?」
「あのね。その……音楽は好き?」私は思い切って聞いてみた。
 その質問をしたとき、私は……笑顔で頷く彼女と。そして、その後にどんな音楽を演奏してあげようかという事と。彼女がどんな笑顔で聴いてくれるのかという事と。それしか考えていなかった。
 だから、彼女の返事を聞くまで……少女の顔色が変わった事に気付けなかった。

「うん。好き……だったよ」
「そうなんだ。実は、私……」

「でも、今は……嫌い。大嫌い」
 俯き加減に、答える少女。

「えっ……」
 思わず彼女を見ると、その表情から……笑顔が消えていた。
「私……音楽なんて、大嫌い。音楽をする人も……大嫌い」
 少女は、そのまま黙り込んでしまう。
 思わぬ答え。そして暗い表情。
「ご……ごめん。余計なことを聞いちゃったかな」
 私は狼狽して懸命に取り繕おうとした。
「……そんな事ないよ。私、ルーミアお姉ちゃんの事は大好きだよ」そんな私の様子を見て、彼女も慌てて私を宥める様に言った。
「……お姉ちゃんは、音楽なんてやってないものね」
 そう言って、儚げに微笑む少女。しかし、その表情は堅いままだった。
「……………」
 私はその姿を見て、そして彼女の言葉にショックを受けて……それ以上、何も言う事ができなかった。

 そのまま、気まずい沈黙が夜のベランダを包む。
 ……そして。
 しばらくして、少女が疲れた声で言った。
「ごめんなさい。今日はもう寝るね。……何だか疲れちゃった」
「……そうだね。判ったよ」
「ごめんね、お姉ちゃん。せっかく来てくれたのに……」
 私の事を気遣ってくれる少女。その顔色は、心なしか青ざめている様に見える。
 私の言葉で、傷つけてしまったのだろうか。理由を聞きたい。そう思ったけど……今の彼女の様子を見ると、とても聞ける様な雰囲気ではなかった。

「お休みなさい」
 その言葉と共に、少女は家の中に戻っていく。

 その時、私は気が付いた。家の中に引き返す彼女の足取りに。
 少女が、辛そうな表情を浮かべて、足を引きずっている事に……。


 ……………


 呆然とその場に立ちつくして、私は先程の出来事を思い出していた。
 少女の足が不自由だった事にもショックを受けたけれど、それよりも、彼女の言葉が私の心に深く突き刺さっていた。
(……音楽なんて、大嫌い)
 あの子に、自分の音楽を聴いて貰える。あの子に、私の事をもっと知って貰える。あの子と、もっともっと仲良くなれる。そう思った矢先の、突然の出来事だった。
 折角の楽しい時間だったのに。こんな事になるとは思わなかった。
 何がいけなかったのだろう。詳しい事情は判らないけど、私が、あの質問をしたせいなのは明らかだった。彼女の触れてはいけないものに、触れてしまったのだ。

(……音楽なんて、大嫌い)
 その言葉が、頭の中を駆けめぐる。
 いろいろ悩むこともあるけれど……私は、騒霊だ。私の存在は、音楽そのものだ。
 その私が「音楽が嫌い」と言われる事は……音楽を否定される事は。
 ……私の存在を全否定される事に等しかった。
 そして、その言葉を……大好きな彼女に言われた事がショックだった。

 彼女が音楽を嫌いなのは、何故なのだろう。
 そして、私はどうすればいいのだろう。
 途方に暮れながら空を見上げる。私の気持ちとは裏腹に、雲一つ無い夜空に綺麗な満月が浮かんでいた。


「……綺麗な月だな」
 声がした。
「!」
 慌てて振り向くと、すぐ後ろに人影が立っていた。私よりも二周り大きな、長い淡緑の髪をした女性。そして、頭には二本の角。噂に聞いていた番人「先生」そのものの姿だった。
「あ……」
 考え事をしていたために、全く気が付かなかった。
 突然の事に身構える事も忘れて立ち尽くす私に、「先生」は苦笑しながら手を横に振った。
「大丈夫。お前をどうこうするつもりは無いよ。……お前の事は知っているからね」
「お前が幽霊楽団の長女だという事も、そして……あの子に会っている事も」
 私の驚きの表情に、「先生」は静かな笑顔で答える。どうやら私が気付かなかっただけで、夜の訪問の事は「先生」には全てお見通しだったらしい。
「……それに、今日の出来事もな」
 ぽつりとそう言うと、「先生」は寂しそうな表情で少女の家を見た。
「今日の事は気にするな。お前が悪いわけじゃないんだ。勿論、お前の事が嫌いになったわけでもない」
 彼女は空を仰いで……そして、ぽつりと言った。
「……あの子はな、音楽で獲物を誘う妖怪に襲われたんだ」

「えっ……」
 突然の言葉に「先生」を見る。その表情は……その時の事を思い出しているのか、苦渋に満ちていた。
「あの子には、お前と同じくらいの年の姉がいたんだ。見かけもお前とそっくりだったかな。早くに親を亡くして、二人手を取り合って生きていた。本当に仲のいい姉妹……だったよ。音楽が大好きで、いつも二人で歌っていたな」
 過去形で話す彼女。
「だが、あの夜……どこからともなく聞こえてきた綺麗な歌に誘われて森の奥に入った二人は……妖怪に襲われた。歌の主は……妖怪だったんだ」
 そう言えば前に聞いた事がある。音楽で誘い出して、人を襲う妖怪がいるって……。
「私が駆けつけた時には、もう……遅かった」
「……………」
「あの子の姉は……助からなかった。そして、彼女自身も生きているのが不思議なほどの酷い状態だった」
「……………」
「……その事件があってから、私がこの村の護衛をする様になったんだ。夜に歌が聞こえて来ても、村人を近づけないようにしている。その後は、同様の事件は起きていない。……だけど」
 「先生」は、言葉を切って、天を仰いだ。
「過ぎた時を戻すことはできない。あの子の姉は……もう帰ってこない。そして、あの子の身体も……」
 「先生」は、少しの間、あの子の家の方を見つめて……そして、言った。
「……あの子はもう、僅かしか生きられない」
「えっ……?」一瞬、何を言っているのか判らなかった。
「傷が酷すぎたんだ。その時は命を取り留めたけど、日に日に弱っていって……もう、今では立つのもやっとの状態なんだ」
「そんな……」
 私は、足を引きずって歩く少女の姿を。青ざめた彼女の表情を思い出していた。
「今では、一日のほとんどをベッドの上で過ごしている。そんな彼女にとって、週に一度の散歩だけが、唯一の楽しみなんだ」
 「先生」は、目を上げて私を見た。
「お前がどうしてあの子を気に入っているのかは知らない。……だけど、あの子がお前に懐いている理由は判る。きっとあの子は……お前の姿を、自分の姉に重ね合わせていると思うんだ」
 肩に手を置いて、じっと私を見つめる。
「だから彼女と仲良くしてくれるお前に、もう来るな、なんて言わない。むしろ、私からもお願いする」
「……………」
「どうか、あの子と仲良くしてやってくれ。……最後まで」
 最後にそう言って、「先生」は去っていった。


 一人残された私は、呆然と立ちつくしていた。
 聞かされた、少女の過去。
 私によく似た姉がいたこと。そして、その姉を亡くした事。
 彼女から姉を奪い、そして彼女を深く傷つけたのが、私と同じ、音楽を奏でる妖怪であるという事。
 大好きだった音楽のために受けた、辛い、悲しい出来事。

「どうか、あの子と仲良くしてやってくれ」
 その言葉が、脳裏に蘇る。
 どうしてなのかは判らないけど、私も、あの子の事が好きだ。
 私をお姉ちゃんと呼んで慕ってくれる。あの子が大好きだ。
 できれば、側にいてあげたい。話を聞いてあげたい。元気付けてあげたい。
 ……だけど。
 私は、騒霊だ。彼女を傷つけたのと同じ、音楽を奏でる幽霊……妖怪なのだ。
 そんな私が、彼女を励ます事が出来るのだろうか。
 私にそんな資格があるのだろうか。
 いや、それ以前に……私は彼女の友達でいても良いのだろうか。
 音楽が嫌いな彼女に。騒霊である私が。
 音楽のことを隠している私が。本当の自分を隠している私が、友達でいてもいいのだろうか。


 ……………


 次の「散歩の日」までの間……私は、ずっと悩んでいた。
 彼女のことが、頭から離れない。演奏会の時も、私は悩み続けていた。

「あれ、また暗くなっちゃった?」演奏会を終えた後、リリカに語りかけられる。
「折角この前は明るい音だったのに……元に戻っちゃったね」
「いやいや、もっと沈んじゃってるよ」メルランが言った。「何か悩みでもあるの?」
 私の音色で……私の気持ちは妹達には筒抜けだ。だけど、事情を説明するわけにもいかない。
「……………」
「姉さん、悩んでも仕方ないよ。もっと楽しく演奏しなきゃ」「そうそう、もっとハッピーにいかないと」
 黙ったままの私に、事情を知らないながらも、励ましてくれる妹たち。
「……………」
 私は、答えない。……いや、答えられない。

 どうするべきだろうか。
 私に選べる答は、二つしかない。
 いや……本当は、私の中にある答は、私が選ぶべき答は、一つしか無い。
 でも、私にはなかなか決心が付かなかった。
 本当に私は、その答を出してもいいのだろうか。

 結局私は、一週間かけても、その答えを出す事はできなかった。


 ……………


 次の「散歩の日」、バルコニーに立って待っていたのは、あの少女では無く……「先生」だった。
 まさか……。一瞬、最悪の結果を想像して、「先生」の側に駆け寄る。
「あの子は!?」
「すまん。あの子は……今日は出られないんだ。熱を出してな」
 「先生」が答える。最悪の答えではなかったけど……それでも悪い答えには違いなかった。
「今は、薬で眠って貰っている。折角来てくれたのに……すまない」
 「先生」が、申し訳無さそうに言う。
「うなされながら、あの子は……ずっと、お姉ちゃんに会いたいと言っていたよ」
「……………」
「きっと、来週は会わせてやれると思う。……だけど」
 「先生」は、そこで言葉を切って。そして、沈んだ口調で言った。
「今のあの子の病状だと……それはきっと、最後になるかもしれない」
「そんな……」
 私は絶句した。「先生」の言葉が、頭の中でぐるぐると渦巻く。
 もしかしたら、いずれ少女の体調が、そして機嫌が良くなって……そして、私の音楽を聴いてくれる日が来るかも知れない。私は心の奥底ではそう思って……そう願っていた。それなのに……
 もう、時間はない。
 もう、私は……これ以上「答え」を出す事を先延ばしにはできない。

「……あの」
 私は、覚悟を決めて、一歩前に踏み出した。そして、決心した事を伝える。
「……お願いがあります」


 ……………


 私の願いを聞いて……「先生」は頷いた。
「……わかった」
「私の、自分勝手な思いなのかもしれません。ひょっとして、最後にあの子を傷つけてしまう事になるかもしれません」
「でも、それでも……」
「……わかった」
 もう一度、「先生」は頷いた。
「お前の出した答えが、本当に正しいのかどうかは判らない。だけど」
 「先生」が天を仰ぐ。夜空に浮かんでいる月は、日に日に欠け続けていた。
「……私も、それがいいと思うよ」


 ……………


 それから一週間は、あっという間に過ぎていった。
 その間、私は懸命に演奏を、そして練習を続けていた。
 日常でも、そして、演奏会の時も。

「姉さん、今度は演奏に力が入ってるね」
「そうそう。急に練習熱心になったりして、びっくりしたよ」
 突然、時間を惜しんで練習を続ける私に、妹たちも驚いている様だった。
「……だけど、あまり幸せそうな音じゃないね。どうしちゃったの」
「演奏会の時、お客さん、怖がってたよ。もっと楽しくやろうよ」
 事情も知らず気楽な妹たちの態度に、何かを言い返そうと思ったけど、喉元でその言葉を飲み込む。
 妹たちの言う通りなのかもしれない。
 だけど……私には時間がない。私に出来るのは、その日に精一杯の事ができる様に練習する事だけ。

 ほんの少し前まで、指折り数えて待って、本当に長く感じられた一週間だったのに。
 この一週間は。……最後の一週間は、残酷な程、あっという間に過ぎた。


 ……………


 次の、そして……最後の「散歩の日」。
 前にあの子に会った時には空には満月が浮かんでいたのに、すっかり欠けてしまった月からは、もうほとんど光が差して来なかった。
 いつもよりもずっと暗い夜空の中、祈るような気持ちで向かった私が見たものは……バルコニーで待っている少女の姿だった。
 居てくれた事にほっとする。だけど、消え入りそうな暗い夜闇の中、二週間ぶりに目にした少女は……すぐに彼女とは判らない程、すっかり痩せ細っていた。
 もう立つこともできなくなった少女は、車椅子に座って……「先生」に付き添われてベランダから空を見上げて、弱々しく手を振っていた。
 しかし、間近に私の姿を見て、驚きにその手が止まる。
 私は……覚悟を決めて、彼女の側へと舞い降りた。

「ルーミア……お姉ちゃん?」
 これまでと違う、楽士服の私を見て、驚きの表情を浮かべる少女。
「……あのね、ケイちゃん」
 私は、勇気を振り絞って、彼女に告げた。
「私……本当は、ルーミアじゃないの。本当は、ルナサっていう名前なの」
「ルナ……サ?」
「そう、ルナサ。騒霊。音楽の……幽霊なの。楽団をやっているんだ」
「……………」
「嫌われたくなくて、ずっと嘘をついてたの。ごめんなさい。本当に……ごめんなさい」「そう……なの……」

「……………」
「あのね、ケイちゃん。私の音楽を、演奏を聴いて欲しい」
「……………」
「ケイちゃんが音楽を嫌いな事は、知ってる。嫌われてしまうかもしれないけど……こんな私の演奏なんか聴きたくないかもしれないけど、どうか、どうか私の音楽を聴いて欲しい。……私の思いを、ケイちゃんへの気持ちを、聞いて欲しい」
 彼女が今にも拒否の声を上げるかもしれない。私は不安で一杯になりながら、彼女を見た。
 彼女は何も言わず、ただじっと、私を見つめている。
 しばらくして、やがて……少女は、こく、と小さく頷いた。
「……ありがとう」
 私は彼女に深々と頭を下げて……バイオリンを手に取って、弓を構える。
 深呼吸をして、そして、息を一つ、大きく吸って……
 私は……バイオリンを弾き始めた。


 バイオリンの独奏が、夜空に流れ始める。
 実際に弾き始めると、私は……自分の音だけだという事に。静寂の中に、私の音が一つしか無いという事に、心細さで押しつぶされそうになった。
(……怖い)
 普段は、ただ騒がしいと思っていた妹たちの音。
 ……なのに、いざ無くなってみると、こんなに心細いだなんて。妹たちの音が無いことが、こんなに寂しいだなんて。
 静寂に包まれた宵闇の、いや、宵闇よりも暗い漆黒の闇の中、バイオリンの音がただ一つ、心細げに鳴り続ける。
 私の心細い音が……周囲の「静寂」という音に、光の差さない闇に押しつぶされる様な気持ちになる。
 心の中で、不安が、迷いがどんどん膨れあがっていく。
 ……だめだ。
 こんな気持ちで演奏しても、彼女を元気付ける事ができない。彼女に……思いを伝える事ができない。
 彼女のために何かをしてあげたいのに。その思いを伝えたいのに。
 そのために、勇気を振り絞って演奏しているのに。
 それなのに、私は……。


 その時、夜空を貫いて、大きな、高い音が響き渡った。
「!?」
 驚いて天を仰ぐ。
 それは……トランペットの音色だった。
 私のバイオリンの音色に添える様に、心細い音色を支える様に、高らかなトランペットの音が、静寂を押し返す。
 そして、それと共に、影が一つ、舞い降りてきた。

(……一人で先に演奏を始めちゃだめだよ、姉さん)
 私の横に寄り添って、彼女が……目で語りかける。
(メルラン……!)

 更に続けて、もうひとつ音が加わる。
 それは、キーボードの音色だった。
 舞い降りてきた幻想的な柔らかな音色が、私たち二人の音を守るように優しく包み込んだ。
(そうそう。こんな素敵な演奏会に一人で抜け駆けするなんて、ずるいよ姉さん)
 その言葉と共に、舞い降りた人影が私に寄り添う。
(……リリカ)

(これで、みんな揃ったね)
(二人とも、どうして……)
 私は驚いて、両側に立つ妹達を見た。
(何言ってるの。私たちが姉さんの事、知らないわけないでしょ)
 悪戯っぽい笑顔を浮かべるリリカ。
(そうそう。私たちの大切な姉さんなんだから。……これ位、お見通しだよ)
 いつもと同じく、朗らかな笑顔のメルラン。
(二人とも……)
 いつもと変わらない、いつも私と共にある二人が、私を見つめていた。

(……姉さんは時々、考え過ぎちゃうからね)
(そうそう。そんな深く考えなくたって)
(私たちは、「自分の大好きな音楽を聴いて欲しい」。それだけで十分なんだから)
 笑顔で演奏を続ける二人。
(メルラン……リリカ……)
(あのね、姉さん。みんなが私達の音楽を楽しんでくれるためには、姉さんの音が必要だよ)
(ルナサ姉さんの優しい音があるから、支えてくれているから、私たちも安心して自分の音を演奏できるんだよ)
(私たちも。そして聞いてくれる人、みんなも。みんな、ルナサ姉さんの音が大好きなんだよ)
(だって)
(私たちは三人揃って、一つの音楽なんだからね)
 三つ揃った音が、夜空に鳴り響く。
 私の心にも、二人の言葉が。そして、二人の音色が溶け込んでくる。

(……ありがとう、二人とも)
 私は頷いて、もう一度、しっかりとバイオリンを、弓を握りしめた。

 ……もう、迷わない。
 妹たちの音と共に。
 トランペットと、キーボードの音色に支えられて。
 私は、全ての思いを込めて……バイオリンを奏で続けた。


 ……………


 ……演奏が、終わった。
 少女は、椅子に座って、ただじっと、音楽に聴き入っていた。
 私の、いや……私たちの音楽は、彼女に届いただろうか。
 音楽に込めた私の気持ちは、思いは……彼女に届いただろうか。
 彼女を見ることができずに、私はそのまま、俯いて下を向いてしまっていた。

 不意に、両肩をぽん、と同時に叩かれる。
 顔を上げると、そこには妹達が立っていた。
「ほら……姉さん」
 二人は笑顔で……私の前を指さす。

 そこには……ぱちぱちと、手を叩く少女の姿があった。
 青白い顔に懸命に笑みを浮かべて。手をぱちぱちと叩き続けていた。
「良かったよ、お姉ちゃん」
「ケイちゃん……」
 私は、彼女の側に駆け寄った。

「お姉ちゃん、ありがとう」そう言って、少女が私の手を取った。
「ごめんね」
 私の謝罪の言葉に、少女は「ううん」と首を横に振った。そして、俯いた私の手を強く握りしめる。
「……あのね、お姉ちゃんの気持ち、しっかり伝わってきたよ」
「お姉ちゃんが私のことを大切に思ってくれている事、それに、私を傷つけないか心配してくれている事まで……。ありがとう」
「……………」
「だから、謝ることなんて何もないよ。だってお姉ちゃんは、私の大切なお姉ちゃんだもの。大切な、大好きなお姉ちゃんだもの」

 少女は私と後ろに立っている妹達を見て、笑顔で言った。
「……お姉ちゃんたちの音楽は、虹色の音楽だね」
「みんなにそれぞれの色があって。みんながそれぞれ、素敵な音色を持っているの。お姉ちゃんは、お月様の様な優しい色」
「お月様の……優しい、色?」
 私の言葉に、少女は笑顔で頷く。
「それだけでもとっても素敵なのに、みんなの音が混ざり合って、もっともっと素敵な虹色の音色になるんだね。私、こんな音楽を聴いたの、初めてだよ」
「ケイちゃん……」
「……お姉ちゃん」
 少女が私の手を握りしめる。
「私……最後に、お姉ちゃんの音楽が聴けて良かった」
「やっぱり、音楽が好きなんだって思い出す事ができてよかった」
「……………」
「私、お姉ちゃんの音楽をずっと忘れないよ。……いつまでも。ずっと忘れない」
 その言葉と共に、少女は震える足で立ち上がろうとした。
「ケイちゃん、無理したら……」
 慌てて止めようとしたが、少女の眼差しに制される。少女は「先生」の手を取って、残された力を振り絞って……震える足取りで立ち上がった。
「……あのね、お姉ちゃん。私、受け取って貰いたいものがあるの」
 そう言って、頭に手を伸ばす。
 髪を結んでいた赤いリボンが外れて、解けた髪がふわりと広がった。
 少女は震える手を私の頭に伸ばして……そして、そのリボンをしっかりと髪に結び付けた。
「……うん。とっても似合ってるよ、お姉ちゃん」
 赤いリボンを付けた私に、少女が微笑んだ。

 目の前に、少女の笑顔がある。
 解けた髪で笑顔を浮かべて私を見上げる、その姿を見て……私はどうして彼女の事が気になっていたのか、懐かしい面影を見ていたのか、ようやく気が付いた。

 彼女の、少女の姿は……。

「……お姉ちゃん」ささやく様な声で、彼女が、……妹が言う。
「このリボン、ずっと、大切にしてね」
「……うん」
「これからも、ずっと、ずっと一緒だからね、お姉ちゃん」

 少女の身体から力が抜けて、私に身体を預けてくる。
 私は、その身体をしっかりと、強く強く抱きしめた。


 この日、この時に感じた少女の身体の温もりを。抱きしめた感触を。
 ……そして、少女の笑顔を。
 私は、いつまでも、ずっと、ずっと、覚えていた。


 ……………


 ……あの日から、もう、随分時間が経った。


 満月の夜。今日も服を着替えて、ふわふわと夜空を漂う。
 あの頃と何も変わらない、夜空の散歩。
 だけど、あの頃とは違う事がふたつある。
 一つは……夜の散歩の目的が、疲れた時の気晴らしの為ではなくなった事。
 そしてもう一つは……私の頭を飾る、赤いリボンだった。
 この「ルーミア」としての夜の散歩は、私にとって大切な時間。彼女と一緒に、夜空の散歩を楽しむ、大切な大切な時間だった。

 宵闇の中、月の光と夜風を楽しみながら、ふわふわと人里の……彼女の住んでいた家の近くまで流れていく。
「ひっ……」
 小さな悲鳴が聞こえてきたので目を遣ると、そこには、あの夜雀が脅えた表情で立っていた。目が合うと、見る間にその顔色が真っ青になっていく。
「も、もう許して。もう……食べないで……!」
 悲鳴を上げて、一目散に逃げ去る夜雀。
 ……あの鳥頭でいつまで覚えているのかは判らないけど。あの「お仕置き」の事はしっかりと記憶に刻まれている様だった。
 彼女が私の事を……そして、あの「お仕置き」を覚えている限り。そして、私がこの姿で人間の里の周りを漂っている限り、もう彼女が人里に近づく事も。そして、歌声で人間を誘う事もないだろう。
 もう……子供が襲われることはないのだ。

 夜雀が逃げ去ったのを確かめると、私は両手を広げて、ごろりと仰向けに転がった。
 夜空には、あの頃と同じ、綺麗な満月が浮かんでいる。

「綺麗な月だな」
 その声に振り返ると、いつの間にか、後ろに「先生」が立っていた。

「この前の演奏会……聴かせてもらったよ。とても良かった。月夜のコンサートというのも……いいものだな」
 月は、変わらずに優しく夜空を照らし続けている。

「きっとあの子も……この月の下で聞いてくれていたさ」
 「先生」が静かに言って、空を見上げた。


「……そーなのかー」
 私は、笑顔で答える。


 もう、少女はいないけれど。
 私の髪には、今でもいつも、赤いリボンが付いている。
 私が「ルーミア」でいる時、このリボンは……そして彼女は、いつも一緒だ。
 これからも、ずっと、ずっと。決して離れずに、一緒にいるのだ。

 私はもう一度、空を見上げた。
 夜空に、大きな月が輝いている。
 あの日と変わらない……優しい光が降り注いでいた。

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