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2009年8月 3日 (月曜日)

東方竹取物語考察 5:難題「龍の頸の五色の玉」

■東方竹取物語考察:目次
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2009/05/post-f11c.html

■難題「龍の頸の五色の玉」(大伴御行)

【大伴御行(おおとも・の・みゆき:635[舒明天皇7]-701[大宝1])】

 大和朝廷成立に重要な役割を果たした大伴氏の当時の当主。壬申の乱で功があった。

 大伴氏は天孫降臨時から天皇家に仕えていた軍事氏族(瓊瓊杵尊の先導をした天忍日命が祖神)で、「撃ちてしやまむ」で知られる古代最強軍団「久米の兵」を率いて大和朝廷の勢力拡大に大きく貢献した。徐々に政治的な権力も持つようになり、中でも大伴金村は「大連」として継体天皇の擁立に関わる等政権の中枢で活躍し、この時期に大伴氏の勢力は最盛期を迎えた。
 金村の失脚後、蘇我氏の台頭と共に政権の頂点からは脱落するが、それでも有力氏族として政権の中枢に多数人材を輩出した。大伴弟麻呂が初代の征夷大将軍(彼の後任が有名な坂上田村麻呂)となるなど軍事面でも活躍している。また、大伴旅人、大伴坂上郎女、大伴家持などの歌人を輩出するなど文化的な貢献度も高い。
 御行の父大伴長徳は右大臣。壬申の乱で活躍した大伴吹負は伯父(長徳の弟)。
 御行の死後は弟の安麻呂が当主となり大伴氏を率いた。以降活躍した大伴旅人、大伴坂上郎女、大伴家持等は御行ではなく、安麻呂の子孫に当たる。
 延暦4(785)年、歌人でも知られる当時の当主、大伴家持が藤原種継暗殺事件(家持の没直後に発生)の首謀者とされ、一族が多く連座させられた事から勢力を失う。
 弘仁14(823)年に淳和天皇が即位した時、御名が「大伴」であった事から名を避けて「伴」に改姓。
 貞観6(864)年、伴善男が130年振りに大納言まで出世し、再び繁栄に向かうかと思われたが、応天門の変(政敵・源信に放火犯の濡れ衣を着せようとしたが、逆に自分が犯人だと露見)で失脚、大伴氏は歴史の表舞台から姿を消した。


 というわけで、今回は大伴氏です。
 昔いろいろ調べた事があるのですが、大伴氏の栄枯盛衰(というか衰退の課程)、特に最後を飾る「応天門の変」は、何というか歴史の深さを感じさせるもので、本当に興味深いものでした。
 かつての名族が衰退して「大」が取れて(実際は↑の理由なので衰退が原因ではないのですが)ただの「伴」氏にレベルダウン。
 最後の当主はとても軍事氏族とは思えない名前の「善男」。
 その善男さんは政敵を追い落とすため放火事件を起こすも自分が犯人だと露見し、逮捕されて失脚。ちなみに、部下に命じるのではなく自分で火を付けに行くマメさです。
 とどめとして、その一連の行動は「伴大納言絵巻」として漫画化?され、国宝として末永く伝えられる事となったのでした……
(ただし「応天門の変」は、藤原氏の陰謀説もあるので、彼が犯人ではないかもしれません)

 ちなみに、「伴大納言絵巻」は「応天門の変」を描いた巻物なのですが、今見てもかなり見応えがあって面白いです。
 この絵巻の中で、庶民の子供同士が喧嘩→負けた子供の親(伴善男の従者)が出てきて勝った側の子供を蛸殴りに→もう一方の親が激怒→実はこの親が伴善男が放火する所を見ていた→訴え出て伴善男逮捕 ……という筋なのですが、親が出てきて子供の喧嘩相手を蹴飛ばすシーンでは、蹴られた子供が海老反りになって吹き飛ぶというとても平安時代に描かれたとは思えない漫画的表現が面白くて、非常に強く印象に残っています。
 私が学生の時は、日本史の資料集には必ず載っていたものですが、今はどうなのでしょうか? 皆さんも見る機会がありましたら是非ご覧になって下さい。

 ちょっと御行本人にあまり語るべきネタがないので(笑)大伴氏全般の話になってしまいましたが、そんな大伴家のご当主様に輝夜が出した難題は「龍の頸の五色の玉」。文字通り、龍の頸(くび)にあるとされる五色に光る玉です。

 大伴御行に輝夜姫が出した難題、「龍の頸の五色の玉」。龍の頸(くび)にあるとされる五色に光る玉です。
 龍といえば、口に玉をくわえている姿で描かれている事が多いですが、あれでしょうか? それなら、頸(くび)ではなく顎(あご)になるっぽいですが。ううむ……
 色々調べてみると、正倉院に実物?である「五色龍歯」が納められているようです。実際には龍ではなく、ナウマン象の歯(臼歯)の化石のようです。臼歯…なので、やっぱり頸(くび)よりも顎(あご)の方がイメージが近いですね。鎮静作用のある漢方薬として使われていたらしいです。この「五色龍歯」が入ってきたのが平安時代とされており、元ネタに使われた可能性もあるようですね。
 まあ、龍であれ、ナウマン象であれ、入手が極めて困難なものである事に違いはありません。肝心の宝物が龍の頸にあるということで、龍を発見するだけでも大変なのに、龍を倒さないと入手できないのです。

 難題を突きつけられた大伴御行ですが、そこは古来から続く武門の頭領。一族を挙げて龍の頸の玉入手に乗り出します。
 私財をなげうって旅費として渡し、一族に龍を探し出して頸の玉を取ってくる様に命令。一族の者達は龍探索に各所に散っていきます。が、肝心の部下達は余りにも無茶な話なので、その多くは命令に納得がいかず、旅費だけ受け取って自宅に籠もったり、自分の家族に配ったりする始末。龍探索は遅々として進みませんでした。
 業を煮やした御行は「龍を射殺して頸の玉を取ってくる」と自ら出陣。が、そもそも射殺す以前に龍がどこにいるのか判りません。船で当てもなく彷徨うしかありませんでした。

 そして、船が筑紫の国に差し掛かったとき……異変が起きました。
 御行が乗る船を突然、雷を伴った暴風雨が襲います。
 この時代、船旅での嵐は今以上に強い恐怖の対象でした。遣隋使/遣唐使がしばしば遭難したり、鑑真が来日中の船が遭難して失明したり……という逸話が示すとおり、船旅は命がけだったのです。
 龍が襲ってきたのか、それとも天罰か。突然襲った暴風雨に、恐怖に脅えた御行は船の中で「龍の神様、殺そうとしてすいませんでした。二度としません」と誓いの言葉を唱え続けます。武門の頭領である筈が、完全に形無しです。
 プライドを捨てて祈った甲斐があったのか暴風雨は収まり、船は数日後播磨(明石)に流れ着きます(かなり長い距離を流されてますね)。播磨国の国司に連絡して迎えに来てもらいますが、体調が悪くて起きあがれません。
 ようやく起きあがると、重病のせいか、それとも龍の呪いなのか……腹が大きく膨れあがり、両目は李(すもも)を二つくっつけた様な瘤になっているという悲惨な有様。それを見た播磨国司からは笑われてしまいました。
 ようやく自宅に帰還すると、前妻(輝夜姫を妻に迎えることを見越して離縁していたのです)からは嘲笑われ、留守の間に自宅の屋根(茅葺き?)は鳶や烏が巣にするために持って行ってしまい、ぼろぼろになっていました。
 世間からは「龍の頸の玉を取りに行ったのに、得たのは眼についた玉(瘤)だけだった」と嘲笑されます。
 これに懲りた御行は、二度と輝夜姫には近づきませんでした……。


 ……と、言う感じで五人中、一二を争う無様さで難題に失敗した大伴御行。
 以前も触れましたが、彼だけがほぼ実名そのままで出ていますし、ここまで酷く描かなくていいのでは、と思うほどの悲惨な失敗振り。
 大伴氏が健在な時期にこんな物語を書けば只で済むわけがない……ということで、この件は竹取物語が書かれた時期が大伴氏が没落した(前回触れた「応天門の変」の起きた貞観八[866]年)以降ではないか、という説の根拠になっています。

 そんなこんなで大伴御行も脱落。
 次回の挑戦者は、石上麻呂(難題「燕の子安貝」)です。

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