2011年4月17日 (日曜日)

年齢疑惑(懐かしい映画の話)

 なぜいきなりこんな話題を取り上げるのかは……たぶん、あと数日したら気兼ねせずに話せる様になるのかもしれません。

■霊幻道士/幽幻道士
 1985年頃に公開された台湾映画。
 清王朝時代の中国を舞台としたホラー映画?で、

・以前から流行っていたカンフーアクションものだった
・明るい(可愛い?)中華版ゾンビである「キョンシー」が受けた
・「幽幻道士」のヒロインである少女「テンテン」が可愛かった

 などの要素が受けて、日本国内でも大ブームとなった。
 その人気から、その後続編が数年間に亘って制作されるほどの人気作品であった。

 うろ覚えの記憶としては、
・主題歌が(中国語の)「はとぽっぽ」だった
・映画だけでなく、TV番組でも「キョンシーズ」とかいう番組をやっていた
・数年間、映画がしばしば放映され、テンテンを初めとする出演者がバラエティー番組等に呼ばれていた
・三枚目キャラだった萃香頭の活躍とダイナマイト突撃が印象に残った

 ……というあたりでしょうか。とにかく当時(昭和の最後あたり)はかなり流行ったという記憶があります。
 主役級のキャラはテンテン(小学生くらいの女の子?)と同年代の友達数名なのですが、彼女たちは現在は何をしているのでしょうか。

■いつ頃見ていたのか?

 で、ここからが本題なのですが、この作品が流行ったのが昭和の最後あたりで、改めて調べて見ると、映画の公開は1985年(昭和60年)だった様です。
 いつの間にかブームが終わった記憶があるのですが、5年ほどブームが続いたと仮定すると、1990年(平成2年)まで。

 1990年に見た作品の記憶が残っている(物心がついている)とすると、とりあえず5歳としても1985年生まれ(26歳)、10歳だったとすると1980年生まれ(年齢表示自粛)、15歳だったとすると1975年生まれ(年齢表示自粛)という事になりますが……。
 とりあえずどう贔屓目に見ても、10代という線は消え(ry)


 ……………


 ……まあ、レンタルビデオで見たと考えればいいわけですし、結構長いことTV放映していた筈ですし、そもそも特撮物?マニアなので別に今の年齢で知っていてもおかしくない様な感じもします。きっとそうですよね!
 それにあれはそもそも神奈子様のコスプレっぽい感じもしますし(笑)、一家その物が昔っぽい(世間の流行から遅れている)感じもしますし、それを考えれば……。

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2010年11月 7日 (日曜日)

各種連載へのブックマーク集

 各種連載系日記が溜まってきたので、目次的なページを作ってみました。

 自分が覚えている大型?連載は今のところこんな感じですが、毎年恒例化されているものや、数回に分けて書いている日記は結構多いので、また気がついたら随時追加していきたいと思います。


☆東方諏訪旅行記☆

■第1回旅行記(H20.04.06) 旅行期間:H20.3.20-21
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2008/04/post_d107.html

 最初の諏訪旅行。諏訪大社四社+守矢史料館についての感想、考察。

■第2回旅行記(H20.11.12) 旅行期間:H20.11.14-15
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2008/11/post-93a7.html

 2度目の諏訪旅行。前回の旅行で取りこぼした史跡類をいろいろ巡礼、考察。

■第3回旅行 ※旅行記なし 旅行期間:H21.6.5-6
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2009/06/post-398d.html

 競馬遠征(シルクメビウス号:ユニコーンS)の前泊。諏訪ではレンタカーでいろいろ回ったが、当日は生憎の雨だった。四社参拝と温泉巡りが中心で、詳細日記や考察は無し。リンク先の日記も箇条書きレベルです。

■第4回旅行記 ※制作予定 旅行期間:H21.11.2-3

 競馬遠征(シルクメビウス号:JBCクラシック)の前泊。4回目ともなると主要な所はほぼ回ったので、完全に四社参拝と温泉巡りを楽しむ、観光旅行と化してきている。それでも結構面白いネタが揃ったので、旅行記を作成予定。


☆東方竹取物語考察日記☆

■東方竹取物語考察日記(H21.5.26-) 元ネタはH17の日記
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2009/05/post-f11c.html

 Blog化される前の桔梗屋の本館日記で連載していた「東方竹取物語考察日記」のリメイク掲載。加筆修正でかなり元連載と内容が変わってしまっています。
 あと数件未うpで残っているので、気が向いた時に追加されるかもしれません。


☆ゲーム等感想日記☆

■「黄昏のシンセミア」感想日記(H22.7.29)
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2010/07/post-476b.html

 「あっぷりけ」から平成22年7月22日に発売された「絆を受け継ぐ純愛ADV」。「黄昏のシンセミア」の感想日記です。
 言うまでもなくゲーム本編の感想が中心……なのですが、閲覧履歴を見ると「ジャコス」率の高いこと高いこと……。

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2009年12月25日 (金曜日)

年末競馬とリリーと本馬場入場

 早いもので、もう有馬記念の週になりました。
 年末と言うことで、来年に向けていろいろ準備をしなければなりません。
 競馬関係で言えば来年のカレンダーを仕入れておく…という事になるわけですが、先日応募していたグリーンチャンネルとJRAVANのカレンダーがまだ来ません。まさか……外れた!?
 募集人数(6万人とか)的に「事実上の全員プレゼント」だと思っていたのですが、ネットでいろいろ調べてみると外れている人もいるみたいですね。結構応募数が多いのかなぁ……。
 週末~来週頭までは届く可能性がありそうですし、もう暫く待ってみたいと思います。
 あと、JRAのカレンダーは結局コンビニ通販しました。手帳も添付される分高い(2000円)んだよなぁ……


>リリーホワイト(仮名)が道営競馬に入厩
 http://www.hokkaidokeiba.net/topics/main.php?p_tcd=0000001760

 http://www.hokkaidokeiba.net/topics/main.php?p_tcd=0000001752


 白毛馬「フラッシュリリーの2008(牝馬。来年2歳)」の入厩記事です。

 入厩した時だけでなく、その後の情報も定期的に取り上げてくれている様ですし、デビューを迎える来年一年間くらいは道営のアイドルとしての待遇が約束されている感じです。早めに勝ってくれれば、中央参戦→知名度も全国区…という流れも期待できそうです。最近は白雪姫一家が幅を利かせていますが、白毛と言えばこちらの血統が元祖?ですし、活躍を期待したいですね。
 父ハクホウクンは既に種牡馬を引退しているみたいですし、兄姉も繁殖入りせずに引退しており、この系統の存続は彼女に掛かっています。この馬自身も(生まれたときは)双子だったそうなので厳しい状況ではありますが(双子とはいっても、写真を見るとそれほど小柄には見えないですが)頑張って欲しいです。

 ちなみに、馬名が本当に「リリーホワイト」になる可能性ですが…兄姉の名前が「ハクバノイデンシ」「ハクバノデンセツ」なので……。

 現在、馬名が公募されていますので、応募してみるのもいいかもしれません。
 http://www.hokkaidokeiba.net/topics/main.php?p_tcd=0000001770


>来年からGI、重賞の本馬場入場曲が変更に
 http://jra.jp/news/200912/122101.html

 また余計な事を……。

 (今回の変更で無くなる)「ザ・チャンピオン」や「グレード・エクウス・マーチ」を無くして(変えて)競馬ファンが増えると、売上げが戻るとJRAは思っているのでしょうか。絶対に逆効果です。
 そもそも、ここ数年の売上げ低下理由の大半が、数年前に「炎のウィナー」(関西の一般競走入場曲)を変更した事が原因(※1)である事を思い出すべきです。

※1:勿論私の妄想ですが(笑) でも、あの曲、好きだったんですよ…。あの曲を聴かないと土日の朝が来た気にならない…。
 「競馬ファンの皆様、おはようございます。第○回阪神競馬○日目、第1競走…」

(参考:炎のウィナー)
 http://www.nicovideo.jp/watch/sm4017322

 多分この流れで行くと、数年以内にレース発走時のファンファーレも変更されるのではないでしょうか。
 改革や変革、現状の打破……等々、言葉の響き自体は格好いいのですが、物事には「変えなくてもいいもの」「(余計な事を)始めないことによって守られるもの」がある事を知るべきです。
 「余計な自称『改革』による状況悪化」、これを来年は現実社会だけではなくて、競馬の世界でも味わう事になるなんて……。


 ……と、変わる前から散々な言いようですが、新しい本馬場入場曲が従来の物と同等以上に素晴らしい曲になるのであれば問題ないわけです。そのあたりの可能性に期待したいところです。
 新曲の作曲者は岩代太郎さんという方ですが、「みどりのマキバオー」がアニメ化された際の音楽担当でしたし(当時のレース時等のBGMは結構良かったと思う)、(音楽を変える事の是非は別として)少なくとも人選的にはそれほど的を外していないのではと思うのですが、果たして……。


>今週の桔梗屋出走馬[H21:138-140]
 今週は3鞍。これで今年の出走数は丁度切りのいい?140鞍となりました。
 年間140戦というのは、我が桔梗屋では史上最多となるわけですが……残念ながら勝ち星の方は現時点で6勝と過去最多勝だった去年(9勝)とはほど遠い状況です。一応今週全部勝てば理論上9勝は可能ではありますが(笑)、それは無理としてもせめて最後に一勝くらいは上積みして来年に繋ぎたいところです。

■土曜阪神1R 2歳未勝利(D1800) シルククインビー号出走 10:05
 http://race.netkeiba.com/?pid=race&id=c200909050701

 クインビーが土曜阪神1Rに出走します。
 デビュー戦となった前走は8着。レコード決着なので離されたのは仕方ないとしても、なかなか脚の使いどころや脚質が読みづらい一戦でした。
 叩いた今回はダートに代わり、距離も1800に短縮となります。何とか変わり身を見せて貰いたいところです。
2頭ほど有力馬がいますが、その他のメンバーを考えると変わり身次第では上位も十分期待できると思います。来年につながるいいレースを期待したいと思います。

■土曜中京6R 3上500万下(D1700若) シルクエステート号出走 12:40
http://race.netkeiba.com/?pid=race&id=c200907040506

 エステートが土曜の中京で復帰戦を迎えます。
 前走は久々の芝でしたが大敗。放牧を挟んだ今回は再びのダート戦となります。ダートでは昇級初戦となった2走前でも4着になっています。巻き返しの余地は十分です。 後は、帰厩直後という事もあり、十分に能力を発揮できるかが鍵となります。この馬の前走もそうですし、同厩舎のストレングスも同様なのですが、岡田厩舎の馬は入厩後即使う→仕上がり途上なので敗退→調子が悪くなって放牧→以下繰り返し…のパターンが多いです(「調教」もしないのに「調教師」とはこれ如何に?)。エステート自身はここまでダートでは掲示板を外していませんし(万全の状態なら)ここでも十分勝ち負けに持ち込めると思います。
 今回の臨戦課程でどこまで力を発揮できるか、そして使った後も(放牧されずに)引き続き使っていけるのかが注目点となります。
 新聞を見ると前走4着5着の馬に重い印が付いている状況ですし、十分に力を発揮できれば上位進出、そして好配当も期待できそうです。

■日曜中山5R 3上500万下(D1800) シルクアルバス号出走 12:20
http://race.netkeiba.com/?pid=race&id=c200906050805

 アルバスが日曜の中山に出走します。
 現級でもそこそこの競馬を続けており、3着経験もあるなど頑張ってくれているのですが、きっかけをつかんで更に上を目指して欲しい…という感じです。そして、今回はひょっとすればその「きっかけ」となるのでは…というレースとなります。
 今回は休養明け初戦となりますが、調教での動きがこれまで以上にいいですし、鞍上には藤田騎手を確保してくれています。対戦メンバーもそれなりですし、上位進出も十分期待できると思います。
 このレースが私の出資馬の今年最後のレースとなります。いい形で今年を締めくくってくれればと思います。


>その他、今週の桔梗屋出資馬あらすじ
・ドラグーンが引退。
・マタドールが放牧。
・レモネードがゲート試験を受けるも不合格。

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2009年10月25日 (日曜日)

東方竹取物語考察 8:難題「蓬莱の玉の枝」後編

■東方竹取物語考察:目次
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2009/05/post-f11c.html

■難題「蓬莱の玉の枝」(藤原不比等)  の続き

 油断した隙に?一ヶ月も間が開いてしまいましたが、難題「蓬莱の玉の枝」の後編です。


 前回の記事でご紹介した通り、藤原氏繁栄の基礎を築いた偉人、藤原不比等。彼がついに、輝夜姫の難題に挑みます。

 彼に対して、輝夜姫もとびきりの難題を用意していました。
 ……そして、不比等も他の人々とはひと味違う対策を準備していたのです。

 藤原不比等に輝夜姫が出した難題が……「蓬莱の玉の枝」です。

 そもそも、「蓬莱の玉の枝」とは何なのか?
 原文によると「東の海にある『蓬莱山』に存在する、根は白銀、茎は黄金、実は白玉(真珠)でできている木の枝」の事です。ものすごく豪華ですね。
 名字が「蓬莱山」だったり、(永夜返しは別にして)スペルカードの締めが蓬莱の弾の枝だったりと、彼女がこのアイテムに並々ならぬ愛着を持っていたのは間違いない所でしょう。一番の大物である不比等に出題したことからも、蓬莱の玉の枝が最高の難易度である事がうかがえます。
 ……が、その「最高の難易度」は、不比等が馬鹿正直に蓬莱山まで枝を取りに行ったらの話です。勿論、彼はそんな事はせず、別の手段で「蓬莱の玉の枝」を用意する事にしました。
 過去にも、偽物を渡そうとしたり(仏の御石の鉢)商人から買ったり(火鼠の皮衣)と不正な手段に出た挑戦者はいました。彼らとは違い、不比等は……不正な手段には違いないのですが……別の意味では正面突破とも言える作戦を採ります。
 つまり……「自作する」。
 他の難題の様なマジックアイテム系?とは異なり、良く考えれば、材料である白銀、金、真珠は財力さえあれば入手が可能なものばかりです。そして、不比等にはその財力がありました。

 まず、朝廷に「湯治のため筑紫まで行って来ます」と願い出て休暇を取ります。その一方で輝夜姫には「今から玉の枝を取りに行ってきます」と使者を送りました。
 で、本人はごく一部の側近のみを連れて密かに浪速に移動。簡単に人が近づけない場所に工房を設置し、当時最高水準の技術者六名を呼び寄せました。情報が外に漏れないように厳重に封鎖した上で、巨額の財産をつぎ込んで「蓬莱の玉の枝」を作成します。
 その結果……ついに、輝夜姫の注文通り「根は白銀、茎は黄金、実は白玉(真珠)でできている木の枝」が完成しました。

 こうして自作の「蓬莱の玉の枝」を手にした不比等は、あたかも苦労して船で帰ってきたかの様に装いながら再び難波の地に姿を現します。そして、長櫃に入れて輝夜姫の元にやってきます。
 彼が何かすごい宝物を入手した事は噂として広がり「不比等が優曇華の花を持って来るらしい」と大騒ぎになります(何でここで優曇華の花が出て来るのかは別途記事参照)。この噂を耳にした輝夜姫はこれはまずい、と胸がつぶれるほど不安になります。
(つまり、少なくともこの時期には彼女は「蓬莱の玉の枝」を偽物だと見破るような特殊能力は無かった事になります。偽物を見破った「仏の御石の鉢」とは矛盾することになりますが……)

 そして、ついに輝夜姫の所までやってきた不比等。彼は完全に勝ちを確信しており、勝手に部屋の中まで入って来ました。
 本来なら無礼を咎めるべき竹取翁も「蓬莱の玉の枝」の実物を見て、「難題をクリアした彼が輝夜姫を妻に迎えるのだから彼の行動はもっともだ」と納得する始末。更に、憮然としている輝夜姫を後目に、寝室を整え始めました。
(本文にも「翁は閨の内しつらひなどす」と書かれているのですよ……)

 不比等は、ふてくされる輝夜姫。そして横でせっせと閨の準備を始める竹取翁を前に、蕩々と如何に「蓬莱の玉の枝」を入手したのか、武勇伝(勿論嘘)を話し始めます。
 ここでは省略しますが、この「武勇伝」、やたら長いです。ここまで4人の挑戦者の難題話を書いてきましたが、一人分すっぽり入るほど長いです。それだけに本当っぽく聞こえたのか竹取翁は感動。不比等と和歌を歌い始める始末です。
 そんな感じで、ついに難題をクリアした?藤原不比等。竹取翁は最早不比等の味方。月の使いが助けに来るのはもっと後の話です。輝夜姫はこのまま彼の側室に、もこたんの義母になってしまうのでしょうか?

 数々の難題で貴族達を撃退してきた輝夜姫が、最後の一人、藤原不比等を前に、ついに迎えた最大のピンチ。
 輝夜姫は何とかして、この場を逃れることは出来るのか?
 それとも、不比等の妻になってしまうのか?
 そして、翁がしつらえた「閨」は使われる事となるのでしょうか? 助けてえーりん!

 ……と、最大の山場を迎えた最後の難題ですが、意外な形の結末が待っていました。

 その時に、不意に庭に入ってきた六名の男達。彼らによって不比等の野望はあっさりと打ち砕かれます。
 彼らは、不比等に「給料をくれ」と主張。そう……彼らは「蓬莱の玉の枝」を製作した職人たちだったのです。千日間(製作に約3年掛かっているらしい…)も頑張ったのに不比等は彼らに報酬を払っていなかったのです。不比等が側室(予定)の輝夜姫にプレゼントするために「蓬莱の玉の枝」を作っていたと知った職人たちは、ここなら払って貰えるだろうと、輝夜姫のところまでやってきたのです。

 余りにもお粗末な理由で偽造が発覚。横で真っ白になっている不比等。そして騙されていた事を恥じて寝たふりをする竹取翁をよそに、輝夜姫は大喜び。不比等の代わりに、職人達に沢山ご褒美を出してあげました。
 そして当然、偽物と判った「蓬莱の玉の枝」は返品。不比等も失格となりました。
 不比等は気まずい中でも帰るに帰れず、輝夜姫の生暖かい視線に晒されながら夜まで待ち、暗くなってからこっそりと帰宅。更に帰り際に先ほどの職人たちを殴り倒し、先ほど輝夜姫が与えたご褒美を没収という大人げない行動に出ます。その後は今回の事件を恥じて、何年も公式の場に姿を見せませんでした……。
 これが、藤原不比等が挑んだ「蓬莱の玉の枝」の顛末となります。

 その後の東方的な展開は皆様もご存じの通り。
 父親が恥をかかされた妹紅。まあ、今回の話を見ると自業自得だったのでは、ケチらずに給料を払ってれば騙し通せていたのでは…、とか思いますが……。
 ともあれ、妹紅はその後復讐の機会を狙い、輝夜が姿を消した後に調岩笠(月のいはかさ)を殺害、蓬莱の薬を入手する事になります。
 そして、輝夜は月の使いと共にやってきた永琳と共に姿を消し、長い年月の後に永夜事件を起こすことになります……。

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2009年10月 9日 (金曜日)

微妙な三連休日記

 先日の日記で触れた賞味期限切れの「幻想郷に逝けるお茶」ですが、丁度、本日発売された「東方儚月抄:底巻」のメロンブックスの付録が「博麗神社 幻想湯呑」だったので、これに入れて飲んでみる事にしました。

http://www.melonbooks.co.jp/contents/comic/toho_b3/main.html

 件のお茶も、東方儚月抄(上巻)の付録についていたものです。

http://www.melonbooks.co.jp/contents/comic/toho_b1/

 「霊夢之御茶」を「幻想湯呑」で飲む……何と風流なのでしょう。乙女にしか為せな(以下略)。悠久の時に育まれた(笑)お茶がどんな幻想的な味になっているかは、またご報告したいと思います。

 そんな感じで、今週の日曜には(近場で開催の)紅楼夢があるわけですが、諸般の事情で参加できないので、今回は幻想のお茶を飲みながら皆さんのご武運を祈りたいと思います。どうか参加される皆さん全てにとって、すばらしいイベントとなりますように……。
(今日の買い出しで日本橋に行ったのですが、立ち寄った店では既に売り切れていました>紅楼夢カタログ ひょっとしたら想像以上に混むかもしれませんね)


 競馬の方も、今週は出資馬の出走もないので、比較的まったりです。馬券道場の方が、前期の昇格で過去最高の六段まで上がったので、ここから残り3期でより高い段位を目指して頑張りたいと思います。

>今週の桔梗屋出資馬あらすじ
・ユニヴァースが入厩(美浦に転厩、500万挑戦)
・パスワードが帰厩。
・ドラグーンが滋賀の牧場に移動(入厩の検疫待ち)
・リーガルアミューズが放牧。
・アーネストが放牧。
・クインビーが入厩。

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2009年9月27日 (日曜日)

お茶を飲んで幻想郷に行こう!他2題

■古茶「生と死の境界」(ちょっと大袈裟)

 部屋を整理していたのですが、こんなものが出てきました(写真1)
Photo

 「博麗神社謹製 霊夢之御茶」

 これは、「東方儚月抄」(コミック版)の上巻が出た時のメロンブックスの特典で付いてきた物です。
 http://www.melonbooks.co.jp/contents/comic/toho_b1/

 いつ飲んだものか…と悩みつつ、いつの間にか存在を忘れてしまったのですが、偶然出てきたわけです。
 とはいえ、偶然と言いつつも、実に微妙なタイミングで出てきてくれたものです。
 缶の下側にある賞味期限を見ると……(写真1の右側)。

 「09年09月28日」

 ……明日じゃないですか!!!

 ううむ、この賞味期限切れ寸前のお茶、果たしてどうしたものでしょうか。
 今すぐ開けて飲むか、それとも、折角だから?開けずに取っておくか……。

 ひょっとしたら、数年後に「博麗神社謹製 飲めば幻想郷に逝けるお茶」としてオークション辺りに出せば、高い値段で売れるかも知れません(笑)

■ミラクルフルーツの実がなりました

 去年から栽培中のミラクルフルーツですが、ようやく本年度初の実がなりました。
 今年春に植え替えて根を整理した事もあり、今年は無理かな…と思っていたのですが、ほっとしました(写真2)。
H210927
 後は何とかここから植生を目指したり、苗木を増やしたりしたいところですが……。

■「悠史録」その後の進捗等

 こつこつ作っている自作ゲーム「長月悠史録」ですが、新たに三国志マップを作り始めました。
 過去の市販されている各種三国志系のゲームや文献諸々を参考にしつつ、各種の拠点データを作成中です。座標からデータの数値まで全て手打ちという熟練の?伝統芸です(笑)
 ……それにしても、絵心無さ過ぎというか、地図を描くのは本当に面倒臭いです。
(写真3)
Photo_3

 そして、三国志のマップ……と言う事で、戦国時代マップと違って、もう一つ面倒な事があります。
 使われるのが中国大陸の漢字ということで、日本のパソコンでは表示できない漢字が多々ある…ということです。
 どうでもいいマニアックな地名人名ならいいのですが、結構有名所も多いのです。
 地名では、魏の重要拠点にして銅雀台で有名な「ギョウ」(業に「おおざと」)、徐州時代の劉備と呂布の争いで有名な「下ヒ」(カヒ)がそれらの漢字になります。
 ちなみに人名になると更に深刻で、例えば「ホウ」(龍の上に「まだれ」)の字が出ないために、鳳雛として知られる軍師の(ホウ)統や、樊城での関羽との死闘で知られる(ホウ)徳の名前も正常に表示できない事になります。今回のソフトでは人名はあまり使わないので比較的影響が少ないですが、市販している三国志のゲームではきっとそのあたりの処理は大変なのだろうなぁと思いました。

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2009年9月23日 (水曜日)

東方竹取物語考察 7:難題「蓬莱の玉の枝」前編

■東方竹取物語考察:目次
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2009/05/post-f11c.html

■難題「蓬莱の玉の枝」(藤原不比等)

【藤原不比等(ふじわら・の・ふひと:659[斉明天皇5]-720[養老4])】

 摂関家藤原氏の二代目(後述する通り、実質は彼が初代)。中臣鎌足の次男。
 名前は「史」(ふひと)と書かれてある文献もある。
 母親は車持与志古娘。母親が車持氏の出身だったため竹取物語では「車持皇子」と描かれていると考えられている。一部の史書に「出生の公開に憚られる事あり」の既述があり、天智天皇の落胤説がある(その事もあって竹取物語では「皇子」扱いされている)。
 16歳年上の兄(長男)に僧定恵。才能を見込まれ12年間に渡り唐で学んだ後帰国し、将来を嘱望されていたが、その直後(不比等が7歳の時)に毒殺される。

 天智天皇8(669)年、父、鎌足が死去(不比等は当時11歳)。
 弘文天皇1(672)年、壬申の乱で実家の中臣家が壊滅状態に(後述)。
 持統天皇3(689)年、31歳でようやく従五位下となり、その後じわじわと出世。
 同年、草壁皇子の死に際して軽皇子の将来を託される。
 持統天皇11(697)年、軽皇子(文武天皇)が即位。娘の宮子を入内させる。
 大宝1(701)年、大宝律令制定の功績で大納言に昇進。
 同年、宮子と文武天皇との間に首皇子(聖武天皇)誕生。
 和銅1(708)年、右大臣に昇進。
 和銅3(710)年、平城京遷都を主導。
 霊亀2(716)年、首皇子に娘、光明子を嫁がせる。
 養老4(720)年に死去。正一位太政大臣、文忠公、淡海公を追贈される。
 神亀1(724)年、首皇子が即位し聖武天皇に。光明子は皇后となった。
 以降、紆余曲折を経て藤原氏は摂関家として繁栄へと向かっていく。


 皆様ご存じ、摂関家藤原氏の偉大なる二代目。もこたんの父、藤原不比等が満を持して登場です。
 一般では中臣(藤原)鎌足の子というイメージが強く、大化改新で功があった父鎌足の後を継いで順調に権力を固めた様に思われていますが、実はそんな事は全く無く、かなり大変な前半生を送っています。

 上にも書きましたが、
・父中臣鎌足は彼が11歳の時に死去(父鎌足が40を越えてからの子供だった)。
 そのため、父親の庇護下での出世はできなかった。
・聡明な事で知られ、健在なら大きな助けとなったであろう兄定恵は、不比等が7歳の時に才能を妬んだ百済人によって毒殺される(死亡時期については諸説有り)。

 ……というわけで、父も兄も彼が子供のうちに死去。
 どうも、兄定恵が聡明でかなり期待されており、順調に行けば後を継ぐっぽかった(その割に仏門に入っているのがよく判りませんが、当時は出家=俗世から離れるでは無く、遣唐使の際に身分上有利…等があったのかもしれません)のですが、帰国直後に暗殺されて、「代打」となりうる次男の不比等が成長する前に父の鎌足が死んでしまった、という感じです。父鎌足がもう少し長生きしていれば、鎌足の存命中に庇護下で出世して力をつける、という世襲パターンに持ち込めたのだと思いますが、残念ながら間に合いませんでした。

 そして、父の死から3年後に、一族を危機に陥れる大事件が訪れます。
 「壬申の乱」です。

 弘文天皇(大友皇子:実際に即位したかは現在も論争の的で、天皇号は明治時代の追諡)と天武天皇(当時は大海人皇子)が皇位を争った戦乱です。
 彼自身は若かった(乱発生時は12歳)ので巻き込まれませんでしたが、実家の中臣家は負けた大友皇子側に付いて壊滅状態となりました。
 大友皇子側に彼らが付いたのは、鎌足が大友皇子の父(天智天皇)の側近だった事も勿論ですが、乱の時点では大友皇子側が「官軍」であった事からの当然の?成り行きだったと考えられます。
 ただ、乱後に即位した天武天皇が行った大友皇子側に対する戦後処理は概して寛容なものだったのですが、その中でも当時の中臣家の中心的存在であった右大臣・中臣金(なかとみのかね。鎌足のいとこ)は当時の近江朝側の高官たちの中でただ一人、戦後に処刑されています。前回取り上げた石上麻呂も大友皇子側で、彼は最後まで大友皇子側に付き従って自決した大友皇子側の首を持参したりしていますが、それでもその後重用されています。その事を考えると処刑、というのは極めて重い処分です。大海人皇子排斥の急先鋒だったためとも、壬申の乱における大友皇子側の実質的な指導者だったからとも言われています。
 そんなわけで、父は早死にするわ、その後の内乱で政権がひっくり返って一族の代表が処刑されるわという悲惨な状態に。父、鎌足が築いた功績は全て帳消し状態。「親の七光」などありえない(むしろ鎌足の子供であるということがマイナスに働く事もあり得る)状態で不比等の時代になります。


 そんなわけで、彼は何の後ろ盾もなく、自力で出世するしかありませんでした。
 彼がようやく貴族階級の入口…従五位下になれたのは、31歳の時です。

 が、この後彼は、前述の年表にある通り、トントン拍子に出世。後の摂関家、藤原氏の基礎を固めます。
 31歳の時に彼は従五位下に過ぎなかったのですが、その年にはいきなり草壁皇子に「黒作懸佩刀」を下賜され、軽皇子の将来を託されます。
 その刀は後に軽皇子(文武天皇)、更にはその子、首皇子(聖武天皇)の手に渡り、不比等は両帝に娘を入内させるなど、後見人的な地位を得て、権力の座を固めていきます。
 ほぼ後ろ盾が無い状態で、何故彼がここまで出世できたのか? 何故従五位下なのにいきなり皇子から刀を貰ってるのか? 昔からこの点は大きな謎とされていますが、持統帝か草壁皇子の深い信任を得ていたと思われます。
 ともあれ、明らかに中~下級貴族からのスタートでありながら、ハンデを克服して最終的に巨大な権力を得た不比等の能力が極めて高かった事は間違いないと思われます。


 ……と言う感じで、不比等の半生を書いているだけで随分長くなってしまいました。肝心の難題については次回に回したいと思います。
 気がつけばここまで輝夜も妹紅も全然出てこなくて、東方と全然関係が無くなっていますね。とりあえず、不比等については今回いろいろ書きましたが「そんな事をやっている裏で、もこたんを作っていました」という点が(東方的には)重要なポイントとなります(笑)

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2009年9月 1日 (火曜日)

東方竹取物語考察 6:難題「燕の子安貝」

■東方竹取物語考察:目次
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2009/05/post-f11c.html

■難題「燕の子安貝」(石上麻呂)

【石上麻呂(いそのかみ・の・まろ:640[舒明天皇12]-717[霊亀3])】
 大和朝廷成立時からの有力氏族、物部氏の当時の当主。
 物部氏は饒速日命を祖とし、天皇家より前に大和を支配していたが、神武東征の際に投降。以降は大伴氏と並ぶ軍事氏族として仕え、大和朝廷成立に重要な役割を果たした。
 物部尾興の代に大連となり最盛期を迎えたが、仏教導入を巡る蘇我氏との争いで子の物部守屋が戦死し敗退。権力の座は蘇我氏に移った。麻呂は尾興の四代孫にあたる。

 その後、麻呂の代に「石上」氏に改姓。
 麻呂は壬申の乱時には近江側に付くも敗退。自決した大友皇子に最後まで付き従い、皇子の首を吉野方に持参した。
 その後、敗れた側でありながら天武帝より厚い信頼を受け、遣新羅大使等を勤める。天武帝の殯(もがり)の際には誄(しのびごと)を行い(現代に当てはめると、大喪の礼で葬儀委員長をやったようなものと思ってください)、持統帝の即位の大礼では大盾を立てる(同じく、臣下の筆頭扱いのようなものだと思ってください)等、歴代の天皇に厚い信頼を受けていた。平城京遷都の際には藤原京で留守官を勤めた。
 最終的に左大臣まで出世し、78歳という長寿を誇った。霊亀元年(715)以降は臣下の最高位にあり、死に際して従一位を追贈される。「続日本紀」には彼の死に百姓が痛惜した旨の記述があり、民衆にも人気があった事がうかがえる。
 息子の乙麻呂は中納言、孫の宅嗣は大納言まで出世。宅嗣は日本初の(一般開放の)図書館を作ったことでも知られている。その後石上氏は衰退するが、子孫は代々、石上神宮(「七支刀」が安置されている事で有名)の宮司を勤めた。
 高松塚古墳の被葬者の有力候補でもある。


 ……というわけで、名字は石上ですが、実は「物部氏」の当主なんです、この方。
 何となく蘇我氏に負けて一族全て滅亡したっぽいイメージがありますが、しっかり生き延びていたようです。今回の主役、麻呂が頑張った成果か、左大臣まで返り咲いています。
 そしてこの石上麻呂。阿部御主人@キトラ古墳に続き、高松塚古墳被葬者の有力候補です。実は阿部御主人の死(大宝3[703]年)後、麻呂が後任で右大臣に就いていたりとこの二人は結構縁深い関係だったりします。

 さて、この石上麻呂に輝夜姫が出した難題が「燕の子安貝」です。
 「子安貝」は文字通り、貝の一種です。貝なので当然ながら海等にいるのですが、今回難題に出されたのは「燕の子安貝」ということで、「燕が産んだ」子安貝を持ってこなければなりません。
 子安貝はタカラガイとも呼ばれ、主に暖かい地域の海で取れるものだそうです。殷王朝等で貨幣として使われていたり、次で述べる「安産のお守り」の話が広く知られていたりと、当時でも(少なくとも貴族階級では)そんなに入手が難しい品物ではなかったと思われます。まあ、「燕が産む」という要素が絡むため一気にレアアイテムと化していますが、子安貝ものものはそこまで珍しいものでは無かったのではないでしょうか。
 この子安貝、「子安」の名前通り、昔から安産のお守りとされていました。通貨として使われているように美しい光沢を持つこと、形状が女性器に類似している事などから、出産時に握りしめていると安産になると言われていたようです。

 とはいえ、結婚を拒み続けている輝夜姫が、何で安産のお守りが必要なのか……というのは大きな疑問点ではあります。
 個人的な見解ですが、輝夜姫は、石上麻呂が好きだった…というのは言い過ぎとしても、(少なくとも、求婚者五人の中では)高く評価していたのではないでしょうか?

 そう考えさせる材料として、物語からは以下のことが読みとれます。
・五人の中で、難題が一番簡単っぽい
・安産のお守りを難題として出すことで、さりげなく気がある事をアピール?
・難題の失敗後、彼にだけ和歌を書き送ったりと対応が優しい
(まあ、失敗した後の悲惨度が一番高いからでもありますが…)

 そして、石上麻呂本人に「いい人」だったと思わせる話が多いことがあります。
・没落しかかった物部氏を立て直した苦労人
・元々大友皇子派でありながら、天武系の歴代天皇から厚い信頼を受けていた
・民衆からも好かれていた
・万葉集に旅先から妻のことを気遣う歌が残っている
・子安貝を入手しようとする話が他の4人とは異なり、ほのぼのと?している

 とはいえ、そんな状況とは裏腹に、実際は石上麻呂は子安貝を手に入れることが出来ず……しかも、五人中最も悲惨な運命が待っています。

 他の四人が出された難題が、どう見ても国内で手に入るとは思えない物ばかりの中、彼が出された難題は、とりあえず燕を押さえておけばいいわけですし、比較的簡単に思えます。何しろ、燕はどこにでもいるのですから。
 ただ、唯一の……そして最大の問題。この難題を「難題」にしている所以が、当たり前ですが燕は子安貝なんか産むわけがないという事です。個人的には、適当に子安貝を入手して「燕が産みました~」と言って輝夜姫の所まで持っていけば案外すんなりと騙せた様な気がします。
 が、そこは人格者?の石上麻呂。馬鹿正直に燕の子安貝を入手する道を選びます。

 自邸に戻り、部下達に「燕が巣を作ったら報告せよ」と命じます。訝しむ部下達に事情を説明すると、部下から
・燕を殺して腹を割いても中からは出てこない
・子を産むときに何故か子安貝を産むときがある
・ただし、人が見ると消滅するらしい
 ……という情報を貰います。貴族の部下レベルの人がそこまで詳しい情報を知っている事ですし、実際に「燕の子安貝」はあったのかも知れません。やっぱり難題の中では一番簡単だったような気がします。

 ともあれ、部下から「大炊寮」(食料を司る役所らしいです)に大量に燕の巣があることを聞きつけた石上麻呂は、部下を20名程引き連れて大炊寮に移動。足場を組んで巣を見張り、燕が子安貝を産むのを待つ作戦に出ます。
 ……が、巣の下に足場を組んで沢山の人が見張っているため、燕が寄りつかなくなってしまいました。

 石上麻呂が困っていると、大炊寮の役人が出てきて助言をしてくれました。
 彼の助言は、沢山の人が見張っているから燕が寄りつかないので、誰か一人をカゴに入れて待機させておき、燕が卵を産む素振りが見えたときに素早くカゴをつり上げて、子安貝を回収する……というもの。
 更に彼は、燕が卵を産むときの仕草まで教えてくれる親切振り。石上麻呂は感謝してその場で彼に自分が着ている服を脱いで与えました(現代の感覚で考えると変な感じがしますが、この時代では最高級の感謝の表現でした。サッカーの試合終了後のユニフォーム交換みたいなものでしょうか)。
 こうして作戦を伝授された石上麻呂。他の挑戦者とは異なり部下や周囲の人たちも協力的です。このあたりを見ていると、やっぱりいい人だったのではと思わせます。

 そして、夜になってもう一度現地に行ってみると、燕たちが戻ってきており、巣を作っています。が、カゴに載せた部下たちに燕の巣を調べさせますが、やっぱり子安貝を産んでいる様子はありません。
 業を煮やした石上麻呂は、自らがカゴに入り、子安貝入手に挑戦します。

 自分が入ったカゴを持ち上げて貰い、間近から燕の巣を観察します。
 すると!目の前の巣で、燕が昼間に教えて貰った通りの「卵を産む仕草」をするではありませんか。慌てて手を燕の方に伸ばすと、何かが手にぽとりと落ちる感触が。
「取ったぞ!早く下に降ろしてくれ!」
 興奮して叫んだ石上麻呂。部下達は慌てて降ろそうとしましたが、強く引っ張りすぎた表紙にカゴを支えていた縄がぷつりと切れて、石上麻呂はカゴごと地面に墜落。しかも悪いことに下にあった金属の鼎に激突し、腰を強打してしまいました。
 石上麻呂は白目をむいて気絶。部下が水を飲ませてようやく意識が回復します。
 彼は息も絶え絶えの状態ながら、ようやく入手した子安貝を見てみようとしましたが、開いた手のひらから出てきたのは……何と、燕の古糞でした。

 がっかりした石上麻呂。腰骨が折れるわ、苦労した挙句燕の糞しか手に入らない悲惨な状態だわで、病気も併発してどんどん体調が悪化して行きます。
 さすがに気の毒に思った輝夜姫は、彼に和歌を書き送ります。石上麻呂は返歌を書きましたが、そこで力尽き、ついに帰らぬ人となってしまいました。
 この事から、期待に反してうまくいかないことを「かひ(貝≒甲斐)なし」と呼ぶよ
うになりました(オチ)。


 ……というわけで、五人の求婚者の中で一人だけ死ぬ、という悲惨な結果でした。
(現実の石上麻呂は長生きしていますが)
 明らかに五人の中では一番簡単な課題でしたし、上手く立ち回れば彼だけは何とか出来た様な気がするのですが……。


 さて、挑戦者の四人までが脱落した難題。
 次回……いよいよ、最後にして(実際は原作では二人目なのですが)最大の大物が登場します。
 日本史に燦然と輝く、摂関家藤原氏の偉大なる二代目!
 そして、もこたんの父!
 藤原不比等が難題「蓬莱の玉の枝」に挑みます。

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2009年8月17日 (月曜日)

週末はワイン片手にレパードS観戦(予定)

 私事ながら、私の身内が短期入院していたのですが、大したことも無く無事に今週末に退院する事になったので、そのお祝いとしてワインを注文しました。
 ちょうど週末のレパードSに出走するシルクメビウスとある意味縁のある?名前である事、それ以前から周辺での評価が高く、前々から気になっていた事を加味して、奮発して「あの銘柄」を注文してみました。今から届くのが楽しみです。果たしてどんな味なんだろう……。
 開けるのは土曜日の予定ですが、レパードSの施行される日曜日分も残しておく予定です。願わくば、勝利の美酒になればと思います。
(続報については、次回の日記にて…)


■今週は「レパードステークス」

 そんなわけで、今週末(16日)はシルクメビウスの出走予定のレパードSです。

 本来であればJDD2着と最有力候補としての出走だった筈なのですが、ここに来て豪華なライバル勢が多数出走して来ました。
 同じ新潟1800でレコードで楽勝したトランセンド、同じく3連勝のフサイチセブンとエーシンモアオバー(勝ち上がった時の2着が出資馬のエステート…)。更にはグロリアスノア、ワンダーアキュート、スーニ、芝路線からはディアジーナなど、非常に面白いメンバーが揃いました。これは楽しみです。
 新たな強敵も多数出走しますが、できれば今後のためにも2着以内に入って賞金を上積みして貰いたいところです。
 先週末に鞍上の田中博騎手が落馬、全身打撲、外傷性ショックで騎乗が危ぶまれていますし、メビウス自身も帰厩からまだ一本しか追っていない(今週の水木にもう一本追加?)のが気になりますが、いい競馬を期待したいですね。


■東方星蓮船のネタバレ?(多分ネタバレなので注意)

 私自身はそもそも帝都に遠征しておらず、当然「星蓮船」も入手していないわけですが、帝都に遠征していた知り合いから、ぼそっと短いメールが送りつけられてきました。

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2009年8月 3日 (月曜日)

東方竹取物語考察 5:難題「龍の頸の五色の玉」

■東方竹取物語考察:目次
 http://september.moe-nifty.com/kikyo/2009/05/post-f11c.html

■難題「龍の頸の五色の玉」(大伴御行)

【大伴御行(おおとも・の・みゆき:635[舒明天皇7]-701[大宝1])】

 大和朝廷成立に重要な役割を果たした大伴氏の当時の当主。壬申の乱で功があった。

 大伴氏は天孫降臨時から天皇家に仕えていた軍事氏族(瓊瓊杵尊の先導をした天忍日命が祖神)で、「撃ちてしやまむ」で知られる古代最強軍団「久米の兵」を率いて大和朝廷の勢力拡大に大きく貢献した。徐々に政治的な権力も持つようになり、中でも大伴金村は「大連」として継体天皇の擁立に関わる等政権の中枢で活躍し、この時期に大伴氏の勢力は最盛期を迎えた。
 金村の失脚後、蘇我氏の台頭と共に政権の頂点からは脱落するが、それでも有力氏族として政権の中枢に多数人材を輩出した。大伴弟麻呂が初代の征夷大将軍(彼の後任が有名な坂上田村麻呂)となるなど軍事面でも活躍している。また、大伴旅人、大伴坂上郎女、大伴家持などの歌人を輩出するなど文化的な貢献度も高い。
 御行の父大伴長徳は右大臣。壬申の乱で活躍した大伴吹負は伯父(長徳の弟)。
 御行の死後は弟の安麻呂が当主となり大伴氏を率いた。以降活躍した大伴旅人、大伴坂上郎女、大伴家持等は御行ではなく、安麻呂の子孫に当たる。
 延暦4(785)年、歌人でも知られる当時の当主、大伴家持が藤原種継暗殺事件(家持の没直後に発生)の首謀者とされ、一族が多く連座させられた事から勢力を失う。
 弘仁14(823)年に淳和天皇が即位した時、御名が「大伴」であった事から名を避けて「伴」に改姓。
 貞観6(864)年、伴善男が130年振りに大納言まで出世し、再び繁栄に向かうかと思われたが、応天門の変(政敵・源信に放火犯の濡れ衣を着せようとしたが、逆に自分が犯人だと露見)で失脚、大伴氏は歴史の表舞台から姿を消した。


 というわけで、今回は大伴氏です。
 昔いろいろ調べた事があるのですが、大伴氏の栄枯盛衰(というか衰退の課程)、特に最後を飾る「応天門の変」は、何というか歴史の深さを感じさせるもので、本当に興味深いものでした。
 かつての名族が衰退して「大」が取れて(実際は↑の理由なので衰退が原因ではないのですが)ただの「伴」氏にレベルダウン。
 最後の当主はとても軍事氏族とは思えない名前の「善男」。
 その善男さんは政敵を追い落とすため放火事件を起こすも自分が犯人だと露見し、逮捕されて失脚。ちなみに、部下に命じるのではなく自分で火を付けに行くマメさです。
 とどめとして、その一連の行動は「伴大納言絵巻」として漫画化?され、国宝として末永く伝えられる事となったのでした……
(ただし「応天門の変」は、藤原氏の陰謀説もあるので、彼が犯人ではないかもしれません)

 ちなみに、「伴大納言絵巻」は「応天門の変」を描いた巻物なのですが、今見てもかなり見応えがあって面白いです。
 この絵巻の中で、庶民の子供同士が喧嘩→負けた子供の親(伴善男の従者)が出てきて勝った側の子供を蛸殴りに→もう一方の親が激怒→実はこの親が伴善男が放火する所を見ていた→訴え出て伴善男逮捕 ……という筋なのですが、親が出てきて子供の喧嘩相手を蹴飛ばすシーンでは、蹴られた子供が海老反りになって吹き飛ぶというとても平安時代に描かれたとは思えない漫画的表現が面白くて、非常に強く印象に残っています。
 私が学生の時は、日本史の資料集には必ず載っていたものですが、今はどうなのでしょうか? 皆さんも見る機会がありましたら是非ご覧になって下さい。

 ちょっと御行本人にあまり語るべきネタがないので(笑)大伴氏全般の話になってしまいましたが、そんな大伴家のご当主様に輝夜が出した難題は「龍の頸の五色の玉」。文字通り、龍の頸(くび)にあるとされる五色に光る玉です。

 大伴御行に輝夜姫が出した難題、「龍の頸の五色の玉」。龍の頸(くび)にあるとされる五色に光る玉です。
 龍といえば、口に玉をくわえている姿で描かれている事が多いですが、あれでしょうか? それなら、頸(くび)ではなく顎(あご)になるっぽいですが。ううむ……
 色々調べてみると、正倉院に実物?である「五色龍歯」が納められているようです。実際には龍ではなく、ナウマン象の歯(臼歯)の化石のようです。臼歯…なので、やっぱり頸(くび)よりも顎(あご)の方がイメージが近いですね。鎮静作用のある漢方薬として使われていたらしいです。この「五色龍歯」が入ってきたのが平安時代とされており、元ネタに使われた可能性もあるようですね。
 まあ、龍であれ、ナウマン象であれ、入手が極めて困難なものである事に違いはありません。肝心の宝物が龍の頸にあるということで、龍を発見するだけでも大変なのに、龍を倒さないと入手できないのです。

 難題を突きつけられた大伴御行ですが、そこは古来から続く武門の頭領。一族を挙げて龍の頸の玉入手に乗り出します。
 私財をなげうって旅費として渡し、一族に龍を探し出して頸の玉を取ってくる様に命令。一族の者達は龍探索に各所に散っていきます。が、肝心の部下達は余りにも無茶な話なので、その多くは命令に納得がいかず、旅費だけ受け取って自宅に籠もったり、自分の家族に配ったりする始末。龍探索は遅々として進みませんでした。
 業を煮やした御行は「龍を射殺して頸の玉を取ってくる」と自ら出陣。が、そもそも射殺す以前に龍がどこにいるのか判りません。船で当てもなく彷徨うしかありませんでした。

 そして、船が筑紫の国に差し掛かったとき……異変が起きました。
 御行が乗る船を突然、雷を伴った暴風雨が襲います。
 この時代、船旅での嵐は今以上に強い恐怖の対象でした。遣隋使/遣唐使がしばしば遭難したり、鑑真が来日中の船が遭難して失明したり……という逸話が示すとおり、船旅は命がけだったのです。
 龍が襲ってきたのか、それとも天罰か。突然襲った暴風雨に、恐怖に脅えた御行は船の中で「龍の神様、殺そうとしてすいませんでした。二度としません」と誓いの言葉を唱え続けます。武門の頭領である筈が、完全に形無しです。
 プライドを捨てて祈った甲斐があったのか暴風雨は収まり、船は数日後播磨(明石)に流れ着きます(かなり長い距離を流されてますね)。播磨国の国司に連絡して迎えに来てもらいますが、体調が悪くて起きあがれません。
 ようやく起きあがると、重病のせいか、それとも龍の呪いなのか……腹が大きく膨れあがり、両目は李(すもも)を二つくっつけた様な瘤になっているという悲惨な有様。それを見た播磨国司からは笑われてしまいました。
 ようやく自宅に帰還すると、前妻(輝夜姫を妻に迎えることを見越して離縁していたのです)からは嘲笑われ、留守の間に自宅の屋根(茅葺き?)は鳶や烏が巣にするために持って行ってしまい、ぼろぼろになっていました。
 世間からは「龍の頸の玉を取りに行ったのに、得たのは眼についた玉(瘤)だけだった」と嘲笑されます。
 これに懲りた御行は、二度と輝夜姫には近づきませんでした……。


 ……と、言う感じで五人中、一二を争う無様さで難題に失敗した大伴御行。
 以前も触れましたが、彼だけがほぼ実名そのままで出ていますし、ここまで酷く描かなくていいのでは、と思うほどの悲惨な失敗振り。
 大伴氏が健在な時期にこんな物語を書けば只で済むわけがない……ということで、この件は竹取物語が書かれた時期が大伴氏が没落した(前回触れた「応天門の変」の起きた貞観八[866]年)以降ではないか、という説の根拠になっています。

 そんなこんなで大伴御行も脱落。
 次回の挑戦者は、石上麻呂(難題「燕の子安貝」)です。

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